著者
岡崎 正道 OKAZAKI Masamichi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
人間・文化・社会
巻号頁・発行日
pp.347-366, 1997-03-28

「国体」と言えば,戦後世代には「国民体育大会」の略称としか伝わらない。しかし戦前においてはこの言葉は,天皇を神聖不可侵の絶対的存在と位置づげ,これに対する無限の忠誠を日本人の崇高な責務として強要する,イデオロギーの表現にはかならなかった。大戦末期には,「国体護持」に固執するあまり戦争終結の方策を誤り,ついに原爆の惨禍を阻止することもかなわなかった。すなわち「国体」と引き換えに,幾十万の無筆の生命が奪われたのである。アジアの無数の民にはかり知れぬ痛苦を与えた侵略行為の根底にも,この「国体」の妄想があったことは言を持たない。そしてこの観念に対し異を唱える者は「国賊」「非国民」の罵声を浴び,疑念なくこれを信奉すべく大多数の日本人が徹底的に精神を呪縛された。まさに一億総マインドコントロールの恐怖である。だがかかる「国体」の観念は,実は戦時中の軍国主義の特産物ではない。その淵源は,幕末期のナショナリズムの高揚の中で唱導された,国家独立の希求のスローガンにある。本稿では,そうした前史をふまえつつ,近代日本における国体観念の諸相について論じてみたい。
著者
岡崎 正道
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
人間・文化・社会
巻号頁・発行日
pp.347-366, 1997-03-28

「国体」と言えば,戦後世代には「国民体育大会」の略称としか伝わらない。しかし戦前においてはこの言葉は,天皇を神聖不可侵の絶対的存在と位置づげ,これに対する無限の忠誠を日本人の崇高な責務として強要する,イデオロギーの表現にはかならなかった。大戦末期には,「国体護持」に固執するあまり戦争終結の方策を誤り,ついに原爆の惨禍を阻止することもかなわなかった。すなわち「国体」と引き換えに,幾十万の無筆の生命が奪われたのである。アジアの無数の民にはかり知れぬ痛苦を与えた侵略行為の根底にも,この「国体」の妄想があったことは言を持たない。そしてこの観念に対し異を唱える者は「国賊」「非国民」の罵声を浴び,疑念なくこれを信奉すべく大多数の日本人が徹底的に精神を呪縛された。まさに一億総マインドコントロールの恐怖である。だがかかる「国体」の観念は,実は戦時中の軍国主義の特産物ではない。その淵源は,幕末期のナショナリズムの高揚の中で唱導された,国家独立の希求のスローガンにある。本稿では,そうした前史をふまえつつ,近代日本における国体観念の諸相について論じてみたい。
著者
長野 俊一 NAGANO Shunichi
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
人間・文化・社会
巻号頁・発行日
pp.311-328, 1997-03-28

歴史の大きな変化がトルストイの領地ヤースナヤ・ポリャーナ周辺にも忍び寄っていた。今や,父祖伝来の土地をモスクワ-クールスク鉄道が横切っている。「そこからほ,ほとんど絶え間なしに,汽笛や車輪の騒音,石炭の悪臭を放つ煙が私のところまでやってくる。百七十年前,そこにはキエフ街道がたった一本あったきりで,それも敷設されたものではなく,馬車に乗り慣らされた道であった・・・・・・」1)。百七十年前(ピョ- トル大帝の時代)から急激な西欧化を推し進めてきたロシア社会の近代化のスピードをトルストイは憎む。鉄道は皮肉にも都市と農村の分断化を促進し,農村を荒廃させ,大地を揺るがせながら,文明の果実をロシアに搬送し,人びとの私的な生活領域にまで侵入してくる。家父長制が崩壊する兆しを見せていた。いわゆる「女性問題」жeнский вопрос が声高に議論され,J.S.ミルの『女性の隷属』がロシア語訳で出版されると,瞬く間に版を重ねた。トルストイもまた,ピョートルの時代に題材を取った歴史小説を中断し,「現代の私的な生活からなる長編小説」を構想して「家庭の思想」2)を描くことになる。鉄道は混沌とした生の結び目のシンボルだ。B.シクロフスキイによれば,「トルストイにとって鉄道とは,生活の中へ侵入して,潜んでいた情欲を解き放つものの徴候である」3)トルストイはやがて,未来の小説のヒロインと同名の一女性が情夫への嫉妬に悩んだ末,モスクワ=クールスク線の貨物列車の車輪の下に身を投げ,その轢死体が解剖される現場に立ち会うことになる。一つのモチーフが偶然にも整った。アソナ・アルカージエヴナ・カレーニナという恐らくは現代女性にとっても魅力的な,時代の誇りにもなり得た女性の悲劇のシナリオは,プーシキンが未完の小説『客たちは別荘に集まった・・・・・・』の中で, トルストイにその完成を引き継ぐべく準備してくれていたかのようである。「情熱で身を滅ぼす」4) ジナイーダ・ヴォ-リスカヤが半世紀のちにアンナと名を変えて現れるだろう。舞台装置も整った。では,アンナの悲劇はいかに描かれているのか, トルストイが愛したと言われる「家庭の思想」мыслъ семейная は小説においてどのように具象化されているのか,誰がアンナを殺したのか, トルストイは果してここでも札付きのミソジニストなのか-これらの問題群をテクストに沿って考えていくことにしよう。
著者
高野 修 TAKANO Osamu
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
人間・文化・社会
巻号頁・発行日
pp.497-514, 1997-03-28

