著者
藤井 崇史
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.128, no.11, pp.27-51, 2019 (Released:2021-09-02)

第一次大戦期に中国の関税引き上げが日中間の外交問題となると、これに対する寺内正毅内閣の対応を批判して、関西の実業家を中心に大規模な反対運動が起こった。本稿ではこの運動をめぐる政治過程をとりあげ、大戦の長期化のなか展開された寺内内閣の対中政策によって国内政治に生じた問題について考察する。 中国の関税引き上げについては、大戦前の段階から対中輸出貿易への依存度が高い大日本紡績連合会(紡連)などが強い懸念を示していたが、当時は政府・政党もこれらの実業家と問題意識を共有し、その陳情を汲み上げていた。しかし大戦期に再び本問題がもちあがると、当時の寺内内閣は一転して関税引き上げを容認し、代わりに中国への事業投資を促すようになる。これは当時問題となった国内物価騰貴や中国・連合国との外交関係を考慮して提示された政策であったが、紡連に加え関西地方を中心とした同業組合や商業会議所は、国内産業にとって対中輸出が持つ重要性をあくまで強調し、激しく反発した。これに当時の政局が連動することで運動は一層高揚、運動側は政府との対決姿勢を強め広範な実業家に参加を呼び掛けた政治団体の結成を目指したが、対中投資の必要性を認める憲政会や東京実業界との提携は進展せず、最終的に関西の実業家によって大日本実業組合連合会が結成されるに至った。 このように寺内内閣の措置を契機として、中国関税問題は大戦中の日本が抱えるようになった外交・経済問題への対応のあり様を焦点とした政治問題へと発展した。その結果、従来の関税問題をめぐる政府・政党・実業家間の安定的関係は変容を余儀なくされ、寺内内閣の政策構想に批判的な実業家は結集して外交問題への発言力の強化を模索していった。大戦後も関税問題は日本の対中外交の焦点のひとつとなったが、その背景にはこのような問題が潜在することになったのである。

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