著者
林 康史 木下 直俊
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.35-65, 2014-07-24

ドル化は,自国の象徴としての存在意義や通シニョレッジ貨発行権益を喪失し,政府は通貨供給能力と為替政策を放棄することになるが,通貨の発行造幣および管理といったコストを削減でき,理論上,中央銀行は不要になると考えられている.実際,パナマには中央銀行は存在しない.しかし,エクアドルおよびエルサルバドルでは,ドル化政策の実施から10 年以上が経っても中央銀行が存在する.パナマは1903 年にコロンビアから分離独立し,米国の承認のもと米ドルを法定通貨として以来,100 年以上にわたり実質的な自国通貨を持たず,中央銀行もない.金融政策もまったくとられていない.エルサルバドルは対内直接投資の増加や放漫財政に陥るリスクへの対策,さらなる経済的な安定を企図して,2001 年にドル化政策を実施した.事実上,金融政策はとられていない.エクアドルはインフレが昂進し,経済混乱のなか,経済を建て直す最後の方策として,2000 年にドル化に至った.エクアドル中央銀行(BCE: Banco Central de Ecuador)は新たに銀行規制を講じている.市場金利を8 つのセクターに分けて上限金利を設定したほか,預金の60% を国内に留保し,国内市場での運用を義務づけた.結果,民間銀行は与信基準を緩和することになり,貸出が増加し,マネーストックは拡大した.これらドル化政策実施国の事例は,ドル化政策に至った経緯のみならず,運用実態においても各国のドル化の様相は異なっていることを示している.エクアドルは,ドル化によって生じる制約下にあって,銀行規制や資本規制を行うことで,マクロ経済安定化のための金融政策の手段を取り戻すという,一見伝統的ではない,独自の方策を編み出し実施している.こうした試みは,銀行規制・資本規制が一国のマクロ経済安定化にとって有効たりうることを示唆しており,金融の新しい実験ともいえ,例えば,米ドルへのドル化を実施した国のみならず,欧州連合加盟・非加盟を問わずユーロを導入する欧州諸国の中央銀行にとっても銀行規制・資本規制が応用可能な金融手段となりうるとも考えられる.
著者
林 康史 木下 直俊
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.64, no.1, pp.35-65, 2014-07

ドル化は,自国の象徴としての存在意義や通シニョレッジ貨発行権益を喪失し,政府は通貨供給能力と為替政策を放棄することになるが,通貨の発行造幣および管理といったコストを削減でき,理論上,中央銀行は不要になると考えられている.実際,パナマには中央銀行は存在しない.しかし,エクアドルおよびエルサルバドルでは,ドル化政策の実施から10 年以上が経っても中央銀行が存在する.パナマは1903 年にコロンビアから分離独立し,米国の承認のもと米ドルを法定通貨として以来,100 年以上にわたり実質的な自国通貨を持たず,中央銀行もない.金融政策もまったくとられていない.エルサルバドルは対内直接投資の増加や放漫財政に陥るリスクへの対策,さらなる経済的な安定を企図して,2001 年にドル化政策を実施した.事実上,金融政策はとられていない.エクアドルはインフレが昂進し,経済混乱のなか,経済を建て直す最後の方策として,2000 年にドル化に至った.エクアドル中央銀行(BCE: Banco Central de Ecuador)は新たに銀行規制を講じている.市場金利を8 つのセクターに分けて上限金利を設定したほか,預金の60% を国内に留保し,国内市場での運用を義務づけた.結果,民間銀行は与信基準を緩和することになり,貸出が増加し,マネーストックは拡大した.これらドル化政策実施国の事例は,ドル化政策に至った経緯のみならず,運用実態においても各国のドル化の様相は異なっていることを示している.エクアドルは,ドル化によって生じる制約下にあって,銀行規制や資本規制を行うことで,マクロ経済安定化のための金融政策の手段を取り戻すという,一見伝統的ではない,独自の方策を編み出し実施している.こうした試みは,銀行規制・資本規制が一国のマクロ経済安定化にとって有効たりうることを示唆しており,金融の新しい実験ともいえ,例えば,米ドルへのドル化を実施した国のみならず,欧州連合加盟・非加盟を問わずユーロを導入する欧州諸国の中央銀行にとっても銀行規制・資本規制が応用可能な金融手段となりうるとも考えられる.
著者
北原 克宣
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.61-94, 2011-03

