- 著者
-
近藤 好和
- 出版者
- 国際日本文化研究センター
- 雑誌
- 日本研究 (ISSN:09150900)
- 巻号頁・発行日
- vol.42, pp.11-36, 2010-09
本稿は、これまで研究のなかった天皇装束から上皇装束へ移行する転換点となる布衣始(ほういはじめ)という儀礼の実態を考察したものである。 第一章では、布衣始考察の前提となる天皇装束と上皇装束の相違をまとめた。公家男子装束は必ず冠か烏帽子を被り、冠対応装束と烏帽子対応装束に分類できる。天皇は冠しか被らず、冠対応装束のうち束帯と引直衣という特殊な冠直衣だけを着用した。一方、上皇は臣下と同様に烏帽子対応装束も着用した。かかる烏帽子対応装束の代表が布衣(狩衣)であり、布衣始とは、天皇譲位後初めて烏帽子狩衣を着用する儀礼である。 ついで宇多から正親町まで(一部近世を含む)のうち上皇だけを対象として、古記録を中心とする諸文献から布衣始やそれに関連する記事を抜き出し、第二章平安時代(宇多~安徳)、第三章鎌倉時代(後鳥羽~光厳)、第四章南北朝時代以降(後醍醐~正親町)の各時代順・各上皇順に整理して、布衣始の実態を追った。 天皇装束と上皇装束の相違は摂関期から認識されていたが、上皇が布衣を着用するという行為が意識されるようになるのは高倉・後白河からであり、それが布衣始という儀礼として完成し、天皇退位儀礼の一環として位置づけられるようになるのは鎌倉時代、特に後嵯峨以降である。さらに南北朝時代には北朝に継承され、室町時代には異例が多くなり、上皇のいない戦国時代を経て、江戸時代で復活するという流れがわかった。 最後に、布衣始が院伝奏や院評定制といった院政を運営する制度と同じく後嵯峨朝で完成した点に注目し、布衣始の成立と定着もかかる流れの一環として理解することができ、布衣始が伝奏や評定が行われた院政の中心的場である仙洞弘御所で行われたことから、布衣始は院政開始儀礼であり、布衣という装束を媒介として天皇の王権から上皇(「治天の君」)という新たな王権への移行を可視的に提示する儀礼であったという見通しを述べた。