著者
麻生 武
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.62-65, 2009 (Released:2009-07-14)
参考文献数
2
被引用文献数
2

理数系では、良い論文というものは、必ず査読つき学会誌に掲載されるはずのものと想定されている。人文系では、必ずしもそうではない。査読つき学会誌に掲載されていなくとも良い論文は良い論文である。人文系の学問における査読には、「帰属学問の確認」という作業と、「内容の評価」という2つの異なる作業がある。いずれの作業も、境界領域の研究論文が査読を通る可能性を低くする危険性をもつ。良い論文、面白い論文でも、学会誌の査読を通過しない可能性が大きいことを認識し、査読なしの論文の価値をも認めておく必要がある。
著者
實川 幹朗
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.27-61, 2009 (Released:2009-07-14)
参考文献数
18
被引用文献数
1

学術雑誌の投稿論文審査(査読)が適切に行われていない問題を検討し、改善策を探ることが本論の狙いである。問題の性格を明らかにするため、不採択となった心理学論文二編の内容と査読所見とを検討した。一編は論理的・形式的議論から、脳とは独立の魂の存在を推論するもの、もう一編は特殊な教育現場における心理療法の事例から、治療論と研究方法の見直しとを論じたものであった。対照的な性格を持つこれらの論文にはしかし、着想の斬新さという共通点があった。査読所見を検討したところ、いずれの論文についても、見解の共通点がほとんどなく、不採択理由のすべては誤解に基づくか、不適切なものであった。心理療法の論文については、不採択と結論しながら理由のまったく挙げられない所見や、自分に分からないことをもって理由とした所見が目立った。また再審査の場合には、前回の所見の指摘を無条件に正しいと見做し、投稿者の反論を考慮せず、指摘を採り入れないことをもって不採択とする傾向も顕著であった。言い換えれば、思い付きによるあら探しと権威主義とが、査読の全般的傾向をなしていた。これらの結果から、少なくとも心理学領域においては、投稿論文査読はふさわしい役割を果たしていないことが、強く示唆された。これはまた、この分野での大学・大学院教員の資質と行動の適格性への疑惑をも惹起する。また隣接する他の分野においても、類似の問題の生じている可能性が示唆される。投稿論文の原則的な全編公開と公開での評価が、解決策となるであろう。
著者
田澤 安弘
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.11-16, 2009 (Released:2009-07-14)
参考文献数
2
被引用文献数
2

臨床心理学系の雑誌に論文を投稿する場合、そこで行われる査読が一方的な査読行為になっていることが少なくない。査読システムに権力的構造があるのは疑い得ない事実であり、それは論文査読の政治学とでも形容し得るものである。本論は、そのような現状を踏まえて、査読者は自分が権威的立場におかれていることに自覚的であれと提言するものである。
著者
岡田 珠江
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.1-13, 2004 (Released:2005-08-31)
参考文献数
4
被引用文献数
4

本稿は広汎性発達障害児に対する、約2年(66 回)に渡る心理療法の研究報告である。器質的な疾患の可能性も考えられる広汎性発達障害児に対して器質的な疾患ではなく、言語的、非言語的コミュニケーションの困難さと二次的な心理的な問題に焦点をあてて心理療法を行った。治療の経過は7期に分け、その展開の中で行われた心理検査を用いたアセスメント、セラピストのかかわり、クライエントとの間で表現されたものの意味について報告し,考察した。特に、廃線や線路の分岐等の鉄道のイメージは、クライエント独自の内的世界を適切に表現するものであり、そのイメージの共有とクライエントへの共感が全心理療法の過程で継続している。心理療法を継続した結果、子どもが本来もっている能力が発揮され、現実の生活に適応できるようになった。本報告を通して、広汎性発達障害の子どもの二次的な心理的問題には、心理療法が果たせる役割が大きいことを実証した。
著者
泉野 淳子
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.17-26, 2009 (Released:2009-07-14)
参考文献数
18

本報告は、約10年前「人間性心理学研究」に投稿して審査を受けた際の体験を一事例としてまとめたものである。その審査のあり方は首を傾げたくなるようなものだった。審査者たちの評価基準は投稿論文審査内規に沿った一貫性あるものとは思われず、一人の審査所見には明白な誤りさえ含まれていた。論文は、戦後日本の教育界や臨床心理学界に多大な影響を与えたC.R.ロジャーズとキリスト教の関係を論じたものであった。その主張はおそらく日本のロジャーリアンの主流の見解に合わないものだったのであろう。ある審査者は内容を理解しかねているようであった。このような過去のことを今になって取り上げる理由の一つは、時間を経たことによって冷静に自分の論文および審査所見を読み、客観的に吟味できるようになったためである。うまく機能しなかった実例を検討することは、審査制度を改善していくためにも大切なことであると考える。
著者
永澤 護
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.3, no.1, pp.1-16, 2007 (Released:2007-12-24)
参考文献数
7
被引用文献数
6

