著者
クレーマ ハンス・マーティン
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.88, no.3, pp.521-544, 2014-12-30 (Released:2017-07-14)

明治前期における宗教概念形成過程のなかで、浄土真宗本願寺派の僧侶・島地黙雷(一八三八-一九一一)が果たした役割の重要性は、先行研究においてすでに指摘されている。その理由の一つは、「信教の自由」の先駆者として捉えられてきた島地が明治五年、実際にヨーロッパを遊学したことであるが、彼がヨーロッパで具体的に誰と会い、どのような経験を通して「ヨーロッパ」の影響を受けたかは、必ずしも解明されていない。本論文の目的は、島地がフランスやドイツで明治五・六年に出会った人物とその思想を明らかにすることを通じて、帰国後の彼の思想展開を分析するための手がかりを得ることである。特にこれまでの研究において謎であった、島地がベルリンで面会した「リスコ」の人物像を解明し、プロテスタント牧師であった彼から島地が学んだ自由神学の影響を検討することによって、近代日本における宗教概念形成研究への貢献を目指すものである。
著者
クレーマ ハンス・マーティン 楠 綾子
出版者
東京大学社会科学研究所
雑誌
社會科學研究 (ISSN:03873307)
巻号頁・発行日
vol.59, no.1, pp.150-170, 2007-12-17

本稿は,1948年から1950年にかけて行われた「共産主義的」大学教員の追放(レッド・パージ)を,いわゆる占領政策の「逆コース」の一例として検討する.本稿は,レッド・パージは,米国の対日政策の変化によるものではなく,むしろ日本主導で行われたと考える.反共主義は1946年以降,教育行政の思想においては不可欠の要素であった.しかしながら,反共主義が処罰的行動へと直結したわけではない.政治色よりも大学での地位の低さといった要素が個人の追放の決定要因になったことは,追放が単に上からの命令によるものではなかったことを示唆している.本稿は,旧制弘前高校の哲学講師と京都府立医科大学の解剖学教授のふたつの追放の事例からこれを証明するものである.「逆コース」を従来の研究のようにとらえれば,日米それぞれの担当者が占領政策にいかなる貢献をしたのかが見落とされることになる.占領政策の形成に日本がいかなる役割を果たしたのかを明らかにするためには,中堅,下層レベルの行動を考慮に入れて占領期の正確な実像を描く必要がある.