著者
滿田 郁夫 竹内 栄美子 大塚 博 丸山 珪一 林 淑美 木村 幸雄 杉野 要吉 古江 研也 島村 輝
出版者
明治学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1997

中野重治は、その文学的出発にあたって「微小なるものへの関心」ということを言った文学者である。と同時に、石川啄木について論じて国家権力に敵対することを己に課した詩人である。以来、自分固有の世界、固有の視点を保ちながら、同時に「大きな物語」への鋭い関心を持ち続けた作家である。その人がその晩年に「戦後転換期」に際会して、世の変動に己の感性を全開して書き切ったのが長篇『甲乙丙丁』であるが、そこに至るまでに何を見、その心に何が生じ、同時代の政治・思想・文学とどう斬り結んだか、それを、残された日記・書簡などによって知ろうとした。平成九、十年度で日記の第一次読み合せと、粗ら打ち込みは終了し、十一年度は第二次読み合せと註付けに入った、しかし平成十二年度にはそれを一旦中断して、一九六三年日記と六四年日記との精密な読みと註付けの作業に入った、研究年度が終った平成十三年度にもその作業は続き、しかもなお、我々がここに提出するのは未完成の「テスト版」に過ぎない。一九六三、四年と言えば東京オリムピックを目掛けて、日本の社会が音を立てて変わって行った年々である。世界的には中ソ論争が起き、部分核停条約の評価を回って国内でも議論が始まり、新日本文学会第十一回大会は大いに揺れた。原水禁世界大会も分裂した。そうした事態に、全力を挙げて非妥協的に戦いつづけた中野重治は、自らが中央委員であった日本共産党を除名される。そしてその年末から『甲乙丙丁』が書き始められる。そうした重要な時期を扱って、我々の研究がどれだけ核心に迫りえたか。忸怩たるものがある。これは我々の到達点ではなく、出発点である、そんな風に思っている。
著者
丸山 珪一
出版者
金沢大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2006

ルカーチは20世紀の世界的な思想家であり、日本でも多大の影響を受けてきたが、私たちはさらなる研究の出発点となるような、信頼に値するビブリオグラフィを持っていなかった。昨今の世界の大きな変化と新しくルカーチと取り組もうとする若い人たちの登場を念頭において言えば、正確なビブリオグラフィの必要性はますます高まっている。本課題はそれに応えようとするものである。彼のすべての著述についてその初出の現物に遡って確認・再確認することから始めなければならなかった。これはいくつもの国境を越えての難作業で、最終的に12の言語にまたがった。最難関のロシアの部分で歴史学者スティカリン氏の、イタリアの部分でハンガリーのイタリア思想研究者サボー氏の協力を得ることができ、この二年間の間にほとんどを終え、とりあえずしめくくりとして冊子にまとめた(項目1555、付録の定期刊行物索引とともに143ページ)。仕事の過程で、埋もれていたルカーチのいくつもの文献を発掘したことも後の研究にとって重要であろう。このビブリオグラフィに基づいて図書館を通じて間違いなくコピーを入手できるはずである。ただ公にして広く利用してもらうためには、一つにはなお残っている空白を埋めること(とりわけイタリアのインタヴュー)、いまひとつには文献相互の関係や多少とも内容への示唆をも含んだ注記などを工夫すべきと考えている。とくに日本の若い研究者を念頭にこのあと仕事を継続したい。それとともに、ビブリオグラフィの仕事は、文献という面からではあるが、ルカーチという思想家の全体を再考する機会でもあり、そのための少なからぬヒントをも得ることになった。とくに日本の思想界との関わりを焦点として全体像再考の仕事とも取り組むつもりである。