著者
白峰 旬
出版者
別府大学大学院文学研究科
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.14, pp.57-76, 2012-03

従来の通説では、"小山評定"は、慶長5年7月25日、徳川家康が上杉討伐のために東下した諸将を小山(下野国=現栃木県小山市)に招集して、上杉討伐の中止と諸将の西上を決定した軍議として有名であり、これまで関ヶ原の戦いに関する研究史において、動かしようのない"歴史的事実"として通説化して扱われてきた。しかし、本稿では一次史料の詳細な内容検討により、これまで通説で肯定されてきた"小山評定"が歴史的事実ではなく、フィクションであることを論証し、フィクションとしての"小山評定"が江戸時代に捏造された背景についても論及した。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学大学院文学研究科
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.14, pp.37-56, 2012-03

※拙稿「慶長5年6月~同年9月における徳川家康の軍事行動について(その1)」(『別府大学紀要』53号、別府大学会、2012年)より続く。慶長5年9月15日の関ヶ原の戦いに至る政治的・軍事的動向を把握するうえで、同年6月~9月における徳川家康の軍事行動について検討することは重要であり、必要不可欠な考察であると言えよう。本稿では、当該期に家康が発給した多くの書状を中心にその内容分析をおこない、昨年(2011年)3月に刊行された『愛知県史』資料編13、織豊3の所収史料など新出史料の分析もおこない、新知見を得ることを目指すものである。
著者
段上 達雄
出版者
別府大学大学院文学研究科
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.3, pp.63-71, 2001-03

挿図あり