著者
嶋守 さやか 五郎丸 聖子
出版者
桜花学園大学保育学部
雑誌
桜花学園大学保育学部研究紀要 = BULLETIN OF SCHOOL OF EARLY CHILDHOOD EDUCATION AND CARE OHKAGAKUEN UNIVETSITY (ISSN:13483641)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.45-65, 2018-10-31

本論文では、「問い」とは何かを問うことで出合った満洲開拓についての史実を扱ってきた。そこで筆者であるわたしたちが何よりも心がけたのが、歴史への真摯さ、である。記憶を後世へ伝えていくためには記録しなければならない。そのとき、記録の伝え手は、まず記憶の受け手としてのあり方を問われることになる。どのように歴史が書き換えられることになろうとも、その叙述が書き換えられるかぎり、そこにその出来事があったということを、まずはそのままに受けとめること。この誠実さを貫徹するにあたっては、何が正義で悪なのか、被害と加害を分断する境界線、運命の別れ目―あるいは、「仕方がなかった」で済まされはしないすべてのこと―に対しての解答などないと弁えること。リルケのいう「問い」にある忍耐を受けとめることを何よりも謙虚に受けとめていくべきではないかと考察した。
著者
嶋守 さやか 五郎丸 聖子
出版者
桜花学園大学保育学部
雑誌
桜花学園大学保育学部研究紀要 = BULLETIN OF SCHOOL OF EARLY CHILDHOOD EDUCATION AND CARE OHKAGAKUEN UNIVETSITY (ISSN:13483641)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.45-65, 2018-10-31

本論文では、「問い」とは何かを問うことで出合った満洲開拓についての史実を扱ってきた。そこで筆者であるわたしたちが何よりも心がけたのが、歴史への真摯さ、である。記憶を後世へ伝えていくためには記録しなければならない。そのとき、記録の伝え手は、まず記憶の受け手としてのあり方を問われることになる。どのように歴史が書き換えられることになろうとも、その叙述が書き換えられるかぎり、そこにその出来事があったということを、まずはそのままに受けとめること。この誠実さを貫徹するにあたっては、何が正義で悪なのか、被害と加害を分断する境界線、運命の別れ目―あるいは、「仕方がなかった」で済まされはしないすべてのこと―に対しての解答などないと弁えること。リルケのいう「問い」にある忍耐を受けとめることを何よりも謙虚に受けとめていくべきではないかと考察した。
著者
石月 静恵
出版者
桜花学園大学保育学部
雑誌
桜花学園大学保育学部研究紀要 = BULLETIN OF SCHOOL OF EARLY CHILDHOOD EDUCATION AND CARE OHKAGAKUEN UNIVETSITY (ISSN:13483641)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.91-106, 2018-10-31

1918年7月に鈴木三重吉によって創刊された『赤い鳥』は、児童作家を輩出し、教育運動にも大きな影響を与えた。本稿では、同書に掲載された子どもたちの「綴方」から、当時の子どもたちの状況を描き、特に子どもたちが表現した「家族」の姿を紹介し、分析している。「はじめに」で、研究史を整理し、作品研究が多いが、子ども自身の表現はあまり研究されていないことを指摘した。まず、一で、同書の「綴方」の全体像を述べた。作品総数は1200編ほどで、その4分の1以上が家族に関わるものである。二で、子どもたちが描いた多様な家族の姿を紹介した。三で、「家族の死」を表現した作品を紹介し、子どもたちがそれを受容したことについて分析した。おわりにで戦間期の乳児死亡や出産に伴う母親の死を表現することで子どもたちが家族の死を受容し、表現することで乗り越えていったと分析した。
著者
森川 拓也
出版者
桜花学園大学
雑誌
桜花学園大学保育学部研究紀要 = BULLETIN OF SCHOOL OF EARLY CHILDHOOD EDUCATION AND CARE OHKAGAKUEN UNIVETSITY (ISSN:13483641)
巻号頁・発行日
no.22, pp.77-90, 2020-11-30

平成20年度版小学校学習指導要領において「伝統的な言語文化に関する事項」が新たに設けられ、現行の小学校学習指導要領でも「我が国の言語文化に関する事項」として、同じく3・4学年で俳句と短歌が取り扱われている。その内容は「親しむこと」が重視され、その作品の内容についての鑑賞・解釈という点は求めてはいない。しかし、それでは俳句本来の価値に触れることは難しい。つまり文学作品としての短歌や俳句は、短く少ない言葉に秘められた思い、奥深さ、言葉によるイメージの膨らみを得ることがその価値である。その価値に触れてこそ、より親しみを感じるのではないのだろうか。その見地に立ち、光村図書教科書4年上で扱われている「雀の子そこのけそこのけ御馬が通る」(小林一茶)の俳句を例に、児童が俳句の内容に迫る授業の可能性を、授業実践例から考察した。児童は、句の中の数少ない言葉の意味、その言葉から導き出されるイメージを駆使して、この句の内容に迫っていくことができた。その授業からは、言葉というはっきりした証拠をもって豊かに想像を膨らませることの可能性が示されたと言える。