著者
前之園 幸一郎
出版者
青山学院女子短期大学
雑誌
青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (ISSN:09195939)
巻号頁・発行日
no.9, pp.45-73, 2001-12

『ピノッキオ』の著者コッローディ(Collodi)は,子どもたちを楽しませるためにこの作品を書いた。しかし,そこにはイタリアの国家統一直後の社会に対する作者の激しい社会批判が,作者の意図をはるかに超えて描き込まれている。さらに,われわれは,この物語の中に多くの宗教的メッセージをも読みとることができる。おそらく作者は,子ども向けのこの物語において,ことさら宗教的な問題を取り上げようなどとは考えもしなかったであろう。しかしながら,19世紀末のイタリアの文化的土壌の中から生まれた『ピノッキオ』には,キリスト教的文化の伝統がくっきりと反映され,作者の意図のあるなしにかかわらずそれが明確に刻印されることになったと考えられる。
著者
大野 芳材
出版者
青山学院女子短期大学
雑誌
青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (ISSN:09195939)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.75-95, 2001-12-25

ジャン=バティスト・ジュヴネガ,ルイ・ル・グラン広場のカプチン会の求めで,『キリストの十字架降下』を描いたのは1697年のことであった。キリストの生涯で礫刑に続くこの場面は,すでに9世紀以来の図像の歴史が知られている。そのなかで16世紀半ばのダニエーレ・ダ・ヴェルテッラの劇的表現は,以後の図像に多大な影響を与えた。宗教的混乱の終結後の活発な布教活動を背景に,ジュヴネに先立つフランスの画家たちも,このイタリア人画家とルーベンスのアントウェルペン大聖堂にある絵画から,強い霊感を受けつつ制作した。シャルル・ル・ブランがリヨンのカルメル会のために描いた『十字架降下』は両者を範に仰ぎつつ力強い表現を志向する一方,フランス古典主義絵画の体系化を計った画家にふさわしい特徴を併せもっている。ジュヴネはル・ブランから重要な要素を借用しつつ,いっそう劇的な内容の作品を生み出した。優美で軽妙な絵画へと趣味が移り行くなかで,プッサンの伝統を受け継ぐ宗教画家としてジュヴネの資質を,この絵画は明らかにする。
著者
八耳 俊文
出版者
青山学院女子短期大学
雑誌
青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (ISSN:09195939)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.127-144, 2001-12-25

ロンドン伝道会宣教師ミュアヘッド(William Muirhead)訳『格物窮理問答』(上海,1851)については従来,書名のみ知られていたが,所在は不明で,その内容について知ることができなかった。筆者は研究プロジェクトに従事中の2000年1月,日本の古書店を通じて,同書の写本1冊を購入することができたため,ここに活字翻刻して同書の内容を紹介することにする。書誌的検討から,原本についても,オランダの牧師で教育家マルチネット(J.F.Martinet)の『児童のための自然についての問答』(1779)の英訳本のジョイス(J.Joyce)による増補版(1818)であることを確かめた。『格物窮理問答』の原本はキリスト教信仰より,自然のしくみを児童・生徒に教え,造物主である神の偉大さと叡智を知らしめることを目的に編集されたもので,原著者の母国オランダのみならず,広く英米にても多くの読者を得ていた。ミュアヘッドは英国で教育を受けたときに読む機会をもち,中国に来たのち宣教活動を進展させるため翻訳したと推測される。1冊のうち半分近くが生物分野で占められており,リンネの分類体系も紹介され,中国における初めての西洋生物学の入門書と言ってもよいことがわかった。
著者
斉藤 修三
出版者
青山学院女子短期大学
雑誌
青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (ISSN:09195939)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.155-175, 2001-12-25

「人はなぜ差別するのか?」振り返ると,ここ数年わたしはこの問いばかりを追いかけてきたようだ。聖書に「あなたは寄留(きりゅう)の他国人をしえたげてはならない。あなた方はエジプトの国で寄留の他国人であったので,寄留の他国人の心を知っているからだ」(出エジプト記)とあるが,問題はこの言葉に集約されると思う。自他を分ける壁を絶対視し,自己のなかに他者を,他者のなかに自己を見る想像力をなくしたとき,差別はしのびよる。元来人はみな「寄留の他国人/よそ者」だった。なぜなら一回限りの<出来事(いのち)>である以上,反復可能なカテゴリーでしかない「何者か」という言葉が再現できない余剰,語りえずしたがって不可知の<よそもの性>こそが「固有のわたし」の正体だからだ。取り替えのきく「何者か」ではなく,唯一無二の「よそ者=究極の少数派(マイノリティ)」だからこそ<個>は壊れやすく希少なはずなのに,孤独を怖れるあまり自己の異質性を認められないわたしたちが「同じ何者か」という表象の虚妄にしがみつき,固定された主体や帰属意識(アイデンティティ)でしか人を見れなくなったとき,人種民族・国籍・性別などをめぐり序列化された見えない国境線が実体化され,よそ者は被差別者となる。そのかき消された声をふたたびわたしたちに届け,内なるよそ者のつぶやきを呼び覚まし共振させる<声の運び屋>が,チカーナの詩人作家シスネロスの派遣する少女エスペランザである。