本論文は,戦前から戦後にかけての日本の食料需給政策の背景と性格に関する分析および考察を通じて,戦後日本資本主義の展開の中で食料自給に対する認識がどのように変遷してきたのかを明らかにすることを課題としたものである.この課題を明らかにするため,本論文では,まず近年における食料自給をめぐる議論について,浅川芳裕氏の近著を取り上げ批判的に検討した.そのうえで,戦前の食糧需給政策について整理し,戦前日本において食料(糧)自給が追求されたのは第二次世界大戦前と戦後の一時期に過ぎず,しかも,これが実際に達成されたのは植民地からの移入米を含めてようやく「自給」を達成した戦前の一時期に過ぎないものであることを明らかにした.戦後における食料(糧)需給政策については,当初,食糧増産政策はとられるものの,MSA協定などを通じてアメリカ余剰農産物の受け入れ体制が構築されることにより,日本は米を除く食糧の自給は放棄する方向へと進むことになった.これを決定づけたのが農業基本法であり,これ以降,日本の土地利用型畑作は壊滅的状況となり,麦類や大豆の自給率は大きく低下させることになった.その後,1980年代半ばまでは,食管制度を通じて農業・農村もかろうじて維持され,これが米過剰をもたらす要因ともなるのであるが,1985年以降,新自由主義的政策への転換の中で,さらに自給率を低める方向へ作用していった.本論文では,この段階を食糧自給放棄から食料自給放棄への転換点と捉えた.さらに,食料・農業・農村基本法の制定以降,食料・農業・農村基本計画の策定にともない食料自給率目標が設定されることになったが,それを実現できる政策が構想されているかどうかという点では疑問の残る内容にとどまっている.以上を踏まえ,本論文では,これからの食料自給のあり方について,グローバル段階における広域的再生産構造を前提としたうえで基礎的食糧の自給は目指しつつ,東アジア圏での貿易による補完的関係を構築していくなかで食料自給を達成する方向性を提起した.
著者
新井 啓
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.109-148, 2011-02

本稿は新井[2004],[2007],[2009a],[2009b],[2010a],[2010b],[2010c]における一連の研究の続きとして日経平均先物2008年9月限の証券会社別の超過需要開数のパラメータを推定している.本稿において超過需要関数の測定を行った期間はリーマンショック直前の期間であり,証券会社の行動も観測期間の半ばから一方的に日経先物のポジションを解消していく証券会社が見られるなど他の期間に比べると特徴のある期間であるといえる.そのため日経平均が比較的安定している期間に比べると推定は困難であった.また推定できる証券会社の数が他の観測期間と比較すると小さく,この期間に日経平均先物の取引を手控えていた証券会社が存在していた.このことが本稿における観測期間における特徴的なことである.本稿の推定結果からゴールドマンサックス証券が観測期間の半ばから戦略を変えていることが明らかになった.またドイツ証券が本稿の観測期間において最大の売りポジションを取っているが,超過需要曲線の傾きを示すパラメータの値は非常に大きく,積極的に先物を売る戦略を取っていたことが明らかとなった.
著者
木下 直俊 林 康史
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 = The Quarterly journal of Rissho Economics Society (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.69-95, 2018-03

ブラジルの国営石油公社ペトロブラスをめぐる汚職事件の捜査が2014年3月に開始され,4年近くが経過した.同社が長年にわたって常習的に取引先企業との契約で水増し請求をさせ,そこから捻出した裏金を政党や有力政治家に繰り返し渡していた.捜査の過程で,贈賄側として汚職事件に関与したブラジル最大手建設会社オデブレヒトが,中南米等諸外国の大統領・有力政治家へ贈賄を行っていた実態が発覚し,これら関与した国々の内政・経済に影響を及ぼしている.2000年代から中南米諸国は汚職撲滅を重要課題として掲げ,汚職対策の強化に取り組んできたが,今般汚職事件の発覚により,依然として多くの国で汚職の慣行が深く根付いている実態が明らかとなった.一般的に,汚職はさまざまな面で経済成長を阻害する要因とされている.中南米地域の経済成長率は回復しつつあるもののその勢いは弱く,再び活力を取戻し,持続的かつ社会的に公平・公正な成長を実現するには,各国政府が汚職撲滅に向け,司法改革や法の支配の確立に取り組み,実効性の高い汚職対策を講じる必要があろう.小畑二郎教授定年退任記念号
著者
西津 伸一郎
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 = The Quarterly journal of Rissho Economics Society (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.69, no.2, pp.75-96, 2019-10-30

