著者
段上 達雄
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.16, pp.1-16, 2014-03

大傘年中行事絵巻梁塵秘抄法然上人絵伝やすらい花『年中行事絵巻』などの絵巻に描かれた大傘を、政治権力の象徴、宗教的権威であることを分析すると共に、やすらい花について『梁塵秘抄』等の史料を用いて、憑霊する傘であることを明らかにした。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.16, pp.17-27, 2014-03

〈5.慶長5年6月以降の下野国内の状況について~6.7月29日付大関資増宛浅野幸長書状について〉※拙稿「小山評定は歴史的事実なのか(その1)-拙論に対する本多隆成氏の御批判に接して-」(『別府大学紀要』55号、別府大学会、2014年)より続く。関ヶ原の戦い福島正則清須城稲葉通孝書状浅野幸長書状筆者は2012年3月に拙稿「フィクションとしての小山評定-家康神話創出の一事例-」(『別府大学大学院紀要』14号)を発表して、従来、"小山評定"は、慶長5年7月25日、徳川家康が上杉討伐のために東下した諸将を小山(下野国、現栃木県小山市)に招集して、上杉討伐の中止と諸将の西上を決定した軍議として通説化して扱われてきた点を批判し、一次史料の詳細な内容検討によりこれまで通説で肯定されてきた"小山評定"が歴史的事実ではなく、フィクションであることを論証した。この前掲拙稿の内容に対して、本多隆成氏は同年10月に同氏の論文「小山評定の再検討」(『織豊期研究』14号)を発表し、詳細な御批判を加えられた。よって、本稿では、本多氏によって前掲拙稿に加えられた批判点を検討して反論するとともに、前掲拙稿で検討できなかった諸点についても本稿では論及して考察した。
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.A37-A54, 2001-03

挿図ありCacilie Graf-Pfaff (1862-1939), moderne deutsche Malerin, die zwar offensichtlich enge Kontakte ze dem dritten Reich, aber auch zu dem japanischen Maler Naojiroh Harada und dem Schriftsteller Ohgai Mori hatte, ist auch durch ihr "Japanisches Gespensterbuch" bekannt. In diesem Beitrag wird daruber hinaus ihre tiefe Kenntnisse der japanischen Kunstszene unter Beweis gestellt. Das Buch "Japanisches Gespensterbuch", das Ihr wissenschaftliche Erfolg zeigt, gilt nicht nur als die kostbaren Materialien fur die japanische Literatur und Volkskunde wegen der Genauigkeit der darin beschriebenen japanischen Legenden, sondern auch als die raren, um die damalige Ukiyoe Sammlungssituation in Deutschland zu wissen, wegen der vielen Abbildungen in diesem Buch, die meisten Ukiyoe sind und die Sammlern in Deutschland gehoren.
著者
白峰 旬
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.19, pp.21-36, 2017-03

いわゆる小山評定に関しては、本多隆成氏が存在論の立場から、筆者(白峰)が否定論の立場から論争(小山評定論争)が続いているが、本多氏が論文「「小山評定」再論―白峰旬氏のご批判に応える―」を、2015年10月に『織豊期研究』17号に発表し、拙論への御批判を提示された。本稿では、本多氏による拙論への御批判を検討し、私の所見を示すこととする。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学大学院文学研究科
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.14, pp.57-76, 2012-03

従来の通説では、"小山評定"は、慶長5年7月25日、徳川家康が上杉討伐のために東下した諸将を小山(下野国=現栃木県小山市)に招集して、上杉討伐の中止と諸将の西上を決定した軍議として有名であり、これまで関ヶ原の戦いに関する研究史において、動かしようのない"歴史的事実"として通説化して扱われてきた。しかし、本稿では一次史料の詳細な内容検討により、これまで通説で肯定されてきた"小山評定"が歴史的事実ではなく、フィクションであることを論証し、フィクションとしての"小山評定"が江戸時代に捏造された背景についても論及した。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-16, 2015-03

『十六・七世紀イエズス会日本報告集』に収録された各年報には、各年次における日本の政治状況を分析した記載箇所があり、それをもとに当時の最高権力者であった織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康、徳川秀忠の各時代における政治権力の推移を通時的に見通すことができる。よって、本稿では『十六・七世紀イエズス会日本報告集』に記載された内容の検討をもとに、織田信長・豊臣秀吉・豊臣秀頼・徳川家康・徳川秀忠に関するイエズス会宣教師の認識について考察する。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.17, pp.17-28, 2015-03

これまで関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原の戦い当日の実戦の状況については、日本国内の史料(日本側の史料)により検討されてきたが、イエズス会宣教師が当該期の日本国内の政治状況などを報じた『十六・七世紀イエズス会日本報告集』には、関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原の戦い当日の実戦の状況などが詳しく記されているので、本稿では『十六・七世紀イエズス会日本報告集』の記載内容の検討をもとに、関ヶ原の戦いに至る政治状況と関ヶ原の戦い当日の実戦の状況について考察する。
著者
段上 達雄
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.15, pp.1-19, 2013-03

祭礼の神幸行列で用いられる錦蓋の中には、垂下式で周囲の幕の丈が長いものがある。京都下鴨神社の御蔭祭における神霊を載せた神馬を覆う錦蓋が始まりと考えられ、それ自身が神輿と同様の役割を持ち、大嘗祭の菅蓋に祖型を求めることができる。この垂下式の錦蓋は各地に伝播するが、近世に伝えられた福岡県直方市の多賀神社のもの以外は神輿に随伴する威儀具となっており、その多くは近代になって導入されたものと考えられる。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.22, pp.51-71, 2020-03

