著者
石多 正男
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.113-137, 2017-03-31 (Released:2017-06-02)

戦後の教養教育は1991年の大学設置基準の大綱化によって大きな変容を迫られた。そして2015年の文科省による「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて」がこれにさらなる刺激を与えた。近年、教養教育の重要性を認識する大学はさまざまな試行を繰り返しているが、その際、しばしば問題になるのが理系と文系の関係である。教養教育は本来理系・文系ともに担うものである。にもかかわらず「教養教育は文系が担うもの」という発想がある。理系と文系は対立関係にあるものとして捉えられる。そして、この対立の意識が相互の無理解を助長させ、改善の際の支障にすらなっている。なぜ、理系は教養教育になじまないのか、理由を研究、教育両面から考えた。理系の研究は非常に高度化・細分化されており、共同研究が基本であると同時に、研究室という密室に近い空間の中で行われる。また、教育の面では文系のように演習形式により学生と自由に議論するのではなく、実験室での指導が中心となる。このような理系の研究・教育のスタイルはやはり教養教育にはなじまないのかもしれない。とはいえ、現代社会はさまざまな問題に直面している。これに対処するのに教養は必須である。教養教育における理系の位置づけを再考する時期に来ているのではないだろうか。
著者
谷口 哲也
出版者
Kitasato University College of Liberal Arts and Sciences
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.67-73, 2010-03-31 (Released:2017-09-29)

本稿において、クリフォードトーラスのスペクトルデータによる構成方法を紹介する。 本稿の1節から3節はディラック作用素のスペクトルデータによるクリフォードトーラスの構成に関するもので、 Taimanov の Clifford torus に関する仕事 ([5]) を必要最小限に紹介したものである。 Taimanovはあるディラック作用素のスペクトルデータを発見し、ディラック作用素の核を具体的に構成した。さらに、その核をワイエルシュトラスの表現公式に適用しクリフォードトーラスを構成した。 4節において、 Ian McIntosh によって導入された複素平面から複素射影空間への調和写像のあるスペクトルデータを探し出し、対応する調和写像は幾何学的な方法を用いて、クリフォードトーラスに変換可能であることを報告する。
著者
三田 順
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.1-15, 2017

<p> 本論ではベルギー出身の象徴主義詩人ポール・ジェラルディー(Paul Gérardy, 1871-1933)を取り上げ、多文化、多言語の狭間で生きたこの作家のアイデンティティーの所在を探ると共に、同時代のベルギー象徴主義運動との関わりを考察した。現在ベルギー王国の公用語はオランダ語、フランス語、ドイツ語の三カ国語となっているが、今日ドイツ語圏となっている地域がベルギーに編入されたのは第一次世界大戦後のことで、ジェラルディーの生地マルディンゲンは当時プロイセン帝国領であった。その後孤児となり、ベルギー南部ワロニーの中心都市リエージュで育ったジェラルディーは、まずフランス語作家として当時ベルギーで盛り上がりを見せていた象徴主義の影響下で詩作を開始するが、当初からドイツ語による詩作の意志を有しており、シュテファン・ゲオルゲとの出会いを機にドイツ語詩の取り組みを本格的に開始する。独仏両言語で執筆したジェラルディーは「ベルギー・ドイツ語文学」の先駆的作家としても見なし得る興味深い考察対象であるものの、ベルギー・フランス語文学史において長く忘却された作家であった。</p><p> アルベール・モッケルによってフランスからベルギー文壇にもたらされた象徴主義の薫香を受けたフランス語詩人として出発し、当初、モッケルが同時に主張した「ワロニー主義」への素朴な共感を示していた彼のアイデンティティーは、ドイツ語詩の試みと断念、後の風刺作品におけるベルギー批判に見られる様に、一時的な揺らぎは認められながらも終生ベルギーから離れることはなかった。ジェラルディー自身は、その詩作品において、モッケルの主張したワロニー主義や、ブリュッセルのヴラーンデレン系フランス語作家の主張したゲルマンとラテンの混合物としてのベルギー性を直接的に表現することはなかったが、モーリス・マーテルランクを始めとするベルギー象徴派詩人達と同じくドイツに文学的霊感源を認め、ドイツ語の放棄と共に詩作自体からも離れたジェラルディーは、象徴主義詩人として「北方の想像力」に多くを負っていた点で、「ゲルマン」という北方性をアイデンティティーの核に据えていたベルギー象徴派の特質を共有していたといえるであろう。</p>