統計分布は有意性の検定など統計的検定に用いられるが一般的であるが,本稿は統計分布の形状自体から多くの示唆が得られることを示すのが目的である.事例として用いたのが,大学の偏差値と志願者数,パレートの法則そしてロングテールの法則である.パレートの法則に対しロングテールの法則は,一見するとパレートの法則に対するアンチテーゼのように見える.ところが,この2 つの法則はどちらも同一のパレート分布とよばれる統計分布から導かれている.なぜ異なる結論に至るのかを明らかにする.
著者
小島 健
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.105-129, 2005-03-20

1993年の憲法改正によってベルギーは連邦国家に移行した。ベルギーの連邦化は第二次大戦後の国内における地域対立の激化と地方自治要求の高まり、ヨーロッパ統合の進展など国内外の環境変化に対応したものであった。本稿はベルギー建国以来、劣位におかれてきた北部フランデレンの発言力向上、2度の世界大戦による影響に留意しながら、1970年の戦後最初の憲法改正以来、4度の憲法改正によって徐々に形成されたベルギー連邦制の歴史的意味を考察することを目的とする。また、本稿では、ベルギー連邦制がヨーロッパ統合の進展と同時進行的であったことに注目して、ヨーロッパ統合の議論における連邦制につながる地方自治の要求の高まりについても考察する。この点については、まずヨーロッパ審議会で採用され、ついでまーすとりひとじょうやくにもとりいれられた「補完性原理」受容の過程に即して検討する。
著者
西津 伸一郎
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.67, no.4, pp.97-116, 2018-03-30

本稿の題目は,「消費税は本当に消費者が負担しているのか」である.しかし本稿の目的は,それを解明することではない.言葉(文字)だけによる説明・主張の危うさを指摘することが目的である.言葉(文字)による説明は,その記述は部分的には正しいあるいは正しく見えるものによって構成される.そのためその説明によって得られた結論は,正しいあるいは正しく見えてしまうことになる.消費税と限界費用を例に,誤った結論に誘導してしまう危険性を指摘する.
著者
藤岡 明房
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.62, no.4, pp.163-188, 2013-03-29

平成21 年9 月政権についた民主党は,かねてからマニフェストで取り上げていた高速道路の無料化を実施する前に,限定した路線だけで高速道路の無料化を実施するという社会実験を平成22 年6 月から平成23 年3 月末までの期間に行った.その社会実験は37 路線50 区間において行われ,全車種が対象となった.社会実験が終わった後,政府から社会実験の結果が発表されたが,社会実験により,高速道路の交通量が増加することや,平行する一般道の交通量が減少することが予想されたにもかかわらず,必ずしも交通量の増加や減少は明らかではなかった.その理由として,社会実験として選ばれた区間は,当初からあまり影響が出ないような区間が選ばれていたことが考えられる.そこで,社会実験の効果を統計的に確認するため,統計的手法の一種である一元配置分散分析と二元配置分散分析を社会実験の結果に適用してみた.また,社会実験の効果が地域的に異なっているのか否かを確認するため,全国を6 つの地域に区分して分析を行ってみた.その結果,関東地域,中部・近畿地域で社会実験による交通量の増加が有意ではなかったことは予想できたが,北海道も交通量の増加は有意ではなかった.影響があったのは,東北地域と中国・四国地域であり,限定された影響といえる.並行一般道路の交通量はある程度減少するものと予想されていたが,実際にはすべての地域において有意な差は見いだせなかった.したがって,今回の高速道路無料化の社会実験の結果からは,無料化した高速道路の交通量は大幅に増加するとか,平行する一般道の交通量は著しく減少するとかは必ずしも言えないことになった.
著者
北原 克宣
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3/4, pp.61-94, 2011-03-20

