著者
吉川 和希
出版者
公益財団法人 史学会
雑誌
史学雑誌 (ISSN:00182478)
巻号頁・発行日
vol.130, no.6, pp.63-86, 2021 (Released:2022-06-20)

近年のベトナム史研究では、十七~十八世紀の紅河デルタにおける自律性の高い村落の形成過程が議論されている。しかしながら人口過剰、耕地開発の限界と相次ぐ天災で多くの農民が流亡した十八世紀に各村落がいかなる戦略を採ったのか、いまだ十分には解明されていない。そこで本稿では村落から人員を供出して祠廟・仏寺や地方官衙の維持管理に当たり、その代わりに公的負担を減免される皂隷や守隷に注目し、公的負担の減免という権益の維持・拡大を官に働きかける村落の動きに光を当てることで、村落住民の戦略を考察した。 十七~十八世紀には多数の村落が皂隷・守隷として公課を減免されたが、同一村落であっても時期によって免除される公的負担が変化しており、皂隷・守隷の権益は流動的かつ不安定だった。村落に対する税・役の賦課は地方官吏にとって自身の私腹を肥やす機会でもあったため、地方官の側が皂隷の村落に対して本来免除すべき負担を賦課する事例もあった。そのため村落側は、既に国家によって承認された公課免除の再承認を何度も要求していた。村落住民が自身の免除対象を維持・拡大しようとする際には、他村落と連名で上申文書を発出する、あるいは他村落の事例を援用して自身の主張を正当化するなどの戦略を採っていた。十八世紀半ば~後半に自然災害や動乱が多発する中で、困窮化を回避するために各村落は様々に努力していた筈であり、公的負担の減免を伴う皂隷もその一環だったに違いない。ただ中央政府は全村落の主張を認めると財源不足に陥るので、財政収入との兼ね合いを勘案しながら村落間の利害を調整していたと思われ、村落側の要求を拒絶する場合もあった。このように十八世紀における人口過剰、海上貿易の衰退、耕地開発の限界と相次ぐ天災という状況下で、限られた資源をめぐって中央政府・地方官・村落がせめぎ合っていた。

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