著者
平山 優
出版者
国際忍者学会
雑誌
忍者研究 (ISSN:24338990)
巻号頁・発行日
vol.2020, no.3, pp.1, 2020 (Released:2021-09-01)
参考文献数
17

本稿は、二〇一九年に上田市で開催された国際忍者学会における記念講演「戦国時代の忍びの実像について」を論文化したものである。本稿では、まず、戦国期の忍びについて、戦国末期から近世にかけての人々がどのように認識していたかを、武家故実書の『武家名目抄』、近世初期成立の軍記である『甲陽軍鑑』での記述を検討した。そこでは、忍びとは①草、かまり、透波、乱波、突破など多様な呼称があり、②戦場では最前線に配置され、夜間の陣所警護、夜討などを任務としていた。また、夜間の敵城潜入や放火、乗っ取りなど、戦国大名にとって、正規軍同士の会戦以外の部分で、大きな活躍が期待され、③その出自はおもに、悪党(アウトロー)出身者)が多かったが、④戦国大名が課役として村町から動員した者もいた、などと記されていた。これらの記述を、戦国期の史料より検討してみると、これらの認識はほぼ正しく、忍びは、戦国大名の軍隊では「足軽」に編成され、おもに夜間の戦闘(夜討、潜入)や敵の城砦、陣所への潜入、放火、最前線での伏兵や略奪などをになっていたことを明らかにした。そして、戦国大名が彼らを登用した背景には、軍事的要請のほかに、領国内の治安維持を担わせるという意味があったことも指摘した。

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[中世][近世][戦国] 「按」は「按ずるに」と送ったほうがいいと思う。漢文読みには常識なんだけど。
縦書き久しぶりに見た
「戦国時代の忍びの実像 平山優」

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@tougoku_kenki 平山優氏が戦国時代の忍びの活動について論考を書かれており、一次史料の記録に残るだけでも何らかの手段で間者が城に侵入し放火を敢行することは度々あり、武将たちも警戒をしていたようですね。 出典:『戦国時代の忍びの実像』2020,平山優(PDF注意) https://t.co/kGwlDSz04s
戦国時代当時の手紙、感状、日記等、一次史料に垣間見える忍びついて知りたいときに役立つ論考2点(pdf注意) 岩⽥明広 2021「戦国の忍びを追う」 https://t.co/L10Dm0sQt8 平⼭優 2020「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/ICxiq7tLcZ (リンクが変な感じになっていたので修正)
なお、この内容を論文化したものが『忍者研究』で閲覧可能。 なお「はじめに」の「戦後歴史学の影響もあり、(中略)軍事や合戦についてはほとんど手付かずの状況である」という指摘には感動しました。 #忍者 #平山優 J-STAGE Articles - 戦国時代の忍びの実像 https://t.co/Kf5baLrpmY https://t.co/5mJRPNlhCo
あとで読むメモ 戦国時代の忍びの実像 平山 優 https://t.co/tKX7aORFHv
メモ:J-STAGE Articles - 伊達政宗の絶縁状 https://t.co/KyCqbAyitv J-STAGE Articles - 「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に https://t.co/k2eSvIXVyv J-STAGE Articles - 戦国時代の忍びの実像 https://t.co/F9Bc2zOcs3
https://t.co/0Rr8yjyix2 甲陽軍鑑だと 武田軍の透破は 偵察だけでは無く 夜間の陣地警備・夜襲時の馬の略奪・放火及び籠城戦も行っているが 昼も伏兵に利用されていたと言う事なのかだが
昨年発行の「忍者研究」3号がJ-STAGEに登録されました。 平山優「戦国時代の忍びの実像」 https://t.co/9DyB94DisC 上田哲也「熊本藩細川家の忍び」 https://t.co/cuugy9uD47 田村梨紗「「忍者・服部半蔵」の誕生──昭和三九年までの作品を対象に」 https://t.co/40Q2TA5RIi

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