本論文は,戦前から戦後にかけての日本の食料需給政策の背景と性格に関する分析および考察を通じて,戦後日本資本主義の展開の中で食料自給に対する認識がどのように変遷してきたのかを明らかにすることを課題としたものである.この課題を明らかにするため,本論文では,まず近年における食料自給をめぐる議論について,浅川芳裕氏の近著を取り上げ批判的に検討した.そのうえで,戦前の食糧需給政策について整理し,戦前日本において食料(糧)自給が追求されたのは第二次世界大戦前と戦後の一時期に過ぎず,しかも,これが実際に達成されたのは植民地からの移入米を含めてようやく「自給」を達成した戦前の一時期に過ぎないものであることを明らかにした.戦後における食料(糧)需給政策については,当初,食糧増産政策はとられるものの,MSA協定などを通じてアメリカ余剰農産物の受け入れ体制が構築されることにより,日本は米を除く食糧の自給は放棄する方向へと進むことになった.これを決定づけたのが農業基本法であり,これ以降,日本の土地利用型畑作は壊滅的状況となり,麦類や大豆の自給率は大きく低下させることになった.その後,1980年代半ばまでは,食管制度を通じて農業・農村もかろうじて維持され,これが米過剰をもたらす要因ともなるのであるが,1985年以降,新自由主義的政策への転換の中で,さらに自給率を低める方向へ作用していった.本論文では,この段階を食糧自給放棄から食料自給放棄への転換点と捉えた.さらに,食料・農業・農村基本法の制定以降,食料・農業・農村基本計画の策定にともない食料自給率目標が設定されることになったが,それを実現できる政策が構想されているかどうかという点では疑問の残る内容にとどまっている.以上を踏まえ,本論文では,これからの食料自給のあり方について,グローバル段階における広域的再生産構造を前提としたうえで基礎的食糧の自給は目指しつつ,東アジア圏での貿易による補完的関係を構築していくなかで食料自給を達成する方向性を提起した.
著者
小島 健
出版者
立正大学
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.45-77, 2007-03

今から半世紀前の1957年3月25日に欧州経済共同体(EEC)を設立する条約(ローマ条約)がフランス,ドイツ,イタリア,ベルギー,オランダおよびルクセンブルクの6ヵ国によって調印された.EECは,今日27ヵ国の加盟国を有する欧州連合(EU)の母体であるが,1973年にイギリスを始め3ヵ国が新規に加盟するまで欧州大陸の一部に限定された共同体に過ぎなかった.EECの設立に関しては,これまでも政治,経済,法律など様々な分野で研究が行われてきた.しかし,それらの研究のほとんどは,フランスやドイツなど大国の対応に限定されており,小国に関する研究は僅かであった.ところが,本稿で明らかにするようにEECの設立においては小国同盟であるベネルクス同盟が主導的役割を果たした.ベネルクスは,ベルギー,オランダおよびルクセンブルクとの間でEECに遡る事10年前の1948年に関税同盟を発足させ,さらに1950年代半ばになると事実上の経済同盟へと発展した.ベネルクスはEECのマスター・プランを提供した面も持つ.そこで,本稿では,ベネルクス経済同盟とEEC設立との関係を中心に,EEC設立の経緯を考察することにより,欧州統合における小国の役割およびベネルクス経済の実態について接近する.
著者
小島 健
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.57, no.3, pp.37-52, 2008-03

欧州統合の歴史は中世にまで遡って考えることもできるが,現在のEUの原型が形成されたのは第二次大戦後の復興の後半局面にあたる1950年代前半のことである.1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の設立がそれである.本稿の目的は,ECSC設立前の欧州統合運動を考察することにある.欧州諸国政府が統合に向かって動くには,1945年の終戦後の民間における統合運動が大きく影響していた.しかし,従来の統合史研究は政府間ないし各国経済間の関係の分析に焦点が当てられ,非政府組織による欧州協調の動向に関心を払ってこなかった.こうした研究上の空白から,なぜ1950年代に入って大陸ヨーロッパ諸国政府が経済統合に向けて急速に舵を切ったのか,その背景にどのような人物や団体が影響を与えていたのかが明らかではなかった.本稿で考察する欧州経済協力連盟は,ヨーロッパの自由主義的政治家,経営者を中心として1940年代後半に結成され,経済統合についての研究,政策提言を行い,欧州統合を経済面から進める潮流を形成した.本稿では同連盟の設立期における活動を検証し,欧州統合が経済面で進展した背景の一端を明らかにする.
著者
三海 敏昭
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.73-147, 2004-09-30

