著者
内田 知宏 Tomohiro Uchida
雑誌
尚絅学院大学紀要 = Bulletin of Shokei Gakuin University (ISSN:2433507X)
巻号頁・発行日
no.80, pp.17-27, 2020-12-18

統合失調症患者において体験される妄想の発生・維持に認知の歪みが関わっていると考えられているが、こうした病理モデルを健常者の妄想様体験(パラノイア)に当てはめ検討していく取り組みは、統合失調症を含む精神病の早期発見、早期介入という観点から重要であると考えられている。本研究において、大学生200名を対象に質問紙調査を実施した結果、認知的洞察や自己・他者スキーマといった認知的側面や、抑うつ、不安といった感情は、それぞれ単独でもパラノイア傾向と相関していたが、これらの心理的要因を組み合わせて検討することで、とくに、自己確信性で示されるような認知の硬さ、他者へのスキーマ、および抑うつがパラノイア傾向に影響を与えることが示された。こうした知見は、パラノイア傾向の強い個人の心理的要因を包括的に理解する上で、また認知行動療法を中心とした介入の標的を特定する上で役立つ可能性があると考えられた。
著者
土田 定克 Sadakatsu Tsuchida
雑誌
尚絅学院大学紀要 = Bulletin of Shokei Gakuin University (ISSN:2433507X)
巻号頁・発行日
vol.(74), pp.29-44, 2017-12-20

ラフマニノフの「音の絵」作品39は難解である。8曲も続く苦渋に満ちた短調の末、それを一気に覆すただ1曲の長調。その理解のカギは、終曲で響く聖三打(「タタタン」の律動動機)にある。この聖三打の意味は「行進」に限らない。ラフマニノフの二大ピアノ協奏曲はじめ他の作品の用例を見ると、「決意」「宿命」「勝利」等の意味を担っている。さらに聖三打は原初次元で三一性を脈打つため、原初の「三一性」も象ることができる。それは聴き手に「聖なる動機」を与える大役を担うものである。 ラフマニノフが三一性を重んじた証拠に、「24 の前奏曲」と同様、「音の絵」作品39の頂点では「三連打が三音域で三回」も強調される。こうして「私の力は弱さの中で発揮される」を表す聖三打は、「神の力」を象ったラフマニノフの信仰表現であり、小さくても大きな力を秘めた芥子種に他ならない。
著者
小原 俊文 Toshifumi Obara
雑誌
尚絅学院大学紀要 = Bulletin of Shokei Gakuin University (ISSN:2433507X)
巻号頁・発行日
vol.(74), pp.13-27, 2017-12-20

The typical modernist work, Paris by Hope Mirrlees, has not been so much mentioned after its publication in 1919. This rather long poem has many original aspects in its expressions adopting a variety of allusion from the history of Paris, French phrases, monologues, ancient Greek and Roman myth, and Christian rites. It anticipated the wellknown masterpiece, The Waste Land published in 1922. She was a friend of T.S. Eliot for years and might influence him through her work. This thesis aims at investigating both Paris and The Waste Land and studying their common source of anthropological works at that time. Main characteristics of both poems will be described at first and then the source and techniques will be analyzed.
著者
ラフマニノフ セルゲイ 土田 定克 Sergei Rachmaninov Sadakatsu Tsuchida
雑誌
尚絅学院大学紀要 = Bulletin of Shokei Gakuin University (ISSN:2433507X)
巻号頁・発行日
no.83, pp.71-84, 2022-07-28

新しい作品に取りかかるときは、構想を捉えることが先決である。弾き手に才能があれば正しく作品を捉えて伝えることができる。ロシアでは、音楽小学校のうちからテクニックを叩きこむ。ピアニストを目指す者はテクニックを身につけ、肝心要のフレーズのうたい方を学び、何よりも意識の中で真に音楽を感じることができなければならない。この点はテンポを決める際にも同じことである。そして演奏家としての個性を保ちつつも曲の独自性を追究し、ペダルの妙技を極め、因習に陥らないよう気をつけながら真に音楽を理解できるようにならなければならない。そういう真の音楽理解に基づいて聴衆を啓蒙するという使命を持ち、生きた閃きのある演奏を目指すことだ。生きた閃きとは、つまり霊感である。霊感からくる表現はたましいから来るものであって、楽譜に書きこめるものではない。熟練してたましいで奏でているとき、これぞ芸術の使命だという音楽的自覚に目覚めることだろう。
著者
内田 知宏 Tomohiro Uchida
雑誌
尚絅学院大学紀要 = Bulletin of Shokei Gakuin University (ISSN:2433507X)
巻号頁・発行日
no.82, pp.45-52, 2021-12-23

