著者
仲程 昌徳 Nakahodo Masanori
出版者
琉球大学移民研究センター
雑誌
移民研究 = Immigration Studies (ISSN:18810829)
巻号頁・発行日
no.2, pp.51-68, 2006-03

沖縄の人々に最も好まれた表現形式になる「琉歌」は,沖縄の人々が渡った移住先の国々でも盛んに詠まれた。南米ペルーでもそうだが,ペルーの沖縄県出身者も,数多くの「琉歌」を残していた。彼らは,一体どのような「琉歌」を詠んだのか,探ってみた。 ペルーの人々の「琉歌」は,ハワイで発刊されている『ハワイ・パシフィック・プレス』に毎号掲載される「ハワイ琉歌会」の作品集の中に,数多く見られる。それは,ペルーの人々が「ハワイ琉歌会」の呼びかけに応じて,「ハワイ琉歌会」の会員になって活動したことによるが,彼らの活動期間は,1980年から1990年までの,ほぼ10年間で,そう長くはなかった。「ハワイ琉歌会」は,その期間「課題」を出していた。ペルーの会員も,当然与えられたその「課題」にそって歌を詠まざるをえなかった。それだけに,ペルーの人々は,自由にペルーのことを取り上げて歌うことはできなかったが,ペルーのことを歌った歌がみられないわけではない。 ペルーの人々が詠んだペルーと関わる歌のなかで,すぐに目につくのが「ゆす国に暮らし」「旅に身やあてん」「外国に暮らち」「余所国に居てん」といったような句である。それは彼らにとってペルーは「余所国」であり「外国」であり「旅」の地であったということを示している。そしてそれは,沖縄から海を渡っていった多くの「移民」が共通して抱いていた思いであったといっていいだろう。「移民」の歌の一つの特色は,そのように住んでいる国を,「余所国」として捕えていた点にあるであろうが,ペルーの琉歌には,特にそれが顕著に現れていたといっていいだろう。
著者
金城 宏幸 花木 宏直 Kinjo Hiroyuki Hanaki Hironao
出版者
沖縄移民研究センター
雑誌
移民研究 = Immigration studies (ISSN:18810829)
巻号頁・発行日
no.15, pp.71-92, 2019-03

As a part of the comparative immigration research group at the University of the Ryukyus, this study compared Okinawan and Basque immigrants' opinions on their collective area in the Argentina. The study used questionnaires with Okinawans in 12 regions of the world in2011, Basque Argentines in 2015, Okinawan Argentines in 2016, and Basque Argentines in2017. The research revealed that both Okinawans and Basques had strong consciousness of their culture and traditions. However, although Okinawans made much of their origins, Basques made much of their practice of their language and culture. In addition, Basques had even higher levels of language ability and stronger identity than Okinawans, who had high Japanese language ability and strong Japanese identity. The following three points were considered for this reason. First, Okinawans are the majority in the Japanese Argentine population. Second, Okinawans immigrated to Argentina later than Basques and more first generation. Third, the Basque government tackled their language and diaspora policies earlier and more actively than the Okinawa prefecture. Thus, Basques, including Basques from the Navarra and the French Basque area, had greater political consciousness of their homeland, that is, the Basque autonomous region than Okinawans. Although Okinawans organized locality-based associations by hometown, Basques organized them by domicile. From now on, we need to study Okinawan and Basque networks' qualitative differences, reasons or their differences, influences on their future diaspora communities, and interchanges between their diasporas and homelands. Therefore, we plan an opinion survey for another collective area in the United States, domestic immigrants in Spain and Japan and their homelands of Okinawa and Basque areas.
著者
上原 こずえ 上原 こずえ
出版者
琉球大学移民研究センター
雑誌
移民研究 (ISSN:18810829)
巻号頁・発行日
no.5, pp.67-86[含 日本語文要旨], 2009-03

