著者
清塚 邦彦
出版者
山形大学
雑誌
山形大学人文学部研究年報
巻号頁・発行日
vol.1, pp.37-64, 2004-02-25

以下において検討を加えたいのは,ネルソン・グッドマンが『芸術の言語』(第2版,1976年 ― 引用の際にはLAと略記)をはじめとする著作の中で提示した絵画に関する記号論的分析であり,特に,絵による描写・再現の働きについての分析である。グッドマンの記号論については,「例示(exemplification)」の概念に関わる部分については別稿(清塚[1999a])において詳細な検討を行った。今回の論考は,それと対をなすrepresentationの概念を主題とする続編に当たるものである。この主題についてはすでに別稿(清塚[2002])において,やや異なる文脈の中で部分的な形で紹介・検討を加えたことがあるが,本稿の課題は,絵による描写・再現と関わるグッドマンの理論をより完全な形で紹介し,それに対する修正提案の方向を明確化することにある。
著者
中村 唯史
出版者
山形大学
雑誌
山形大学人文学部研究年報
巻号頁・発行日
vol.3, pp.29-44, 2006-02-20

日本のある種のマンガ(いわゆる「少女マンガ」)には,一時期,他の芸術にはない独自の言語位相が認められた。図1における中央部白ヌキの言葉は,その一例である。1981年にこのページに驚いた私は,その後少女マンガをよく読むようになったが,それは主としてこの位相に引かれたためであった。これはマンガを描く能力を持たない私のような者には,なかなか実現できない位相である。このような言葉は,他の芸術ジャンルでは,たとえマンガの隣接領域である文学やアニメにおいてさえ,作り出すことが容易ではない。白ヌキの言葉(「ハンプティ/ダンプティ/死んでしまった/白ねずみ, くだけた/ガラス/食べちゃった/お菓子,すべて/もとには/もどらない」) それ自体はいうまでもなく『マザーグース』の歌詞であり,文学の領域においてすでに実現されているものだ。したがってこの言葉が少女マンガ独自の位相を帯びているというのは,言葉それ自体によるのではない。この言葉と作中人物たちとの関係や,この言葉が作品世界で果たしている役割が,他の芸術ジャンルにはあまり見られないようなものなのである。この位相を持つ言葉は,形態面についていえば,吹きだしや枠で囲まれることなく,いわばむき出しで画面上に配置されている場合が多い。本稿はこの少女マンガ独自の言語位相の考察を目的とする。ただしここで対象とする言葉の位相は,1970年代から80年代にかけて発達し,一部の少年マンガや劇画にまで影響を及ぼしたものの,1990年前後を境に急速に衰退して,現在ではすでに少女マンガにおいてさえアクチュアルな位相とは見なされていない。1990年代以降に登場した描き手たちの多くは,この言語位相の使用を好まない。
著者
森岡 卓司
出版者
山形大学人文学部
雑誌
山形大学人文学部研究年報
巻号頁・発行日
no.11, pp.124-107, 2014-03

In his discussion of the Great East Japan Earthquake of 2011, Tamaki Saito highlights the implications of what he terms 'verbal ataxia.' According to him, verbal ataxia is coterminous with various currents and trends of post-WWII Japanese literary criticism while, meanwhile, it has now emerged as the crux of the symbolic order that underlies human communication in post-quake Japan. This paper has two aims. Firstly, to clarify the historical context behind a literary criticism where 'literature' and 'reality' are intertwined; secondly, to appraise verbal ataxia as an element that suppresses the human mind as a moral agent. The focus of my analysis is Genichiro Takahashi's Koisuru Genpatsu, along with critiques by Toshinao Sasaki and Norihiro Kato.
著者
松尾 剛次
出版者
山形大学
雑誌
山形大学人文学部研究年報
巻号頁・発行日
vol.7, pp.121-170, 2010-03-23

はじめに ここで文書目録を刊行する真田玉蔵坊文書は, 羽黒山妻帯修験の頂点に立っていた真田玉蔵坊家に伝わった文書群である。真田玉蔵坊家は, 承久元(一二二一) 年に起こった承久の乱に際し, 鎌倉幕府から羽黒山に所司代として遣わされた真田家久に始まるという。玉蔵坊文書は七一六点もある。そのほとんどは, 一七-一九世紀の江戸時代の文書および冊子であるが, 二点の中世文書(近世に書写された) が特に注目される。それらは, 康暦二(一三八〇) 年一一月一五日付の「なかをく辺いのこほりのちしきとう々之事」(目録番号2-136,以下, 番号のみ記す) と応永二五(一四一八) 年九月四日付「二迫うくい沢木仏等先達之者之預ける分書上写」(1-1) である。それらは, 中世における霞(修験者の縄張り) 支配のありようを伝える貴重な史料であり, 別稿で紹介し考察を加えた。ところで, 羽黒修験は, 山上の別当宝前院以下三十二院に暮らす清僧修験と麓の手向の三六〇坊に暮らす妻帯修験とに分かれる。真田玉蔵坊家は, 手向の妻帯修験の代表者として, 種々の特権と義務を負っていた。玉蔵坊文書からも, そのありようを窺うことができる。