わが国では、バブル崩壊後不況脱出のために度重なる財政出勤が行われた。金融政策も金利はほとんどゼロにはりつき、量的緩和は限界まで行きついてしまった。しかし、景気は一進一退しながら、長期不況から脱しきれないでいる。ここで、二つの疑問が出てくる。一つは、10年を超える長期間日本経済の停滞が続いたのはなぜか、いま一つはこれほど大規模なバブルの崩壊があったにもかかわらず、日本がなぜ大恐慌に陥らずに澄んでいるのかということである。数多くの分析・提言の中から、B/S(バランスシート)不況説と構造改革不況説、この二つの仮設を採り上げる。日本の景気はようやく上向いてきたが、これは決して構造改革の成果ではない。リストラをやりぬいた製造業が、輸出の後押しも得て縮む経営から挑む経営へ転換し、地方や中小企業がどん底から立ち上がって、現場から再生を始めているのである。とくに製造業の新商品開発は、デジタル家電はじめ目覚しい。わが国のモノづくりの復活であり、工場建設の国内回帰が進展している。先の参議院選挙後、政権交代が起きず、景気回復が目に見えるようになってくると、構造改革論が自信を取り戻し、財政再建の声も出はじめている。わが国が97年、2001年の間違いを繰り返さぬよう、この小論にいうB/S不況説、構造改革不況説を十分検証してほしい。
著者
小島 健
出版者
立正大学
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.1-33, 2004-09-30

本稿は、戦後ヨーロッパ統合の先駆となったベネルクス関税同盟について、おもにベルギーの側から研究したものである。第二次大戦期にロンドンにあった亡命政府によって締結されたベネルクス関税協定は、戦後構想と密接な関係を持っていた。英米とくにアメリカを中心とした戦後世界においてヨーロッパ小国が経済的に自立し政治的発言権を確保する意図がベネルクス同盟にはあった。だが、大戦が終結し亡命政府が帰国しても関税協定の発効は遅れた。その要因はオランダの経済困難、ベルギーのオランダ農業に対する恐怖感、税制の不一致など国益にかかわる重大な問題があったからである。ベネルクス諸国はこれらの問題を解決するか、先送りすることによって1948年から関税同盟を発足させた。ベネルクス同盟は、EECのモデルとなり欧州統合の実験室となった。また、小国が大国に対して結束することで人口や経済規模に比較して大きな発言力を確保できた点は今日のEUにあっても注目される。
著者
小島 健
出版者
立正大学
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.54, no.3, pp.105-129, 2005-03-20

1993年の憲法改正によってベルギーは連邦国家に移行した。ベルギーの連邦化は第二次大戦後の国内における地域対立の激化と地方自治要求の高まり、ヨーロッパ統合の進展など国内外の環境変化に対応したものであった。本稿はベルギー建国以来、劣位におかれてきた北部フランデレンの発言力向上、2度の世界大戦による影響に留意しながら、1970年の戦後最初の憲法改正以来、4度の憲法改正によって徐々に形成されたベルギー連邦制の歴史的意味を考察することを目的とする。また、本稿では、ベルギー連邦制がヨーロッパ統合の進展と同時進行的であったことに注目して、ヨーロッパ統合の議論における連邦制につながる地方自治の要求の高まりについても考察する。この点については、まずヨーロッパ審議会で採用され、ついでまーすとりひとじょうやくにもとりいれられた「補完性原理」受容の過程に即して検討する。
著者
深澤 竜人
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 = THE QUARTERLY JOURNAL RISSHO ECONOMICS SOCIETY (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.70, no.1, pp.37-80, 2020-07-30

