著者
安松 みゆき
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学紀要 (ISSN:02864983)
巻号頁・発行日
no.58, pp.17-26, 2017-02

本稿では、1939年の「伯林日本古美術展」における日本美術受容のひとつの特異な事例として、同展覧会を熱心に鑑賞する姿が写真に残されたナチスの親衛隊長ハインリヒ・ヒムラーに注目して、かれの東洋および日本美術への意識とその背景を探った。その結果、ヒムラーの日本美術受容は、日独関係強化を目指す政治・外交的な意図とも、また浮世絵・工芸に偏った日本美術受容を改めようとする学術的な意図とも異なり、ナチスのイデオロギーが、自らの都合に合わせて日本や東洋の文化に焦点を当てたものと総括し得た。
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.A37-A54, 2001-03

挿図ありCacilie Graf-Pfaff (1862-1939), moderne deutsche Malerin, die zwar offensichtlich enge Kontakte ze dem dritten Reich, aber auch zu dem japanischen Maler Naojiroh Harada und dem Schriftsteller Ohgai Mori hatte, ist auch durch ihr "Japanisches Gespensterbuch" bekannt. In diesem Beitrag wird daruber hinaus ihre tiefe Kenntnisse der japanischen Kunstszene unter Beweis gestellt. Das Buch "Japanisches Gespensterbuch", das Ihr wissenschaftliche Erfolg zeigt, gilt nicht nur als die kostbaren Materialien fur die japanische Literatur und Volkskunde wegen der Genauigkeit der darin beschriebenen japanischen Legenden, sondern auch als die raren, um die damalige Ukiyoe Sammlungssituation in Deutschland zu wissen, wegen der vielen Abbildungen in diesem Buch, die meisten Ukiyoe sind und die Sammlern in Deutschland gehoren.
著者
安松 みゆき
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.71-84, 2008-06-30

In 1939 wurde die Ausstellung altjapanischer Kunst in Berlin verangestaltet, eine der grossten Ausstellungen von der japanischen Kunst in Europa. In dieser Ausstellung gehorten 94 Werke unter die 126 ausgestellten Objekte zu den staatlichen Kunstdenkmalern von Japan. Aber die politische Situation unter der Nazi-Regierung warf Schatten auf diese Ausstellung. Trotz der seltenen Bedeutung im Kunstaustausch ist sie sowohl in Deutschland als auch in Japan fast Vergessenheit geraten. Seit 1999 untersuche ich uber diese Ausstellung und ihre Hintergrunde der Realisierung. Dieser Beitrag versucht, durch die damaligen Presseberichten, Nachlichtsfilme und sonstigen Quellen die Umstande dieser Ausstellung ausfuhrlicher zu erfassn. Man gelangt zu dem Ergebnis, dass die Materialien die bemerkenswerten Widerspruche und Unterschiede in Haltung und Absicht der Mitspieler dieser Ausstellung zeigen. Das ist: 1) Widerspruch zwischen den japanischen und deutschen Presseberichten uber die Hitlers Interesse an der japanischen Kunst; 2) Die Schatzung der japanischen Kunst und nicht eindeutige Haltung der deutschen Presseberichten zur "Entaltete Kunst", die sie fur die Schatzung der japanischen Kunst herangezogen haben; 3) Schatzung von Ukiyoe und Malerei bzw. Skulptur von den japanischen und deutschen Kunsthistoriker und Politiker.
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.23, pp.73-84, 2021-03

大分県宇佐市の教覚寺に日露戦争や第二次大戦の軍艦模型が保管されてきている。製作した伊藤金二郎は同寺住職平田崇英の祖父にあたる。今回の調査より、伊藤の模型は、海軍への憧れに根ざしたとはいえ、優れた軍艦模型のため時代の中で大きな役割を担ったことがわかった。ヒトラーへの模型贈呈はその一例であり、日独関係の強化を演出する一要素になった。今後この稀有な歴史史料は修復の上、常設的に展示されることが望まれる。
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学紀要 (ISSN:02864983)
巻号頁・発行日
no.62, pp.1-13, 2021-02

新制大学創立70周年記念特集号ナチス時代の「体制派美術」は、ヒトラーの美術観の下に写実性を重視した独自の保守的傾向の美術と見做される。だがいかなる美術的背景から生じたものかは十分に検証されていない。本稿では特徴的な女性の裸体画を大ドイツ美術展に出展した画家達の経歴を洗い出す作業によって美術教育の場や創作の地域性を検討した。コロナ禍で現地調査ができず、作品分析等は今後の課題とし、公開されたデータベースと文献による検討を試みた。
著者
安松 みゆき
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.43-56, 2001