訴えの利益は、処分性とならび、取消訴訟の利用可能範囲を画する要件論であることから、現代社会における行政活動-の司法救済のあり方の問題として、さまざまな事件を契機に行政法学において盛んに論じられてきた。学説は、法律上保護されている利益説と法律上保護に値する利益説1)に大別できる。前者は、・裁判実務のとるところであり2)、救済を求めている利益が処分の根拠法律で保護されていることが必要であるとするのに対し、後者は、事実上の利益でも裁判的救済に値するものであればよいとする。理論的な両者の違いもさることながら3)、意味的には明らかに後者が広く、原告適格を拡大することになる。しかし、実際には、法律上保護されている利益が何か、実体法において一義的に明らかに定められているものではなく、ある利益がそれに当たるか否かは、処分の根拠法律や関連法規の解釈作業を通じて判断されなければならない。しかも、その解釈において実務は、解釈基準4)辛考慮要因5)を緩やかにとらえる傾向を示している。その結果、文言上は依然として法律上保護されている利益説をとっているが、実質的には法律上保護に値する利益説をとったとも解されうる判例が出現してきている6)。それだけに、訴えの利益に関しては、学説の理論的検討とは別に、具体事例を検討し、訴えの利益解釈の際に決め手とされている事項等を分析することが、実質的に重要となってきていると言えるだろう。本稿は、このような見地から、履行済ポスト・ノーティス命令に対して取消の訴えの利益を認めたヒノヤタクシー事件を扱うものである。ポスト・ノーティス命令の義務内容を一定期間文書を掲示する作為義務と解する限り、命ぜられた期間掲示をしたことにより命令の効果はなくなったと解せられ、掲示という事実行為も期間の満了により終了していて、取り消すべき対象が無くなっている7)はずである。それにも拘らず訴えの利益が認められた事情を探り、その法的構成を検討することが本稿の目的である。そのため、予備的問題整理の後、行政事件訴訟法9条かっこ書き、「取消によって回復すべき法律上の利益」の判断基準を判例の分析を通して明らかにする。その結論、当該不利益に他の救済手段がないこと、当該不利益が処分と法的当然の関係で結びついていること、からすれば事件は9条かっこ書きの場合に該当しない。次に、ポスト・ノーティス命令の直接の法効果を検討する。結論から言えば、ポスト・ノーティス命令の法効果を単なる文書掲示義務8)ととらえるだけでは足りない。文書内容を加えて検討することが必要であり、文書内容に謝罪や誓約が表明されているとき、掲示が期間の満了で終了しても、そのような文書が掲示されたことが労使関係に重要な意味を残すことは大いにある。かかるポスト・ノーティス命令の実質的意義が認められて、命令権限が定められているのであるから、適法な命令が使用者の名誉や信用を侵害するような場合、受忍義務が権限の前提にされていると構成されねばならない。結局、ポスト・ノーティス命令の義務内容は、履行と期間の満了によって消滅する単なる作為義務にとどまらないで、受命者に生じた名誉や信用の侵害が履行後もなお残っている限りその受忍を義務付けているものと解すべきである。以上が本稿の構成と内容である。