著者
橋本 典子
出版者
青山学院女子短期大学
雑誌
青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (ISSN:09195939)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.13-24, 2001-12-25

人間は常に危機に直面してきた。古来人間の周囲には自然現象の外的危機があった。それを人間は技術により克服してきた。従って技術は本来善である。しかし21世紀に技術連関としての環境にいる人間は自己の所産である科学技術を悪用するという人間の内的・精神的危機に直面している。それはつまり倫理の不在の顕在化である。マルセルは既に1951年に人間を機能の一部にし"物化"してしまう技術,つまり人間性失墜の技術の危険を預言した。技術を自己のものとした人間が技術を偶像崇拝の対象とし,人間自らを自己崇拝するようになり,精神を否定し人間を人間以下(sous-humain)の存在にする現実が生じてきた。このような状況に於いて人格(persona)をどう考えるかがこの論文の課題である。論者は対物倫理(ethica ad rem)の視点から,価値ある芸術作品に対する対話的関係を介して作品を人格とみなす過程を,芸術を"存在者の真理のあらわれ"とみたハイデガーを手懸りに考察した。次に人格を手段として扱うのではなく,目的自体としなければならないとするカントの人格論,カントの主観客観の明確な対立を批判し,人格を主客未分の純粋経験,そして宇宙的統一力の個人への現われとする西田幾多郎の理論を考察した。そして最後にペルソナ(人格)とその歴史的展開としてのペルソナリタス(personalitas)とを明らかにした。
著者
加納 孝代 カノウ タカヨ
出版者
青山学院女子短期大学
雑誌
青山学院女子短期大学総合文化研究所年報 (ISSN:09195939)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.125-138, 2002-12

青山学院女子短期大学の学生寮「シオン寮」は学生の人格の教育とキリスト的生活環境の提供をその目的として1951年に設置された。本橋では開寮後50年以上が経過し、卒寮生の数も3,000名を越すこの寮が果たして当初の目的を実現してきたか否かを、卒寮生の各世代から数名ずつ、計66名に依頼して得られた文章の分析にもとづいて検証した。卒寮後数年ないし数十年が経過した現在も多くの卒寮生は寮における最も重要な体験として、尊敬できる寮監や一生持続する強い絆で結ばれた友人に出会ったこと、規則や定められた日課に基づく生活の中で自制心が育ったこと、キリスト教的な環境の中で自分の生き方の基準が築かれていったことを挙げた。これらは所期の目的に充分に沿ったものであり、今後とも明確な目的意識と確固とした方針で寮運営に臨めば、学生寮は人格教育および牛リスト教教育の場として充分に機能し得ることを示唆している。