Das Wiener Opernhaus von Eduard van der Null (Architekt) und August Sicard von Siccardsburg (Bauingenieur) wurde schon seit langem ins besondere von der Kunstund Architekturgeschichte als Gebaude mit unklarem Stil kritisiert, obwohl man es seiner Zeit als das Symbol der Stadt Wien geplant hatte und es sehr bekannt ist. Der Hauptgrund der Kritik ist, dass der Historismus nur die leicht erkennbare Kopie, d.h. den klaren historischen Stil, geduldet hat. Nach der neueren Betrachtung der modernen Architekturgeschichte, wie zum Beispiel der von W. Curtis, hat aber die moderne Architektur den Historismus nicht einfach als Nachahmung der vergangenen Stile abgelehnt, sondern ist durch abstrakte Zitaten der vergangenen Formen mit dem Historismus in Beziehung gestanden. Mit der Erkenntniss dieses Hintergrunds konnte der "unklare Stil" des Opernhauses in Wien positiv beurteilt werden. Dieser Beitrag versucht es durch eine Untersuchung der baulichen Merkmale zu interpretieren, warum der Stil des Opernhauses in Wien unklar ist. Beleuchtet wird nicht nur der Stilcharakter des Gebaudes selbst, sondern auch die Theorien um den Stilstreit der Architektur in 19. Jahrhundert ebenso wie der Gedanke zum das Ornament wie ihn der Architekt van der Null entwickelt.
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2005

本研究は、ドイツ第三帝国時において日本美術がどのように受容されたのか、その展開を考察するものである。近代のドイツにおいて最も日本と緊密な関係を保持したのは、日本と同盟を結んだドイツ第三帝国の時期であった。この時期にドイツは美術や文化を政治戦略に組み入れており、第一次大戦時には帝国であった日本のイメージを変えるためにも日本美術もその戦略と無関係ではなかったはずだが、そうした問題意識が従来認められず、研究にはいたっていなかった。本考察では、特に政治戦略の問題に焦点をあてて検討をすすめた。その結果は、学術雑誌にまとめているように、つぎのような内容となった。第一に、1939年に日本美術受容の最大のイベントとなったベルリンでの日本古美術展覧会が開催されたのち、ドイツでは、民衆をキーワードとして、美術をとおした交流でなく、映画などの文化という、より幅の広い分野において日本との密接な関係を保持していったことが、ドイツの美術史家ルムプフと日独文化協会の活動によって明らかになった。第二に、文化協定の下で開催された展覧会の再考をとおして、美術品が政治性を担うことでその意味と質を変えていくことを確認し得た。その際に、展覧会が政治性を強く帯びるのは、ドイツ政府が後援となったときよりも、ドイツの宣伝省がかかわった例であったことが把握できた。第三に、第三帝国時の主要都市であるベルリンとミュンヒェンの文化的歴史をふまえて考察することから、日本美術がベルリンでは美術史家の中心的活動によって、西洋美術と同等の価値を与えられて理解されたのに対して、ミュンヒェンでは、美術をも包括する民族学の文脈で把握されていたことを確認し得た。第四に、日本美術を、西洋美術と同等のレヴェルで評価した研究は、ユダヤ人の日本美術研究者の成果に多くを追うことを理解した。第四に、新たに入手した映像資料をとおして、メディアを活用して日本美術が政治的に利用されたことを確認した。
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学紀要 = Memoirs of Beppu University (ISSN:02864983)
巻号頁・発行日
no.61, pp.1-13, 2020-02

小論では、これまで都市単位での建築遺構に注目してきたが、今回は、ナチ政権下では象徴的な意味を持つ事例を取り上げた。そして3回の考察にわたって用いた分析方法、すなわち、破壊(一部破壊も含)、転用、変更なし、廃墟に分析した上で、これ以前に取り上げた事例と比較し検討した。それによって、破壊された遺構には、土地の持つ意味を変えてしまうほどの政治性の有無が深く関わっている可能性が想定された。その場合には、ナチドキュメンテーションセンターなどを設立することで、負の遺産であることを明示していた。ミュンヒェンでは文化都市であるため、総統官邸も芸術関係の転用によって脱ナチ化を実施するなど、都市によっても脱ナチ化の様相は異なっていた。脱ナチ化には問題点も残され、この問題は引き続き留意しなければならない。
著者
安松 みゆき
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.71-84, 2008-06-30 (Released:2017-05-22)

