著者
杉原 重夫
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
地理学評論 (ISSN:00167444)
巻号頁・発行日
vol.43, no.12, pp.703-718, 1970-12-01 (Released:2008-12-24)
参考文献数
24
被引用文献数
11 12

下総台地の西部を構成する地形面を,とくに関東ローム層の層序に注目して区分・対比し,台地の地形発達を明らかにした. (1) 関東ローム層をのせる地形面は,上位から下総上位面,下総下位面,千葉第1段丘,千葉第2段丘に分けられる. (2) 下総上位面は海岸平野,下総下位面は海岸段丘又は氾濫原平野,千葉第1段丘,千葉第2段丘は河岸段丘である. (3) 下総上位面,下総下位面の分布状態から,下末吉海進の海が海退に転じた直後の古東京湾中部における古地理を明らかにすることができた.古東京湾の海が南(東京湾方向)と北東(鹿島灘方向)に分化した時期は,少なくとも下末吉ローム層中部のPm-1軽石層堆積以前である. (4) 周辺諸台地との対比をおこなった結果,今まで下末吉面と武蔵野面の2段に区分されていた地形面は, S1・S2・Mの3面に分けられるべきことが明らかになった.このうち台地の主面として広く分布するのは, S1・S2面で,これまでの武蔵野面 (M面)は,ごく狭い地域にしか分布しない.

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杉原1970によると、ピカピカ台地は下総下位面、浸食台地は下総上位面で、海から陸になった年代が浸食台地の方が古いようだ。 https://t.co/qqQsQPsoyU https://t.co/vKzK4cJhDW
龍泉院(千葉県柏市)は、北側の台地より一段高い場所にある。杉原(1970)によると、北側の台地は下総下位面、龍泉院から南は下総上位面になるようだ。https://t.co/qftpFnvONg https://t.co/gTkjwowS6C
@e_ikuon その一帯も(私が勝手に)注目の千葉段丘のようですね。杉原(1970)の黒塗り部分。https://t.co/qftpFnvONg https://t.co/SEZzkoHX2W
@hira_sail @e_ikuon 手賀沼を挟んで我孫子側ですが、杉原(1970)の柱状図197番のイメージに近いでしょうか。竜ケ崎砂層なるものが出るようです。帯水層もここになりましょうか。周辺下総台地での竜ケ崎砂層の露出と中世集落分布とか面白いかも。https://t.co/qftpFnvONg
カシミールスーパー地形で眺めると見事な非対称台地。大神保の集落は千葉段丘上の集落っぽいぞ。千葉氏支流の神保氏の本貫地なら中世集落の可能性大。船橋市史を調べてみるか。杉原(1970)下総台地西部における地形の発達 https://t.co/UIvIqyt4w6 https://t.co/ZyrsEz9vV2
千葉県印西市の別所探訪。台地の上に登った地点Bあたりはわずかな人家があるものの、ほとんど畑。畑の向こうの森の中で、さらに高さを上げた台地面は杉原(1970)によると下総上位面。下総台地西部における地形の発達 https://t.co/UIvIqyt4w6 https://t.co/A6G15XxLuC
篠籠田探訪の出発点は柏中学校前交差点(地点A)。柏駅前に繋がる柏中通りは杉原(1970)でいうところの下総下位面の上をゆく平坦な道。交差点から北に緩く下る道を入っていく。杉原(1970)下総台地西部における地形の発達 https://t.co/UIvIqyt4w6 https://t.co/W8eA3DdleT
千葉段丘と中世村落との関係に興味を持つ。杉原1970論文で千葉段丘と分類されている段丘面を手賀沼周辺の下総台地地形図上で拾い上げると矢印のような位置にある(カシミールスーパー地形を利用)。杉原1970, 下総台地西部における地形の発達 https://t.co/UIvIqyt4w6 https://t.co/uKROznhD4G
牛久自然観察の森(茨城県牛久市)のあたりの台地と低地の間の段丘面。下記の論文によると、どうやら下総台地の谷津の右岸に遍在する千葉段丘と同様の分類ができるようだ。下総台地西部における地形の発達https://t.co/AaLxJEoz89
下総台地についての論文を読んでる https://t.co/jhcGymOgFp
下総台地西部における地形の発達 - J-STAGE https://t.co/k1fer5JLRY

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