本稿は1920 年代後半において日本にマルクス主義・マルクス経済学が興隆した,その状況と要因に関して,『左傾学生生徒の手記』から検討した.当時の時代的背景や日本経済の状況,マルクス主義・経済学が持つ理論的特徴,日本経済に関する分析能力,分析結果に対する耳目の集まり,これらが要因となっていたことを提示する.
著者
池田 宗彰
出版者
立正大学
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.51-99, 2005-01

力学的物理現象を統一的に説明するものがシュレーディンガー方程式である。物理現象(連続的時間に関する変化曲線で表される:因果性)が粗視化されて跳び跳びに観測されて一時点に重ね合わされると確率分布に変換される。これはシュレーディンガー方程式の波動関数の確率性である。しかしこの確率化は不完全である。この確率分布には系列相関(因果性)が残るからである。これが繰返されるプロセスで確立は純化されてゆく。これは、一定の視野への粒子の時空値の参入と粗視化の繰返しを伴いながら、階層を上ってゆくプロセスであり、シュレーディンガー方程式の階層上げである。それが、物理現象→生命現象→心理現象、と派生・移行してゆくプロセスを誘導構成する。何となれば、粒子の因果性が確率に変換されることで、粒子に自発性・任意性が出てくる。分子が"自発的"だということは、分子が"確率的"だということと等価である。因果性が不完全に確率化されるある段階で分子に目的概念が出て来、ここが生命の発生点となる。ここはRNAレプリカーゼ分子が発生した時点に対応する。それがさらに確率化されると任意性が出てくる。ここが心理の発生点である。これはヒトの大脳新皮質の発生時点に対応する。以上の一連を統一的に説明するものがシュレーディンガー方程式を構成する波動関数の確率性の"純化"のプロセスである。(加えて、生命現象を表現する連立差分方程式系が、粒子の確率性を表現するシュレーディンガー方程式と等価となることが証明される。又、シュレーディンガー方程式は階層上げに従い、マクロの"粒子"を説明するニュートン力学とも整合的である。)
著者
侘美 光彦
出版者
立正大学
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.53, no.1, pp.65-124, 2003-10

本論文は、1971年以来確立した現代変動相場制を、その現実的機能と限界について分析した論文である。まず、そのために第1章において、1970年代、80年代、90年代のそれぞれの変動相場制期について、どのようなことが起こり、どのような問題が発生したのかを具体的・実証的に検出し、ついで第2章において、この検出を踏まえた総括的分析を行ない、とりわけ、従来の経済学が指摘してきた為替相場均衡理論や経常収支調整理論が根本的に間違っていたことを明らかにする。本稿は、そのうち第1章(1) 1970年代(1971〜80年)、すなわちスミソニアン体制、第一次石油ショックとスタグフレーション、為替相場の二極分化と対途上国民間融資の急増、および(2) 1980年代(1981〜90年)、すなわち主に、レーガノミックスとその国際的帰結、プラザおよびルーブル合意、ドルの暴落とブラック・マンデー、等々を分析したものである。
著者
田中 裕之
出版者
立正大学経済学会
雑誌
経済学季報 (ISSN:02883457)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.143-156, 2016-03

本稿の主題は,世界経済の実体的基礎を担ってきた現代製造業を中心とする産業再編である.特に中国・アジアシステムにおける産業構造の転換とその世界市場的意味である.中国は,21 世紀に入り世界経済の実体過程を担うアジアシステムの基軸となり,現在製造業を中心として労働力不足と賃金上昇による生産システムの転換に直面している.中国経済の実体過程は同時に世界市場の実体過程の基軸となっており,既に自動車産業を中心として機械機器産業は,国際競争市場である.その生産システムにおける自動化やロボット化,あるいは作業現場単位の情報ネットワーク化の進展がもたらす産業構造の転換は,欧米製造業にとっても最大の再編課題となり,製造業を超える問題と言える.実際に,IoT(Internet of Things),情報データの分析の自動化(AI)の登場は,建設・インフラから医療や新産業のヘルスケア・バイオを中心に,研究開発投資(R&D)が拡大している.その中国・アジアシステムを軸とする世界的な産業再編とその 21 世紀前半世界における地位と方向性の考察が最終課題となる.