著者
豊田 哲也
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2007年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.312, 2007 (Released:2007-12-12)

1.問題の所在 「都市と地方の格差問題」は今日わが国における最も重要な政策テーマとなったが、その事実認識について論争はつきない。現象としての所得格差には2つの意味がある。一つは「都市-地方」という空間的な関係であり、もう一つは「富裕層-貧困層」という階層的な関係である。ところが多くの場合、前者の分析は1人あたり県民所得など平均値の差のみに注目し、格差の階層的構造についての視点を欠く。一方、後者の分析は所得再分配調査など全国一律のデータをもとにおこなわれ、地域間の比較については関心がない。しかし、地域と地域の間に格差があるのと同様、どの地域もその内部に階層的な格差を抱えていることは自明の事実である。例えば、高級マンションとホームレスが併存する大都市と、過疎化・高齢化が進む中山間地域を含む地方とでは、いずれの地域で格差がより大きいであろうか。また、地域間・地域内の格差はどの程度拡大しているのか。本研究では、世帯所得の地域格差を空間的・階層的かつ時系列的に分析し、こうした格差を生み出す要因として人口や雇用など地域の社会経済条件との関連を検討することを目的とする。 2.所得の地域格差 使用するデータは「住宅・土地統計調査(都道府県編)」である。「世帯の年間収入」の階級別世帯分布から、線形補完法でメジアン(中位値)、第1五分位値(下位値)、第4五分位値(上位値)を推定するとともに、ジニ係数を求める。なお、実質所得は世帯人員の規模の影響を受けるため、SQRT等価尺度を用いて調整を加えた。1998年から2003年にかけて、等価年間収入の中位値は全国平均で286万円から267万円に約9%低下している。都道県別に見ると、神奈川、東京、千葉など首都圏と愛知で高く、沖縄、鹿児島、宮崎、高知など九州・四国と青森など東北で低い(図1)。 次に、年間収入の中位値を横軸に、ジニ係数を縦軸にとって各都道府県の散布図を描く(図2)。おおむね年間収入が高いほどジニ係数は低いという逆相関を示す。東京は両者とも高いのに対し、大阪や京都では所得水準が中程度でありながらジニ係数は高い。地方でジニ係数が目立って低いのは富山、新潟、長野、山形など北陸・信越地方で、高いのは徳島・高知など南四国と和歌山である。5年間の変化を見ると、縦軸方向で示される地域内格差はやや拡大しているが(ジニ係数の平均値:0.294→0.299)、横軸方向のばらつきで示される地域間格差は、予想に反してむしろ縮小していることがわかる(中位値の変動係数:0.126→0.109)。平均対数偏差(MLD)を用いた要因分解によっても、この結果は支持される。 3.地域格差の要因 空間的な地域間格差と階層的な地域内格差をもたらす要因を探るため、人口や雇用などの地域の変数と所得およびジニ係数との間で相関係数を算出した(表1)。人口構成に関しては、生産年齢人口が多く老年人口が少ない地域ほど所得水準は高い。一方、女性就業率の高さは地域内格差の縮小に貢献している。また、労働力需要が弱い高失業率地域では、所得の下位値が低下しジニ係数が高まる傾向にある。職業別就業構造との関係を見ると、農林漁業が多いほど所得水準は全般的に低く、事務職が多いほど所得水準は高いが、両者ともジニ係数への影響は中立的である。これに対し、専門技術職は上位値を引き上げ、サービス業は下位値を引き下げるよう作用し、両者が相まって格差を拡大する要因となっている。対照的に、ブルーカラー就業者の多い地域では格差が抑制されている。さらに、このような地域間の所得格差は人口移動と強い正の相関を示すことから、地方から都市への人口集中をより促進するよう作用していると考えられる。 4.今後の課題 世帯所得の格差に関する今回の分析から、問題は地域間格差の拡大ではなく、むしろ地域内格差の拡大にあると言える。結果についてさらに解釈を深めるには、推計方法や地域区分を再検討する余地がある。これ以外に都道府県別の世帯所得データが得られる「全国消費実態調査」や「就業構造基本調査」を用いた場合と、結果を比較検証する必要もあろう。今後、地域格差の要因を究明していくには、論理的な因果関係を組み込んだ説明モデルの構築が求めらる。
著者
村田 陽平 埴淵 知哉
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2007年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.601, 2007 (Released:2007-12-12)

回想法(reminiscence, life review)とは,1963年にアメリカの精神科医ロバート・バトラー(Butler,R.N)が提唱した,高齢者を対象とする心理療法の一つである。回想法の目的は,高齢者が専門家とともに,過去の記憶を辿り,今までの人生を振り返りながら,これからの自己の「生」に対する肯定感の獲得を目指すものである。回想法の実施により,自尊感情の高まりなど個人の内面への効果や,生活の活性化や対人関係の進展など社会面への効果等が指摘されており,バトラーの提唱以降,アメリカ,カナダ,イギリスなど欧米を中心に取り組まれてきた。日本でも少なからず研究や実践が進められてきたが,近年では,認知症や閉じこもり等,介護予防の一環として高齢者のQOL(生活の質)の向上に期待できるものとして注目を集めている。この動きの中で,従来は病院や介護施設(特別養護老人ホーム,老人保健施設)など限定された場所で行われてきた回想法を,「地域」の活動としてまちづくりの核に位置づける自治体がみられるようになってきている。そこで,本発表では,回想法を取り入れた2つの地域事例(北名古屋市「回想法センター」・恵那市「明智回想法センター・想い出学校」)の紹介を通じて,回想法と今後の地域づくりとの関係性を考える契機としたい。
著者
渡邉 英明
出版者
人文地理学会
雑誌
人文地理学会大会 研究発表要旨 2007年 人文地理学会大会
巻号頁・発行日
pp.107, 2007 (Released:2007-12-12)

