- 著者
-
石原 秀彦
- 出版者
- 東京大学社会科学研究所
- 雑誌
- 社会科学研究 (ISSN:03873307)
- 巻号頁・発行日
- vol.57, no.5, pp.41-85, 2006
本論文では,貨幣について明確かつ操作可能な定義を与え,その定義の下で,貨幣が市場経済において果たす役割を,交換に必要な情報の観点から論証する.本論文で用いる貨幣の定義とは,「市場交換を媒介するモノ」であり,市場交換とは,(1)もっぱら交換される財の取得を目的とし,(2)参加者の自発的な意志に基づいて行われ,(3)社会全体に比して比較的少数,典型的には2者の間で行われ,(4)個々の交換が,同じ参加者による将来の交換を前提としないという意味で,それ自体で完結しており,(5)潜在的な参加者が事前に限定されていない,という特徴を持つ財の移動・再配分のことである.不換紙幣の媒介する市場交換をイメージした「一方的な贈与の無限の連鎖」としての市場交換のモデルを考察すると,貨幣が存在しない場合,市場交換を通じて望ましい財の配分が実現するためには,交換の無限の連鎖に関わるすべての主体間で,取引の歴史全体に関する公的な情報が共有される必要がある.これに対して,貨幣が存在する場合には,「その貨幣が信頼に足りうる」限り,取引相手が貨幣を保有していることさえ知っていれば,他には何の情報がなくとも,望ましい市場交換が実現することが示される.さらに,完全な歴史の共有かまたは貨幣が必要となるのは,単発的な交換の連鎖となる市場交換に特有なものではなく,むしろ利己的な交換一般に共通するものであることが,「利己的な互酬的贈与」のモデル分析より明らかになる.むしろ,多くの「原始貨幣」が利己的ではない社会的交換の媒介として機能していたことから,何らかの理由で「原始貨幣」が社会的交換を媒介し始めた後,交換が利己的なものへと変質した瞬間が,貨幣の起源であると考えられる.In this paper, I study the role of money in market exchanges from the point of information. I define 'market exchange'as a voluntary and isolated transfer of goods among relatively a few unrelated people, aiming to get the good others have. The model of market exchanges in this paper is constructed as an infinite sequence of one-sided gift-giving, which imitate a market exchange mediated by fiat money. If there is no money, all traders share the public information of all past trades to realize the market exchange. On the other hand, people can cooperate one another without any information except whether their partner has money or not. In the model of "selfish reciprocal gift-giving game" by two selfish people to get the partner's good, it is also true that the cooperation without money needs the public information. The so-called 'primitive money'seems to have mediated social exchange among altruistic or obligated people, but it can also mediate economic exchange among selfish people and is then called 'money.'