著者
竹内 栄美子
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.40, no.8, pp.60-71, 1991-08-10 (Released:2017-08-01)

敗戦直後、「批評の人間性」などに見られる中野重治の罵声には両義的な響きがこもっている。「五勺の酒」の校長が「精神のよろめき」と綴らざるを得なかった敗戦日本の有様を中野は嘆き、しかし嘆きのままには済ませずに我が身を駆り立てていった。返事の書かれずにしまった「五勺の酒」は校長の憐愍や悲憤の込められた往信のみのモノローグのようでありながら、自らを鞭打つ声として作家の内部でダイアローグを成立させている。
著者
山口 直孝 竹内 栄美子 福田 桃子 橋本 あゆみ 竹峰 義和 坂 堅太 木村 政樹 石橋 正孝
出版者
二松學舍大學
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2020-04-01

『神聖喜劇』で知られる作家大西巨人(1916~2014)の教養形成と作品の成立過程とを実証的に考察し、西洋の事例と比較しながら、現代の知識人のありようを探る。新日本文学会や記録芸術の会など、関係した文学芸術運動の活動の詳細を明らかにする。研究は、①資料調査、②聞き取り調査、③フィールドワークから成る。①は、大西巨人資料(二松学舎大学寄託)を核としながら、ほかの文学館や図書館についても行う。②はは、大西巨人の家族や知人に対して行う。③は、福岡や対馬で行う。成果は、公開ワークショップで報告する。資料目録や年譜など各種データベースを作成する。自筆資料をデジタルデータ化し、重要なものを翻刻する。
著者
成田 龍一 竹内 栄美子 鈴木 勝雄 高 榮蘭 丸川 哲史 黒川 みどり 坪井 秀人 島村 輝 戸邉 秀明 渡辺 直紀 東 由美子
出版者
日本女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

高度成長文化研究会を定期的に開催し各自の成果を共有した。7月9日には、研究代表者・成田龍一と研究分担者・坪井秀人が、1960年前後の世相と社会運動をめぐって問題提起をした。また、2018年3月23日に『思想』「<世界史>をいかに語るか」(同年3月号)をとりあげ合評会をおこなった(WINCとの共催)。こうした研究活動の成果は、アメリカの研究者との研究集会によって還元した。6月9日~12日まで、UCLAでの国際ワークショップ「トランスパシフィック ワークショップ」に、成田、研究分担者・渡辺直紀、同・高榮蘭、岩崎稔、鳥羽耕史、坪井が参加、報告した。また、成田と岩崎、坪井は8月30日~9月3日まで、EAJS(ヨーロッパ日本学会)リスボン大会に参加し、報告し議論した。また、9月21日~23日、韓国・ソウルに国際シンポジウムに参加、成田、渡辺、坪井、岩崎、高、および、研究分担者・島村輝、同・竹内栄美子が報告した。10月25日~28日まで、アメリカ合衆国でおこなわれた国際シンポジウムに、成田と岩崎が参加し報告・討議をおこなった。2018年3月2日~4日には、国際日本文化研究センターが主宰する国際シンポジウム「戦後文化再考」で成田が報告したほか、島村、高、研究分担者・戸邉秀明が参加した。そのほか、成田は、琉球大学で開かれた戦争社会学会 4月22-24日)で報告したほか、日本社会文学会(10月4日、5日)で、井上ひさしについて報告をおこない、成果を還元した。12月17日には、シンポジウム「ジェンダー史が拓く歴史教育」(奈良女子大学)で報告した。また、各自が出版活動をおこない、随時、成果を公表している。高度成長の思想史を考察し、歴史学、文学史の領域で成果を着実に公表している。文献史料とあわせ、本研究では重要な核となる大衆文化にかかわる資料も、DVDをはじめ順調に収集され前進している。
著者
滿田 郁夫 竹内 栄美子 大塚 博 丸山 珪一 林 淑美 木村 幸雄 杉野 要吉 古江 研也 島村 輝
出版者
明治学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1997

中野重治は、その文学的出発にあたって「微小なるものへの関心」ということを言った文学者である。と同時に、石川啄木について論じて国家権力に敵対することを己に課した詩人である。以来、自分固有の世界、固有の視点を保ちながら、同時に「大きな物語」への鋭い関心を持ち続けた作家である。その人がその晩年に「戦後転換期」に際会して、世の変動に己の感性を全開して書き切ったのが長篇『甲乙丙丁』であるが、そこに至るまでに何を見、その心に何が生じ、同時代の政治・思想・文学とどう斬り結んだか、それを、残された日記・書簡などによって知ろうとした。平成九、十年度で日記の第一次読み合せと、粗ら打ち込みは終了し、十一年度は第二次読み合せと註付けに入った、しかし平成十二年度にはそれを一旦中断して、一九六三年日記と六四年日記との精密な読みと註付けの作業に入った、研究年度が終った平成十三年度にもその作業は続き、しかもなお、我々がここに提出するのは未完成の「テスト版」に過ぎない。一九六三、四年と言えば東京オリムピックを目掛けて、日本の社会が音を立てて変わって行った年々である。世界的には中ソ論争が起き、部分核停条約の評価を回って国内でも議論が始まり、新日本文学会第十一回大会は大いに揺れた。原水禁世界大会も分裂した。そうした事態に、全力を挙げて非妥協的に戦いつづけた中野重治は、自らが中央委員であった日本共産党を除名される。そしてその年末から『甲乙丙丁』が書き始められる。そうした重要な時期を扱って、我々の研究がどれだけ核心に迫りえたか。忸怩たるものがある。これは我々の到達点ではなく、出発点である、そんな風に思っている。