本論文は,1970年代の沖縄における金武湾闘争,そしてハワイにおけるカホオラヴェの運動に着目し,抵抗運動における「伝統」文化の実践に関する新たな視点を提示する。金武湾闘争は沖縄の復帰後の1973年に始まり,金武湾の宮城島―平安座島間の埋立て,石油備蓄基地・石油精製工場の建設に反対した。一方のカホオラヴェの運動は1976年に起こり,1941年の日本軍による真珠湾攻撃から始まった,米軍によるカホオラヴェ島での軍事射撃・爆撃訓練に反対した。両運動は,太平洋で隔たれた沖縄とハワイで組織され,異なる問題を扱っていたが,そこで表出した思想や実践には連続性が見られる。金武湾闘争とカホオラヴェの運動における「伝統」文化の実践は,「伝統の創造」論に重要な問題を提起する。1980年代以降,太平洋諸島の民族主義運動における「伝統」文化の語りや実践が集団内の権力構造を確立し維持する,という批判が「伝統の創造」論をもってなされた。この主張に対し,さまざまな立場からの批判がなされた。本論文では,「伝統の創造」論による民族主義運動への批判が,抵抗運動における「伝統」文化の意義を認識できていないことを指摘し,その意義を金武湾闘争とカホオラヴェの運動における「伝統」文化の実践を分析することで提示する。本研究は,筆者の移動者としての個人的な経験から生まれた問いや,比較の視点に基づき議論を進める。沖縄からハワイに移動し,そこで知りえたカホオラヴェの運動と,筆者のホームである沖縄の金武湾闘争との間にはどのような接点があるのか。本論文では第一に,「伝統の創造」論による太平洋諸島の民族主義運動に対する批判と,それに対する反論を概観する。第二に,金武湾闘争とカホオラヴェの運動の歴史的な背景をふまえ,機関誌,その他の未出版資料,聞き取り調査の記録から,両運動における「伝統」文化の実践とその意義を検証する。研究結果として,次の三点を明らかにした。金武湾闘争とカホオラヴェの運動では,「住民」や「オハナ」という運動参加者個々人の行為者としての役割が強調された。また両運動では海や土地の重要性が「伝統」文化の実践を通じて主張され,開発や軍事訓練への抵抗とされた。さらに両運動では,「伝統」文化の実践が,運動参加者間の結びつきを強め,援農活動や共同体の自治を模索する動きにつながり,他の島々における抵抗運動との連帯を生んだ。
著者
浜崎 盛康 Hamasaki Moriyasu
出版者
琉球大学国際沖縄研究所移民研究部門
雑誌
移民研究 (ISSN:18810829)
巻号頁・発行日
no.6, pp.71-82, 2010-03

In Brazil, there are many Uchinanchu, having built communities of Uchinanchu. We conducted research on Okinawan folk religion in São Paulo in November 2009. We attended to and researched on a mass of shijyukunichi of a Uchinanchu. This paper aims to examine, based on our research, how Okinawan folk religion is succeeded in a mass of shijyukunichi. We can recognize many similarities between the way Okinawan in Okinawa reads a mass of shijyukunichi and the way Okinawan in Brazil does. These are the similarities: the importance of Totome, Shiruife, 49 rice cakes which represent the bones of a man, a san which is a talisman against an evil spirit, and mabuiwakashi which is a very important ritual in a mass of shijyukunichi, separating a spirit of the dead from the living and sending it to the next world. And Uta, the Okinawan shaman, reads a mass of shijyukunichi, in kinawa and In Brazil too- interestingly enough, there also are Utas in Brazil. In communities of Uchinanchu in Brazil, many Uchinanchu have deep concern for Okinawan traditional folk religion and believe in it in daily life.
著者
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出版者
琉球大学移民研究センター
雑誌
移民研究 (ISSN:18810829)
巻号頁・発行日
no.5, pp.129-151, 2009-03

1. ブラジル移民百周年記念シンポジウム 日時:2008年8月25日(月) 場所:マスクードプラザホテル(サンパウロ市) 主催:琉球大学移民研究センター 協力:ブラジル沖縄県人会 2. アルゼンチン移民百周年記念シンポジウム 日時:2008年8月30日(士) 場所:沖縄県人会館(ブエノスアイレス市) 主催:琉球大学移民研究センター 協力:在亜沖縄県人連合会