令和2年(2020)のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、明智光秀が主人公であるが、その明智光秀が織田信長麾下の重臣として、丹波国攻略をおこなった際に、本城惣右衛門は丹波国在住の地侍として、最初は光秀と敵対して戦い、光秀の丹波国攻略完了後は光秀に臣従した。本城惣右衛門は本能寺の変では、明智光秀の麾下として参戦して本能寺に真っ先に突入している。従来は『本城惣右衛門覚書』は、本能寺の変の記載内容のみが注目されてきたが、本稿では、「戦功覚書」としての性格に着目して、『本城惣右衛門覚書』の記載内容全体について検討し考察した。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.19, pp.37-47, 2017-03

合戦の際に出される感状や合戦手負注文についての研究史としては、中世から戦国期に関する事例研究は豊富であるが、近世における事例研究はいまだ未開拓の分野であるといえよう。よって、本稿では近世(慶長5年)の事例研究として、慶長5年(1600)10月20日の江上合戦についての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状(合戦手負注文)に関して考察をおこなう。
著者
中野 明德
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.21, pp.41-61, 2019-03

D・W・ウィニコットは小児科医と精神分析医の2つの立場を堅持した臨床家である。彼は子どもと母親とを一つの単位として捉え、幼児期早期の「依存」を情緒発達理論の中心に据え、精神障害は幼児期の「環境の失敗」に関連するという立場を取った。幼児が全面的に依存している「絶対依存期」では、発達促進的環境は母親自身であり、抱え環境の失敗は「偽りの自己」が組織化させて「本当の自己」は隠蔽されるとした。彼は「相対的依存期」にみられる、クラインのいう「抑うつポジション」が、「思いやり」という重要な情緒発達にいたる正常な過程であり、罪悪感をもつ能力の起源とした。ウィニコットは独自の情緒発達理論に沿って、退行が必要な患者や反社会的傾向をもつ治療困難な患者の治療論を展開した。
著者
矢島 潤平 長谷 真 岩永 弘 甲斐 みゆき 志賀 二郎
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.16, pp.81-88, 2014-03

研究ノートコーヒー作業成績内田クレペリン検査主観的ストレス反応本研究では,コーヒー摂取によって,作業成績の向上やストレス反応の軽減効果が認められるかについて検証した。大学生を対象として,コーヒー摂取後に急性ストレス(クレペリン検査)を負荷した際の心理学的ストレス反応と作業量を検証した。対照群に比べコーヒー摂取群は,作業量が多くエネルギー覚醒の低下を抑制した。ストレス課題によって引き起こされるポジティブな気分の低下をコーヒー摂取することで抑制する可能性と作業成績が向上する可能性を示唆している。
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 = Bulletin of Beppu University Graduate School (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.21, pp.77-85, 2019-03

森鷗外の『独逸日記』に登場する洋画家の原田直次郎は、鷗外によれば、ドイツ留学時に出会った現地の女性マリイとの間に非嫡出子があった。それが史実であることを裏付ける史料を二年前に三本松倫代氏が東京都公文書館で発見し、鍵岡正謹氏によって紹介された。筆者はそれに関連するドイツ側の史料を見出した。またそれとは別にマリイと非提出子のその後を示す新たな史料も入手した。それらをここに紹介しつつ、鷗外の説明内容と照合することで、原田に関する新たな情報を補う一方、鷗外の『独逸日記』が伝える事実関係の信憑性を検討する。

1 0 0 0 IR 連携による景

著者
浅野 則子
出版者
別府大学会
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.21, pp.1-8, 2019-03

万葉集には内舎人として久仁京にいる家持と旧都に残る弟書持との贈答歌が収録されている。家持と書持との関係、さらに二人がいる場所があまりに明らかなために二人の「心情」表現としてのみ解釈されているが、平城京において歌の文化圏を持つ家持とその世界にいたと思われる書持にとって歌に表現する意味を二人に歌われる「景」から考えていきたい。
著者
白峰 旬
出版者
別府大学大学院文学研究科
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
no.14, pp.37-56, 2012-03

※拙稿「慶長5年6月~同年9月における徳川家康の軍事行動について(その1)」(『別府大学紀要』53号、別府大学会、2012年)より続く。慶長5年9月15日の関ヶ原の戦いに至る政治的・軍事的動向を把握するうえで、同年6月~9月における徳川家康の軍事行動について検討することは重要であり、必要不可欠な考察であると言えよう。本稿では、当該期に家康が発給した多くの書状を中心にその内容分析をおこない、昨年(2011年)3月に刊行された『愛知県史』資料編13、織豊3の所収史料など新出史料の分析もおこない、新知見を得ることを目指すものである。
著者
段上 達雄
出版者
別府大学
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
vol.10, pp.53-73, 2008-03
著者
安松 みゆき
出版者
別府大学
雑誌
別府大学大学院紀要 (ISSN:13450530)
巻号頁・発行日
vol.6, pp.A17-A26, 2004-03

本発表では、1909年にミュンヒェンで開催された「美術における日本と東洋展」の解釈を試みるものである。ドイツにおいて日本美術の比較的規模の大きな最初の展覧会は、一般に1912年のベルリン芸術アカデミーが主催した「東洋古美術展覧会」と理解されている。しかし、それよりもわずか3年前に、ミュンヒェンでも規模的に1912年と見劣りしない展覧会の「美術における日本と東洋美術展」が開催されていた。奇妙なことにこの展覧会は、その開催事実すら指摘されることはほとんどない。そうした状況に置かれた1909年の展覧会をとりあげて、特に評価されなかった要因を模索するかたちで検討をすすめながら、この展覧会の実情を確認し、最終的に、この展覧会が日本美術を純粋美術として注目した点で、「異国趣味としての日本美術」から「学問としての日本美術」へと移行する重要な転機を示す展覧会であったという私見を提示したい。