- 著者
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後藤 雄二
Ralf Seidl
中川 格
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.77, no.10, pp.675-684, 2022-10-05 (Released:2022-10-05)
- 参考文献数
- 33
陽子は高エネルギーにおいて量子色力学(QCD)に基づきクォークとグルーオンから構成されると理解されているが,陽子のスピン量子数1/ 2をその構成要素から説明することは長年の課題である.陽子のもう一つの量子数である電荷+1は3つの価クォーク電荷の総和でうまく説明できるため,陽子のスピンも同様に価クォークのスピンが担うと思われた.実際に高エネルギー偏極レプトン散乱実験でクォーク・スピンの寄与を測定してみたところ,現在までにその寄与はせいぜい30%程度であることが判明している.これは「陽子スピンのパズル(謎)」と呼ばれ,高エネルギーQCD分野における未解決問題の一つである.では残りの70%はどこから来ているのだろうか? ここで浮上してきたのが,グルーオンのスピンである.陽子はクォークとグルーオンで構成されているから,クォーク・スピンで説明がつかない分はグルーオン・スピンの寄与で補われるのだろうと予想された.クォーク・スピンの寄与の特定に華々しい実績を残してきた高エネルギー偏極レプトン散乱実験だが,レプトンが散乱される際に交換される仮想光子は,陽子内のグルーオンと直接相互作用をしないため既存のレプトン散乱実験ではグルーオンに対する感度は余り高くない.そこで米国ブルックヘブン国立研究所(BNL)では,世界で唯一の高エネルギー偏極陽子–陽子衝突型加速器を用いてグルーオン・スピンの寄与の測定に挑んだ.2001年から10年以上に及ぶ実験で,ようやくグルーオン・スピンの寄与はゼロではなく,おおよそクォーク・スピンの寄与ぐらいである証拠を掴んだ.まだその精度は十分と言えるほど高くないが,クォークとグルーオンのスピンの寄与を足し合わせても,陽子のスピン全てを説明することはできない可能性が出てきた.陽子の構成要素はクォークとグルーオン以外にないのだから,それらのスピンの寄与を足し合わせて陽子スピンにならなければおかしいのではないか? 何か見落としはないか?クォークとグルーオンは陽子という閉じられた空間内で運動をしているので,それらの軌道角運動量も陽子スピンに寄与できる.つまり陽子スピンには,クォークとグルーオンのスピンの寄与とそれらの軌道角運動量の和で与えられる「スピン和則」が成り立つ.軌道角運動量の測定を目的とした実験も既に多く存在するが,測定した観測量と軌道角運動量を関連付けるのは一筋縄ではいかないため,現時点では軌道角運動量の寄与はあまりよくわかっていない.しかし近年実験手法もより洗練され,理論の発展も著しく,軌道角運動量を特定する土台が急速に整備されつつある.陽子スピン1/ 2を構成要素から説明する研究は,陽子スピンに寄与しうるそれぞれの成分を一つ一つ高精度で測定し,最終的にスピン和則が満たされることを確かめるのがゴールである.そのためにはクォークとグルーオンのスピン,及び軌道角運動量の寄与をそれぞれ精密に測定しなければならない.スピンパズルは偏極陽子–陽子衝突実験で解決まであと一歩のところまで追い詰めた.この追求のバトンは,2030年頃にBNLで実験開始が予定されている世界初の電子–イオン衝突型加速器に引き継がれる.