本研究では、全国の高校に郵送調査を実施し、養護教諭におけるメンタルヘルスリテラシー(以下、MHL)の実態について明らかにすることを試みた。思春期・青年期を好発期とする代表的な精神疾患として、統合失調症とうつ病を取り上げ、ヴィネットの症状から問題をどう捉えるのかを検討した。2012年11月から12月までの間に全国の公立、および私立の高等学校から無作為に抽出した1000校に対して郵送法による質問紙調査を実施した結果、349校(回収率34.9%)から返送を得た。対象者には、うつ病または統合失調症の精神疾患のヴィネット(模擬症例)をランダムに1つ提示し、ヴィネットの状態について3件法(1.病名はつくと思う、2.病名はつかないと思う、3.わからない)で尋ねた。さらに、「1.病名はつくと思う」を選択した者には自由記述にて病名の回答を求めた。ヴィネットに対して、病名がつくと回答した養護教諭はうつ病で127名(73.0%)、統合失調症で151名(86.3%)であった。さらに、ヴィネットから病名を特定できていた養護教諭はうつ病で98名(56.3%)、統合失調症で118名(67.4%)であった。養護教諭のうつ病および統合失調症のヴィネットに対する正答率は一般住民よりは高く、日々の業務の中で生徒の心身の健康問題に対応してきた表れとも考えられた。養護教諭は教育現場において、児童・生徒の精神的な不調を早期に発見し、適切な精神保健福祉領域の専門機関につなぐ重要な位置にあるため、思春期・青年期に多発する精神疾患に関する知識や精神的な不調への対応方法を習得しておく必要があるといえる。
著者
水原 克敏 Katsutoshi Mizuhara
雑誌
尚絅学院大学紀要 = Bulletin of Shokei Gakuin University (ISSN:2433507X)
巻号頁・発行日
no.78, pp.1-17, 2019-12-18

2020年度からの大学入学共通テストは、問題山積のまま見切り発車を強行しつつある。それは多面的な能力や意欲等を評価する入試のあり方を志向し、かつ、英語4技能の評価を導入するという改革である。本稿では、まず、文部科学省の大学入試改革と共通テストの方針を検討し、次いで、各大学・高校が多面的な能力や意欲・主体性等についてどのように対応しようとしているのか、その実際的な動向を分析し課題について考察する。
著者
目黒 恒夫 會澤 まりえ 呉 正培 黄 梅英 孟 慶栄 孫 成志 Tsuneo Meguro Marie Aizawa Jeongbae Oh Meiying Huang Qingrong Meng Chengzhi Sun
雑誌
尚絅学院大学紀要 = Bulletin of Shokei Gakuin University (ISSN:2433507X)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.45-61, 2017-12-20

日中韓3ヵ国の大学生の自文化における自己開示の傾向には開示行動、開示意向、開示方法について多くの共通点がみられるが、開示動機については相違点がみられる。その傾向の日中韓比較においては各々の特徴も見出される。これらの相違や特徴を背景とした異文化コミュニケーションにおける自己開示に際して、戸惑い、誤解、文化差などが経験される。各々の自己開示は、言語的制約を内包しつつ、文化的社会的制約を常に負う。また、文化的な相互依存と文化的な相互対峙が地球規模で急速に進んでいるグローバリゼーションの状況に人間は直面している。それゆえに、文化的社会的制約を負いつつも他者を他者性として自覚し、対話的な自己開示を遂行していく人間としての在り方が絶えず問題になる。自己開示を通して人間の人間性を問題にし続けること、多文化社会に生きる人間としての在り方を絶えず志向することが大学教育において要請される。