本研究では定期市の変遷を把握する手段として村明細帳に注目する。17世紀末期から各地で作成され始める村明細帳には、自村での市開催や周辺市町の利用状況が記されることがある。そして、これらの記事をもとに村明細帳から近世の定期市が分析できる可能性は戦前から指摘されてきた。だが、当時は史料整理が進んでおらず、村明細帳を広範に収集することは困難だった。だが、武蔵国に関しては『武蔵国村明細帳集成』が1977年に刊行され、近年では村明細帳だけで資料集を刊行する自治体も増えてきた。村明細帳を広範に収集できる条件が整ってきたのである。発表者はこの点に注目し、村明細帳を広域的に収集して定期市に関する項目を分析した。本発表ではそこから得られた知見を報告したい。なお、本発表の対象地域は武蔵国のうち多摩郡以北(以下、北武蔵)とする。江戸府内やその南方では定期市場網の展開が確認できず、官撰地誌を用いた先行研究でも検討の対象外とされているからである。 村明細帳は、江戸時代の領主が村柄を把握するために村々から提出させた帳簿である。村明細帳における定期市関係の記事は、主に自村市場と近隣市場の2種類に整理できる。自村市場の記事は、その村での定期市開催の有無を記したもので、定期市が休止・廃絶している場合はその旨が記される。また、近隣市場の記事は、その村の近隣にある定期市について記し、当該村からの距離が合わせて記載されることが多い。ただし、これらは必ず記される訳ではなく、村明細帳によって、自村市場・近隣市場の両方が記載されるもの、片方だけ記されるものなど区々である。これは、村明細帳はその時々の徴収目的によって記載内容は一定でなかったためだろう。さて、発表者は現在までに、自治体史や埼玉県立文書館での調査から、近世北武蔵の村明細帳624点(310村)を収集した。これは、天保郷帳の村数(2611)の12%に相当する。 以下では、村明細帳における自村市場・近隣市場の記事のそれぞれに注目して検討を進めたい。まず、自村市場の記事は、245点(120村)の村明細帳(全体の約4割)で確認できた。自村市場の記事は、市町が提出した村明細帳とそれ以外とで記載内容が大きく異なる。すなわち、市町の明細帳には定期市の開催とともに、その市日も併せて記されることが多い。それに対し、市町以外の一般農村では、「当村市場ニ而無之候」など定期市が存在しない旨が記されるのみである。当該村がその時点で市町でないことが確認できるのだが、一般農村が市町でないことは、言わば当然のことであり、さして重要な情報とは言い難い。従って、自村市場の記事は、市町の明細帳において特に注目される。市町が提出した明細帳は61点あり、うち51点で自村市場の記事が確認できる。市町の明細帳は、市場争論で定期市開催の証拠として採用された例が確認でき、また、市町として重要な事柄であることからも、その情報はかなり正確に記されたと思われる。記事の内容として最も多いのは市日に関する記載で、ある時期の市日を確認できることは、市場網の変遷を把握する際に意義が大きい。また、休止中の定期市や、以前に定期市が存在した古市場の記事は、個々の定期市の消長を示す記録として重要である。また、官撰地誌には表れない定期市の存在が、村明細帳から明らかになる場合がある。 近隣市場の記事は、172点(117村)の村明細帳(全体の約3割)で確認できた。そこでは、近隣市町名と提出村からの距離が記されることが多く、明細帳を提出した村々がどの定期市を利用したのかを示すデータとして価値が高い。『新編武蔵国風土記稿』にはこうした記事はなく、江戸時代の武蔵国における定期市の商圏は、今まで不明な点が多かった。これを鑑みると、個々の定期市の商圏について、江戸時代の同時代データを提供する村明細帳の価値は大きい。近隣市場のデータは西部山麓地帯や東部地域で多く確認でき、熊谷・川越・秩父大宮郷など近代に高い中心性を呈する町は、近世においても相対的に広い商圏を有した。なお、官撰地誌に表れない定期市や、個々の定期市の消長が読み取れる点は、自村市場の記事と同様である。近隣市場としてあがる市町は、古市場と明記される例が確認できず、基本的にその時点で存在したとみなされる。だが、個々の市町の厳密な消長の時期について、近隣市場の記事を証拠として画定するには留保が必要だろう。村明細帳は、先年の提出分をそのまま写すことも多く、近隣市場の細かい動向を逐一反映するとは限らないからである。なお、31点の村明細帳において、近隣市場での取引商品に関する記事が確認でき、西部山麓地帯では織物、平野部では穀物があがることが多い。こうした定期市の取引品目に関する地域的特徴は、民俗調査などで明らかにされている近代のあり方と共通点が大きい。