著者
笠井 津加佐 笠井 純一
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科 = Graduate School of Human and Socio-Enviromental Studies Kanazawa University
雑誌
人間社会環境研究 (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.33, pp.149-164, 2017-03

初世菊田歌雄(1879-1949)は. 大阪地域を中心に, 箔曲・ 地歌の教育とその芸能の保存に貢献した女性であった。 当時の邦楽演奏家の多くは, 伝統芸能の専門職集団であった花街と深く関わり, 稽古や踊りの地方として活躍していた。 しかし彼女は, 花街とは関係を持たず, 大阪女子音楽学校 (相愛高等女学校に併設)や大阪市立盲学校などで教えると共に, 伝統芸能の専門職として独自の道を歩んだ。 彼女は継山流箔曲をはじめ, 地歌. 胡弓を習得し, その継承のため教 育に努める一方. 箪曲の採譜とその公刊. 点字楽譜の作成. バイオリン用箪曲譜(五線譜)の公刊も行った。 当時宴席でバイオリンを弾く芸妓がおり, 初世歌雄の譜面が使用された可能性もある。 また新聞で地歌の紹介にも努めている。 彼女の教育活動は, 菊原琴治と共に行った公立 女学校において等曲を正課とする運動へと発展し, 文部省の認可を得て, 箔曲音楽学校の設立に至ったが戦後の学制改革により廃止された。 本稿では, 初世歌雄の等曲教授活動の特色について, 菊田氏(三世歌雄)からの聞き取りと提供史料に即して考察を行った。 初世歌雄の教育と花街の教育は, 共に古典芸能の専門職を育成したという点では似ていた。 しかし, 初世歌雄は将来家庭に入る婦人や箪曲・地歌の専門職を育成する学校で教育を行ったのに対し, 花街における芸妓は一定の見習い期間の後は芸を披露する専門職として扱われ, 日々師匠や先輩芸妓について芸を磨きながら座敷に出た点が異なっている。 本稿では, この教育の在り方の相違が, 両者の音楽性(芸質)に違いを生じさせていると推測したが. 明らかに出来なかった点も多く. 今後の課題としたい。

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この論文は、地歌の名跡である菊田歌雄師を中心として、大阪における近代の地歌箏曲史を研究されたものです。→ 「大阪芸能史上に筝曲家 : 初世菊田歌雄が果たした役割について」(https://t.co/EpsL7bouOF)

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