著者
林 康史 刘 振楠
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.64, no.4, pp.139-164, 2015-03

マイクロファイナンスは,ムハマド・ユヌスがグラミン銀行で始めたマイクロクレジットが発展したものである.普通銀行とは,特に審査や担保についての考え方・運用が大きく異なっている.現在の返済能力を審査せず,担保をとらずに融資を行う.これらの仕組みは,わが国の奨学金制度と似たものである.奨学金制度のビジョン再検討のために,グラミン銀行が採用して成功したと考えられる,いわゆるグループローンや連帯責任制等を,また,それらの仕組みの背景にある,コミットメントの効果や心理学の活用,金融教育の意義を考察する.
著者
畠山 久志 林 康史 歌代 哲也
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.65, no.1, pp.1-32, 2015-08

1996 年に第二次橋本内閣が発足直後,抜本的な金融制度改革,いわゆる日本版金融ビッグバンを実施した.その金融制度改革の施策の一つに外国為替取引の完全自由化という規制撤廃があった.外国為替管理の自由化によって為銀主義が廃されたために,現在では一般にFX取引と呼ばれる外国為替証拠金取引が誕生した.外国為替証拠金取引に関しては,規制する業法もないため,監督官庁もなく,通常の民法や商法などの一般法によるルールがあるのみといった,ほとんど規制のない状態で取引が自由に行えるようになった.外国為替証拠金取引は,レバレッジを用いて取引が行われ,また,差金決済が可能であるため,取引によっては多額の利得を得ることもあるが,過大な損失を被ることもある金融商品である.法律の不存在の結果,外国為替証拠金取引の商品特性の説明が不十分であったり,顧客も特性を理解しないまま取引が行われたりし,不公正な取引が行われることもあり,社会問題化し,また,訴訟にも発展した.こうした事態を受けて政府は規制を行うこととし,外国為替証拠金取引は先物取引と整理され,改正金融先物取引法で規制が行われることとなった.外国為替証拠金取引業者は金融庁に登録が義務付けられ,参入規制や,商品説明義務や不招請勧誘などの行為規制などが課され,顧客保護に一定の効果があった.しかし,リーマン・ショックが起こり,外国為替証拠金取引業者が破綻し,顧客に損害が及んだケースもあった.そのため,取引証拠金の区分管理を徹底し,ロスカット・ルールを定め,証拠金のレバレッジ規制を導入した.取引証拠金の区分管理やロスカット・ルールは,外国為替証拠金取引に本来的に不可欠なものであり,適切な規則であるものの,商品性の本質にかかわるものではない.一方,レバレッジ規制は,商品の効率性,魅力に係る本質そのものを制限するものであり,単なる業者規制,行為規制に止まらない.こうした商品の本質そのものに係る制限は,日本版ビッグバンが目指した金融制度改革の規制緩和,自由化に逆行するものと評価される.本稿は,外国為替証拠金取引を外国為替制度の規制緩和の流れのなかで位置づけて史的展開を述べ,市場・取引と法が相互依存・経路依存であることを認めたうえで,その取引に係る諸規制,就中,レバレッジ規制について検討するものである.This paper describes the development of foreign exchange margin trading within the history of the Japanese foreign exchange system and discusses regulations concerning foreign exchange margin trading, especially leverage regulation, with the recognition that the market/trading and law have a mutually dependent relationship. Soon after the second Hashimoto Cabinet was formed in 1996, the government carried out a radical financial system reform called the Japanese Big Bang, which was similar to the British Big Bang financial reform 1986. One of the measures taken was the complete liberalization of foreign exchange transactions. Due to the liberalization of Japanese foreign exchange control, which abolished a rule that foreign exchange trading had to be conducted with a registered bank, foreign exchange margin trading (commonly called FX dealings) was then introduced. After the liberalization, there was no law or supervisory authority to directly overlook foreign exchange margin trading. Only general regulations of Japanese Civil Code and the Commercial Law were still applied. Foreign exchange margin trading allows investors to trade large positions, which are many times the size of principles by the leverage of borrowed money. This is how foreign exchange margin trading could generate much larger profits or much larger losses compared to regular trading. The absence of regulation led to insufficient explanation of products by salespersons and many investors did not fully understand the products, resulting in unjust transactions. Many troubles arose and such activities developed into lawsuits and social problems. In response to this situation, the Japanese government decided to regulate foreign exchange margin trading. The new regulation categorized foreign exchange margin trading as futures trading and brought it under control with the revised Financial Futures Trading Act. Under the new rule, foreign exchange margin trading operators were required to register with the Financial Services Agency. The Financial Futures Trading Act also introduced entrance restrictions and behavior regulation, including the obligation of clear product explanation and the prohibition of uninvited solicitation. Those contributed to investor protection to some degree. However, the Lehman shock occurred, resulting in bankruptcy of foreign exchange operators and their clients' losses. Therefore, stricter rules on the classification management of margin, the loss cut rule, and the new leverage regulation were introduced. Although the classification management of margin and a loss cut rule are essentially indispensable to foreign exchange margin trading and appropriate rules, they do not influence the essence of financial products. On the other hand, leverage regulation is not exclusive to regulation of operators and their behavior as it restricts the effi ciency of products and harms the essence and attractiveness of margin trading. Evaluated in this paper are the restrictions concerning the essence of financial products themselves under the deregulation and liberalization of the financial system, which the Japanese Big Bang aimed to achieve. Note: This paper is the first of two parts, the next of which will appear in the autumn issue of this journal.
著者
宮川 幸三 王 在喆
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.69-120, 2013-12-20