本論は、グローバル資本主義下における<協働>の構成をテーマとする。本論では、この<協働>の構成は、相互的で対等なコミュニケーションを試みる実践として論じられる。また、この<協働>の実践は、個々人が他者との間で、生活の工夫や技を伝え合うこととして論じられる。この<協働>の構成は、<帝国>と呼ばれるネットワーク的権力のもとでのコミュニティーワークの構築という課題である。 I では、ネグリ/ハートの記述する「<帝国>」と<協働>の実践との関係を論じる。本論では、<帝国>を、個々人の生存を無際限に階層序列化する装置としてとらえる。ここで、「個々人が他者との間で、生活の工夫や技を伝え合うこと」という実践の狙いは、<帝国>の機能によって消されていた個の力を引き出すことである。 II では、<協働>が「顔」をキーワードにして論じられる。<協働>の過程は、他者の呼びかけへと応答する相互的な過程である。本論では、<転移>に関する洞察を視野に入れながら、この<協働>の構成過程が論じられる。 III では、<協働>の構成に向けた実践事例を論じる。結論として、<協働>の構成は、他者との出会いにおける私自身の<決意>の経験において現実化することが示される。
著者
田澤 安弘
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.61-69, 2004

幅広い領域の研究者からコメントを受けることによって、この論文を様々な角度から見直すことができた。多くの糧を受け取ったような気がする。今後も、古い定説を超えた考え方を実践できるように自分を鍛え、ロールシャッハ・テストに関する新たな考え方を提示できるよう努力したい。
著者
鶴田 一郎
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.2, no.1, pp.25-40, 2004 (Released:2005-08-31)
参考文献数
21
被引用文献数
5

本稿では、近現代における「ニヒリズム」および「悪しきヒューマニズム」に対するV.E.フランクルによる批判の検討を通して、人間存在、すなわち「実存」の「本質的存在様態への志向性」に関する視座を「自己実現から自己超越へ」と移行させていく必要性と重要性を論述した。その結果、フランクルにおける「生きがい論」への射程が明確になり、それにより、現代における「生きがい論」の課題として次の4 つの視点が抽出された。それはすなわち、(1)人間存在(実存)にとって「気づき」とは何か:「アウェアネス」と「生きがい」の関係を探究すること、(2)人間存在(実存)にとって「わかりあうこと」とは何か:「了解」と「生きがい」の関係を探究すること、(3)人間存在(実存)にとって「共に歩むこと」とは何か:「同行(どうぎょう)」と「生きがい」の関係を探究すること、(4)人間存在(実存)にとって「かわること」とは何か:「変革体験」と「生きがい」の関係を探究すること、である。
著者
塩谷 賢
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.23-25, 2004 (Released:2004-09-07)
参考文献数
1
被引用文献数
1

ロールシャッハ・テストに関する現象学風の解釈可能性を提示したものである。この種の試みはあまり例がなく、とくに「代替可能な視点」を提供する哲学的議論を具体的な臨床現場との接点において導入する試みとしては評価できる。しかし、設定した問題(辻(1997)の批判的解釈)の短い射程内に留まっており、原著作の具体的問題点の提示と解決、論文自身の立っている立場や導入している議論の広範囲への展開可能性についての表明が希薄であり、議論の内在的な発展が望まれる。
著者
實川 幹朗
出版者
心の諸問題考究会
雑誌
心の諸問題論叢 (ISSN:13496905)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.35-42, 2004 (Released:2004-09-07)
参考文献数
3

伊藤幹治「日本文化の構造的理解をめざして」を対象とした批評論文。伊藤は、日常の生活の場が宗教的行事にも用いられるなどの民俗的事実から、「ハレとケとが自由に入れかわる」相互転換を「イレカワリの原理」と名づけた。こんにちでは聖俗のきびしい対立を理論的前提に民俗・宗教の分析の行なわれる場合が多いけれど、伊藤の提唱する原理の方が、世界的に見ても実態に合っている。聖俗の対立を和らげての理論化も考えられるが、そうすると、聖と俗を絶対的に区別してきた西欧のキリスト教社会の建て前に外れることとなる。この建て前それ自身もまた一つの民俗的事実なので、無視することはできない。つまり、聖と俗を基本概念とした分析は、いずれにしても民俗的事実に反するほかない。これに対しハレとケは、もともと相互に転換し、相手の契機を内に含むことが、建て前でも実態でも明らかである。そこで、こちらを基本概念にすえて、聖と俗を分析対象とする体制の方が、一貫性の面で優れている。聖と俗を、人為的に固定されたハレとケとして理解するのである。キリスト教の高度な神学や哲学は、本来は転換する民俗の固定化のための努力と理解することができる。伊藤の論旨は、この方向の可能性を開いたものだが、じゅうぶんに展開することとができなかったのが惜しまれる。