著者
塩田 昌弘
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.157-185, 2008

芦屋市谷崎潤一郎記念館は、明治・大正・昭和の時代を通して文豪の名に相応しい文筆活動をした小説家、谷崎潤一郎(明治19年〜昭和40年)の原稿、書簡、書籍、美術工芸品、愛用の日用品などを展示して、世界の谷崎文学の普及を試みたもので、昭和63年、芦屋市に開館された。明治44年、小説『刺青』、『麒麟』を発表した谷崎は、永井荷風に絶賛され、文壇の第一線に登場した。大正12年、関東大震災の後、関西に移り住み、確実にその文学の才能を開花させていった。昭和8 年、代表作の『春琴抄』、『陰翳礼讃』を発表している。昭和9 年、兵庫県武庫郡精道村打出下宮塚16(現在の芦屋市宮塚町12富田砕花旧居)に住み、創作に精進している。昭和10年には、谷崎潤一郎のインスピレーションの源泉となった女性・根津松子と結婚した。昭和18年、58才の時、芦屋の風土と日本の文化の古典美に想をえた名作『細雪』を発表するにいたる。昭和24年、『細雪』により朝日文化賞を受け、同年、文化勲章を受章した。昭和40年、80才で死去。記念館は、谷崎好みの数寄屋風に設計、庭園は京都市左京区下鴨の旧居、潺湲亭(せいかんてい)の庭を模して作られている。関西、谷崎が好んだ芦屋という風土、そこから生まれた文学作品、文豪の創作を助けたたたずまい、これらの要素をこの記念館は総合的に理解できる様に設計されている。風土と文学と建築美について論考しようと考えている。
著者
溝口 正
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.A157-A170, 2007

春季から夏季にかけて大手前大学の学生にアンケート調査を実施し摂取した野菜をその種類と共に集計した。実施期間は4月から7月に及ぶ78日間、調査に参加した学生数は延べ759名である。朝食、昼食、夕食の食事の際、1週間のすべての日数、または6日間野菜を摂取した学生は9L9%であった。摂取された植物、きのこおよび藻類は多岐にわたり、lll種類あって、その中には18種の葉類、6種の茎葉、4種の根類、12種の根茎(若茎、若芽、リン茎を含む)、6種のいも類、12種の豆類(種実を含む)、4種の花序(花穂、花らいを含む)、35種の果実(さやを含む)、9種のきのこ、5種の藻類が含まれている。最も摂食頻度の多かった野菜(頻度数)は順にレタス(1281)、トマト(1213)、ニンジン(1121)、キャベツ(1015)、かぼちゃ(625)、ねぎ(620)であった。野菜ジュースも摂取頻度が986であり多かった。上述の野菜はほとんどが両季節に区別なく摂取されているが、たまねぎ、ねぎなどは夏季に多食されていた。大手前大学学生の大部分は健康への配慮から野菜の摂取意識が非常に高く、かつ、実際に多種多用な野菜を摂取していることが明らかになった。
著者
丹羽 博之
出版者
大手前大学・大手前短期大学
雑誌
大手前大学論集 (ISSN:1882644X)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.(19)-(28), 2008

元和十年秋、白楽天は江州司馬に左遷され、潯陽に下る。その地で、廬山の香炉峰の近くに草堂を構え、半隠の生活を送る。この草堂は綿密な計画の下に造営され、十分に満足のいくものであった。それは「草堂記」やその他の詩文から窺われる。第一章では、彼の草堂生活が五感を十分に満足させるものであったことを、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚に分類し、分析していく。特に人工的に池や泉を作り、魚を放ち白蓮を植え、さらには崖から筧を架けてその水滴を楽しむといった、手の込んだ趣向を凝らして楽しんだことを述べる。茶畑も作り、その茶や酒を味わい、琴の音楽や自然の音も楽しんでいる。第二章では、白楽天が草堂建設に当って、事前にどのように準備したかを詩文から探る。次に草堂建設にあたって経済的な裏付けも十分に有ったであろうことを考察する。第三章では、江州を去った後、白楽天が草堂を追憶した詩を考察する。