本研究の目的は,日中貿易が日本の国内産業に及ぼした影響の大きさを,付加価値誘発額と雇用誘発人数という2 つの視点から明らかにするものである.日中貿易が日本経済に与えた影響としては,以下の2 つを考えることができる.1 つは,中国における最終需要あるいは中国からその他世界への輸出によって,日本国内の生産が誘発される効果であり,これは中国経済が日本経済に及ぼすポジティブな効果であるといえる.もう1 つの効果は,中国からの輸入の増大によって日本国内の生産が減少する効果であり,これはネガティブな効果であると考えられる.本研究では,日中国際産業連関表の分析モデルに企業規模の概念を取り込み,大企業の生産活動と中小企業の生産活動を異なる部門として取り扱った規模別日中国際産業連関表を用いて,上述の2 つの効果を計測している.国際産業連関表において規模別の概念を取り込んだ事例はこれまでにないものであり,このような規模別日中表を試算したこと自体も本研究の成果の1 つである.分析の結果,ポジティブな効果に関して言えば,中国への輸出によって製造業の大企業に誘発された付加価値額が中小企業に比較して大きいこと,雇用面では中小企業に発生した雇用誘発人数が大企業に比較して大きいことなどが明らかとなった.一方でネガティブな効果に関しては,中国からの輸入増加によって国内中小企業が生産・雇用の両面においてより強い減少圧力を受けていたという結果が得られた.また部門別の結果から,受ける影響の大きさは部門によって大きく異なっていることが示された.
著者
小畑 二郎
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.49-77, 2013-03-29

ジョン・ヒックス(John R. Hicks)の貨幣理論と金融政策論とが,ケインズ理論からどのように発展していったかを学説史的に明らかとする.ヒックスの理論を,① 流動性の積極理論,② 貸借対照表の主体的均衡の重視,③ 短期と中期と長期に区分される多時限的金融政策の示唆,④ 金融政策の非対称性,⑤ 時間要素の重視と歴史理論,の5 点に要約する.そして,金融のフロンティア・モデルを設定して,これまでの金融理論と金融政策を歴史的に位置づける.その結果,ヒックスの貨幣理論および金融政策論は,金融資産が多様化した高度な情報化時代に対応したものであり,その点で,ケインズ理論の継承・発展であったこと,しかし金融のグローバル化の時代に対応するためには,さらなる発展が必要であるという結論が下される.
著者
小畑 二郎
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.63, no.4, pp.33-71, 2014-03

この論文は,ケインズからヒックスへの資本理論の発展について,これを「歴史理論」として再評価しようとするものである.「歴史理論」とは,とくに貨幣と資本に関する経済理論は,市場経済のそれぞれの発展段階の問題状況に答えるために変化しなければならない,という後期ヒックスの考え方を採用した理論である.ケインズ経済学には資本理論がない,とハイエクは批判したが,ケインズ独自の資本理論がなかったわけではない.『一般理論』に限定してみても,その中には,投資の決定理論(第11 章)や資本の本質論(第16 章)などに関連する叙述が見出される.一方,ヒックスは,とくにその研究の後半には,貨幣理論とともに資本理論を主要な研究テーマとしていた.初期の頃にはケインズ・ハロッド型のストック・フローモデルを継承し発展させたが,晩年には,独自の新オーストリア理論へと研究を進展させていった.そして最終的には,資源節約型の新技術の開発によって,質の高い労働を雇用する「新産業主義」への経済発展を展望するに至った.このようなヒックスの資本理論の発展そのものが彼自身の経済思想を表現するとともに,また現代資本主義経済にかんする歴史理解をも示すものであった.この論文では,このようなヒックスの展望に基づいて,彼自身の資本理論とケインズ理論とを比較・検討することを通じて,現代の資本理論もしくは成長理論の歴史的発展を再検討する.そして,貨幣理論や金融政策によっては,十分に取り扱うことのできなかった長期の経済分析や経済史理解のために,ケインズ理論からヒックスの資本理論への発展が参考になること,また資本移動のグローバル化の進展した現代の経済分析にとっても,資本理論の発展が示唆を与えることについて論じる.