In 1939 wurde die Ausstellung altjapanischer Kunst in Berlin verangestaltet, eine der grossten Ausstellungen von der japanischen Kunst in Europa. In dieser Ausstellung gehorten 94 Werke unter die 126 ausgestellten Objekte zu den staatlichen Kunstdenkmalern von Japan. Aber die politische Situation unter der Nazi-Regierung warf Schatten auf diese Ausstellung. Trotz der seltenen Bedeutung im Kunstaustausch ist sie sowohl in Deutschland als auch in Japan fast Vergessenheit geraten. Seit 1999 untersuche ich uber diese Ausstellung und ihre Hintergrunde der Realisierung. Dieser Beitrag versucht, durch die damaligen Presseberichten, Nachlichtsfilme und sonstigen Quellen die Umstande dieser Ausstellung ausfuhrlicher zu erfassn. Man gelangt zu dem Ergebnis, dass die Materialien die bemerkenswerten Widerspruche und Unterschiede in Haltung und Absicht der Mitspieler dieser Ausstellung zeigen. Das ist: 1) Widerspruch zwischen den japanischen und deutschen Presseberichten uber die Hitlers Interesse an der japanischen Kunst; 2) Die Schatzung der japanischen Kunst und nicht eindeutige Haltung der deutschen Presseberichten zur "Entaltete Kunst", die sie fur die Schatzung der japanischen Kunst herangezogen haben; 3) Schatzung von Ukiyoe und Malerei bzw. Skulptur von den japanischen und deutschen Kunsthistoriker und Politiker.
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.21, pp.77-85, 2019-03

森鷗外の『独逸日記』に登場する洋画家の原田直次郎は、鷗外によれば、ドイツ留学時に出会った現地の女性マリイとの間に非嫡出子があった。それが史実であることを裏付ける史料を二年前に三本松倫代氏が東京都公文書館で発見し、鍵岡正謹氏によって紹介された。筆者はそれに関連するドイツ側の史料を見出した。またそれとは別にマリイと非提出子のその後を示す新たな史料も入手した。それらをここに紹介しつつ、鷗外の説明内容と照合することで、原田に関する新たな情報を補う一方、鷗外の『独逸日記』が伝える事実関係の信憑性を検討する。
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A17-A26, 2004-03

本発表では、1909年にミュンヒェンで開催された「美術における日本と東洋展」の解釈を試みるものである。ドイツにおいて日本美術の比較的規模の大きな最初の展覧会は、一般に1912年のベルリン芸術アカデミーが主催した「東洋古美術展覧会」と理解されている。しかし、それよりもわずか3年前に、ミュンヒェンでも規模的に1912年と見劣りしない展覧会の「美術における日本と東洋美術展」が開催されていた。奇妙なことにこの展覧会は、その開催事実すら指摘されることはほとんどない。そうした状況に置かれた1909年の展覧会をとりあげて、特に評価されなかった要因を模索するかたちで検討をすすめながら、この展覧会の実情を確認し、最終的に、この展覧会が日本美術を純粋美術として注目した点で、「異国趣味としての日本美術」から「学問としての日本美術」へと移行する重要な転機を示す展覧会であったという私見を提示したい。
著者
丹尾 安典 青木 茂 岩切 信一郎 谷田 博幸 森 仁史 安松 みゆき 阿利 直治 岡谷 公二 奥間 政作 尾崎 有紀子 河田 明久 喜夛 孝臣 顔 娟英 向後 恵里子 迫内 祐司 志邨 匠子 瀧井 直子 滝沢 恭司 増野 恵子 村松 裕美
出版者
早稲田大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、日本の近代文化における「南方」概念の形成を、その視覚表現において分析し、日本の造形文化の展開に及ぼした影響を考察する基礎的な研究である。調査の対象は、沖縄、台湾、東南アジア等をふくむ広範囲な地域にわたる「南方」である。そこで生成した多様な「南方」の視覚表象を、データベースの作成をすすめながら総合的に検証し、これらの成果に基づいて「南方」イメージの形成と変遷を具体的に考察した。