- 著者
-
三木 英
三浦 太郎
- 出版者
- 英知大学
- 雑誌
- 基盤研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1998
本研究が目指したところは、阪神大震災によって大きな被害を受けた地域社会が復興するにあたり、宗教が何らかの寄与を為し得たのかどうかを検証することであった。これまで得られた知見を以下に述べるなら、リジッドな組織を伴う神道、仏教、キリスト教、新宗教が地域社会の復興に貢献することはかなり難しいということがまず挙げられよう。教団は基本的には、そこに所属する信者の方角を向いていたのであり、地域社会全体にその翼を広げることはしなかった(できなかった)のである。たとえば天理教では被災後、活動を地域社会において展開しようとして壁に突き当たったという事実を、本研究は突き止めている。教団へのアレルギーが確かに被災者の間には存在したのである。とはいえ、宗教そのものが完全に被災者によって拒絶されたというわけではない。犠牲者の慰霊を宗教的な儀礼によって行うことは、多くの被災者が求めたところであった。また本研究は、被災地において巡礼が創出されたことを指摘しているが、このことは被災者が自らの心のケアに供するべく宗教的な装置を利用したことを示すものである。さらに本研究では子供達の他界観にも注目をしているが、彼らは、自身にとっては遠い概念であった死に対処するため、他界に言及して心の平穏を取り戻そうとしたようなのである。被災者は、組織という外殻を纏う限りの宗教に対してはネガティブであったといわざるをえない。しかし、外殻を意識させない拡散したかたちの宗教に対してはポジティブな姿勢を見せたといえるだろう。危機的状況に在る社会で、そのダメージからの回復に寄与する可能性を宗教が有することは確かである。ただしそれは、組織的・制度的宗教ではなく、非教団的な宗教であることが本研究から判明したのである。