著者
遠藤 匡俊
出版者
社団法人日本地理学会
雑誌
地理学評論 (ISSN:13479555)
巻号頁・発行日
vol.74, no.11, pp.601-620, 2001-01-01

文字を持たないアイヌ社会において,近所に生きている人やすでに死亡した人と同じ名を付けないという個人名の命名規則が,どの程度の空間的範囲に生活する人々に適用されていたのかは,これまで不明であった.アイヌ名の命名には,出生後初めての命名と改名による新たな命名があり,いずれもアイヌ固有の文化であったと考えられる.アイヌ名の改名は根室場所,紋別場所,静内場所,三石場所,高島場所,樺太(サハリン)南西部,鵜城で確認された.中でもアイヌ名の改名が最も多く生じていたのは,根室場所であった.根室場所におけるアイヌ名の改名は,結婚や死と関わって生じた事例が多かった.改名による新たな命名が多く生じていたにもかかわらず,同じ名を付けないという個人名の命名規則は,1848-1858(嘉永1-安政5)年の根室場所においては,集落単位のみならず根室場所全域ではぼ遵守されていた.根室場所は,アイヌの風俗の改変率が高いことから和人文化への文化変容が進んだ地域とみなされるが,アイヌ名の命名規則に関する限り,アイヌ文化は受け継がれていたと考えられる.
著者
遠藤 匡俊
出版者
社団法人日本地理学会
雑誌
地理学評論 Ser. A (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.221-236, 1990-01-01

漁撈・狩猟・採集生活をしていた江戸時代のアイヌの移動形態は,一定の本拠地からの季節的移動と理解されてきた,これは,本拠地における居住集団の構成員が一定していたことを意味する.安政3 (1856)年から明治10 (1877)年にかけての紋別場所では,集落の位置がほぼ固定し,多くの家が集落内に定着しており,集落を構成する家は固定的であった.しかし,家単位の居住者を追跡した結果,個人の家間移動が激しく,家の構成員は流動的に変化していた.すなわち,集落単位では,多くの家が本拠地を固定させていたにもかかわらず,家単位でみると,多くの人員が本拠地を家と家の間で移していたことが明らかになった.家の構成員の安定性を比較すると,静内場所,樺太南西部では固定的であり,紋別場所,高島場所では流動的に変化していた.江戸時代のアイヌ社会において,家の集落間移動による集落を構成する家の流動的変化と,個人の家間移動による家の構成員の流動的変化という,2種類の流動形態が見出された.