著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.5, pp.16-30, 2001-12

本稿は、日本語のアスペクト表現「~(動詞・連用形+)たて」の意義素を國廣(1982) の意味分析の方法を用い、中村(1999)で分析した「~たばかり」との比較を通して、特にその語義的特徴と統語的特徴を分析したものである。その結果、「~たて」の意義素には、語義的特徴としては「~たばかり」と同じく<時間的直後>と、さらに<主要状態への質的転換>という二つがあることが今回の分析によって新たに明らかとなった。同時に、統語的特徴としては、「~たての[名詞]」という統語構造に於いては加工・生産活動を表す動詞が、また、「~たて+接続表現」という統語構造に於いては主体または対象の質的変化を表す動詞(句)が前接することが判明した。最後に、今後の課題として、「~たて」の前接動詞のより詳細な析出と分類及び学習者のための説明記述の改善の必要性を論じた。
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.13, pp.78-97, 2009-12

小論は、日本語の論文に於ける「だ」と「である」の選好状況をアンケート調査によって調べた上で、その選択条件を考察したものである。調査・考察の結果、基本的に論文では「である」が用いられ、特に、段落の順序構造を示す、書き手が強調したい部分を含む、先行内容を承ける指示詞を含む述部、例示表現を含む、文末に一定の述定成分を要求する表現が先行する、「名詞1であるという名詞2」や「名詞/ナ形容詞であると動詞」の構造内、モダリティ表現の後ろという七つの特徴を持つ文では「である」が選好されることが解った。また、「だ」は、文末に現れる「だろう」、「だ」を構成要素として含む文末表現、書き手や引用文の話し手の主観性が反映されている箇所に現れることが観察された。これらによって文章表現指導の際の一定の規則は提示し得たと考えられるが、さらなる妥当性の検証と新たな条件の解明、及び"混用文体"指導の適否やその技術的可能性の追究が必要になると考えられる。
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.6, pp.53-73, 2002-12

小論は、日中十五年戦争期の大日本軍宣撫班編纂教科書『日本語會話讀本』の成立について、特にその執筆者像に焦点を当てて論究したものである。その際、これまでの研究では殆ど顧みられなかった戦前の中国語教育との関連性に着目し、教授法、教科書の構成・内容、時代背景を検討した結果、執筆者を善隣書院系の中国語教育を受けた南満洲鉄道株式会社か中国語教育の関係者と推定した。さらに、同書裏表紙の図版を他の資料と比較した結果、特に『巻二』第三版は陸軍多田部隊によって改訂された可能性が高いことを指摘し、最後に、今後の課題として、宣撫班設立及び『日本語會話讀本』の使用実態に関する資料探索の必要性と、日本語教育史の研究領域の拡大の必要性を挙げた。
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.11, pp.56-75, 2008-03

小論は、2002年度目本語教育学会春季大会シンポジウムに端を発する安田敏朗と松岡弘の「論争」を批判的に検討したものである。松岡は、安田が日本語教育史研究の「これから」に対して行った批判に反批判を加え、コメニウスと山口喜一郎の言語教育観・教授法の類似性を根拠に言語教育の普遍性を主張し、日本語教育を論難する安田に反論する。しかし、筆者は、この反論に於ける松岡による安田の見解の不当な矮小化、歴史的文脈を無視したコメニウスと山口の対比の不的確性、松岡のテキスト解釈の狭さを指摘し、さらに、こうした松岡の解釈が安田や、同様に日本語教育を批判する駒込武に対する"報復感情"に起因することを批判した。また、松岡や関正昭の駒込・安田批判が、日本語教育の部外者に向けられながら内部者には為されない不徹底さを指摘し、その閉鎖的な体質を批判するとともに、歴史研究者からも学ぶこと及び日本語教育に無理解な言説に対する批判の必要性を提唱した。
著者
中村 重穂
出版者
公益社団法人 日本語教育学会
雑誌
日本語教育 (ISSN:03894037)
巻号頁・発行日
vol.141, pp.25-35, 2009 (Released:2017-04-05)
参考文献数
11

小論は,日中戦争期華北占領地に於ける日本軍兵士による日本語教育の実態を,ミクロストリアを方法論として公文書と戦争体験記から再構成し,その性格を検討したものである。5種14冊の史料から再構成した授業と原史料から窺える兵士の日本語教育の特徴は,理論的根拠,技術,言語(教育)観,体系性を持たず,丸暗記主義を軸として,対訳に依存しつつ個々の内容の徹底した模倣・記憶・練習を重ねることによって,これらの手続き/形式の集積として成立させた教室活動と総括することができる。そして,このような兵士の日本語教育は,自分を日本人=日本語を完璧に操れる能力を持つ存在としてカテゴリー化することにより日本語能力による差異化・差別化=「権力関係」を外国人との間に構築する点で,質的には現代の日本語ボランティアのあり方と共通する面を有し,その意味で現代の日本語教育に再検討を促すものとして読まれるべきであることを述べた。
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
no.6, pp.106-114, 2002-12

In this paper, the author points out some methodological problems in historical studies of Japanese language teaching, namely, a tendency towards studies focused on particular individuals and on the Euro-American origins of teaching methods as well as hasty generalizations of research in this field. Finally, the author advocates the necessity for a joint study between scholars of history and teachers of Japanese language towards further investigations in this field and suggests some new perspectives.
著者
中村 重穂
出版者
北海道大学留学生センター = Hokkaido University International Student Center
雑誌
北海道大学留学生センター紀要
巻号頁・発行日
vol.9, pp.1-21, 2005-12

小論は、時に関わる表現「~なり」と「~たとたん」の意義素を國廣(1982)の意味分析の方法を用いて分析し、その語義的特徴と統語的特徴を解明したものである。その結果、両表現とも<時間的直後>と<同時性>を語義的特徴として有する一方、「~なり」は、「外→内」の移動動詞の前接、及び後件または後続文に於ける前件または後件の動作主体の発話の出現という統語的特徴を、また、「~たとたん」は、動作・作用・変化を表す動詞の前接、及び変化を表す動詞群や前件の動作主体が意志的に制御できない事象を表す表現の後続という統語的特徴をそれぞれ有することが認められた。最後に今後の課題として、両表現の後件に於ける「意外性」というimplicationの有無の考察の必要性を述べた。