著者
中野 里美
出版者
明治大学大学院
雑誌
明治大学大学院紀要 文学篇 (ISSN:03896072)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.281-290, 1993-02-15

1893年にサンフランシスコで殺人事件が起こった。「コリンズという労働者が、妻と別居中に、その妻を幼稚園の控え室で刺し殺したというもので、妻は雑役婦であったが、夫に金を渡すのを拒んだ」という内容である。この事件を基にして書かれたフランク・ノリス(1870~1902)の『マクティーグ』(1899)は、ハーヴァード大学在学中におけるゲイツ教授の授業の課題作文から生まれたものである。ノリスの属する自然主義の小説に見られる人間像は「人間存在の全体はいたずらに悲劇的だ、そう彼は言っているかに見える。人間の男女には真に選択する力はない。彼等は苦しむために生まれるが、ギリシア悲劇のヒーローのような高貴な諦念があるわけではない」と表される。なぜ自然主義小説の登場人物が悲劇的で苦悩の人生を送らねばならないか。それは「人間に自由意思はない、外部と内部の力、環境や遺伝が人間を支配し、その行動を決定する」からである。
著者
畑中 敏夫
出版者
明治大学大学院
雑誌
明治大学大学院紀要 文学篇 (ISSN:03896072)
巻号頁・発行日
no.19, pp.39-47, 1982-02-10

マクシム・ルロワはその『サント・ブーヴの思想』の中でコンディヤックを始祖とする感覚論哲学がサント・ブーヴに及ぼした影響について述べているが、特に18世紀後半のパリ大学医学部教授であり、生理学的心理学の創始者カバニスの影響を重視している。このカバニスは、サント・ブーヴの心理的自伝とも言い得る『快楽』の中でその名を挙げ、主人公アモリーがその哲学的見解に強い印象を受ける場面がある。サント・ブーヴがその文学活動を始める以前医学の勉強を続けていたことは衆知の事実である。1818年パリに出てきたサント・ブーヴはコレージュに通うかたわら、ほぼ19歳頃より毎晩アテネ学校に、生理学、博物学の講義を聞きにいっていたのであるが、この学校に通学したことが、彼の批評の形成に大きな役割りを与えることになった。
著者
今關 アン
出版者
明治大学大学院
雑誌
明治大学大学院紀要 文学篇 (ISSN:03896072)
巻号頁・発行日
no.23, pp.131-146, 1986-02-12

1910年、ルイ・ポワリエLouis Poirierはブルターニュ地方に通じる街道筋にあるメーヌ・エ・ロワール(Meine‐et‐Loire)県、サン・フロラン・ル・ヴィエイユ(Saint‐Florent‐le‐Vieil)で生まれた。幼少時代、しばしばヴァカンスをブルターニュのポルニシェPornichetで過す。後に敬愛するシュルレアリストAndré Bretonと邂逅するナントで中等教育を受ける。この時期、将来の文学活動に決定的な影響を与えたと思われる、ポー、スタンダールなど愛読する。1928年、パリに上京し、アンリⅣ校の生徒となる。この時期に、ワグナーの『パルジファル』のオペラ公演を見、一種の啓示を受け、そこから聖杯伝説への興味が生まれる。
著者
佐藤 清隆
出版者
明治大学大学院
雑誌
明治大学大学院紀要 文学篇 (ISSN:03896072)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.149-165, 1978-12-01

画期をなす当該イングランド社会は貧民(the poor)が未だ嘗てないほど王国のあちこちに発生し、そのことが一つの大きな社会問題となって来る時期である。16世紀に入るとそれまで「教会」中心であった救貧が国家や諸都市の世俗的権力による貧民政策へと転換されるのもこの夥しい貧民の発生と深く関連している。つまり、国家による一連の救貧法施行やロンドンを初めとする多くの諸都市による貧民の調査、乞食厳禁、強制的な救貧税の徴収、病人の慈恵院収容、怠惰者・浮浪者の矯正院収容等さまざまな救貧政策の実施がそのことを物語っている。ところで、これらの政策の対象とされた貧民の世界はどのような様相を呈していたであろうか。
著者
平野 恵
出版者
明治大学大学院
雑誌
明治大学大学院紀要 文学篇 (ISSN:03896072)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.377-395, 1992-02-15