著者
島村 輝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.50, no.5, pp.66-70, 2001-05-10
著者
島村 輝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.30-39, 2003-04-10 (Released:2017-08-01)

筆者は二〇〇二年秋、三ヶ月間、中国・広州の大学に出講した。中国人の「日本文学」研究者は、専門外であっても、日本との歴史・経済・政治など全般的な関係についての認識を要求されることになる。この点で、日本国内にいて「日本文学」を見、考える場合とは大きな違いがある。現在中国では新たな研究方法が模索されているが、従来の閉ざされた「日本学」研究の枠を越えるためには、日本の研究者の側にも、「日本文学」の自明性を疑う姿勢が必要である。
著者
成田 龍一 竹内 栄美子 鈴木 勝雄 高 榮蘭 丸川 哲史 黒川 みどり 坪井 秀人 島村 輝 戸邉 秀明 渡辺 直紀 東 由美子
出版者
日本女子大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

高度成長文化研究会を定期的に開催し各自の成果を共有した。7月9日には、研究代表者・成田龍一と研究分担者・坪井秀人が、1960年前後の世相と社会運動をめぐって問題提起をした。また、2018年3月23日に『思想』「<世界史>をいかに語るか」(同年3月号)をとりあげ合評会をおこなった(WINCとの共催)。こうした研究活動の成果は、アメリカの研究者との研究集会によって還元した。6月9日~12日まで、UCLAでの国際ワークショップ「トランスパシフィック ワークショップ」に、成田、研究分担者・渡辺直紀、同・高榮蘭、岩崎稔、鳥羽耕史、坪井が参加、報告した。また、成田と岩崎、坪井は8月30日~9月3日まで、EAJS(ヨーロッパ日本学会)リスボン大会に参加し、報告し議論した。また、9月21日~23日、韓国・ソウルに国際シンポジウムに参加、成田、渡辺、坪井、岩崎、高、および、研究分担者・島村輝、同・竹内栄美子が報告した。10月25日~28日まで、アメリカ合衆国でおこなわれた国際シンポジウムに、成田と岩崎が参加し報告・討議をおこなった。2018年3月2日~4日には、国際日本文化研究センターが主宰する国際シンポジウム「戦後文化再考」で成田が報告したほか、島村、高、研究分担者・戸邉秀明が参加した。そのほか、成田は、琉球大学で開かれた戦争社会学会 4月22-24日)で報告したほか、日本社会文学会(10月4日、5日)で、井上ひさしについて報告をおこない、成果を還元した。12月17日には、シンポジウム「ジェンダー史が拓く歴史教育」(奈良女子大学)で報告した。また、各自が出版活動をおこない、随時、成果を公表している。高度成長の思想史を考察し、歴史学、文学史の領域で成果を着実に公表している。文献史料とあわせ、本研究では重要な核となる大衆文化にかかわる資料も、DVDをはじめ順調に収集され前進している。
著者
小平 麻衣子 島村 輝
出版者
慶應義塾大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

雑誌初期の人脈や文学傾向、戦中の国策への雑誌の対応、現代作家の参加様態などについて、分析した。具体的には、年間5回の研究会開催の中で明らかにした。研究会における発表等の内容は、下記の通りである(会場は、特記してある会を除き、いずれも慶應義塾大学三田キャンパス南館5階会議室)。【第1回】2017年7月23日(日)15:00~18:00。小川貴也氏「初期『文藝首都』と「新人」の範疇― 無名作家をめぐる「文壇」のオルタナティブ―」、 第2部では今後の研究分担と計画について議論した。【第2回】2017年10月1日(日)14:00~18:00。小川貴也氏「初期『文藝首都』のコノテーション―「公器」からの出発―」、松本海氏(早稲田大学大学院)「新人・中上健次の出発―『文藝首都』の終焉にかけて―」、コメンテーター:浅野麗氏(亜細亜大学)。【第3回】2017年11月25日(土)14:00~15:30。佐江衆一氏講演「私の『文芸首都』『犀』の頃」。【第4回】2017年12月17日(日)14:00~18:00(日本大学スポーツ科学部キャンパス本館2階会議室1)。清松大氏(慶應義塾大学大学院)「上田広「黄塵」と『文芸首都』―『大陸』への転載と本文異同から―」、高橋梓氏(東京外国語大学大学院)「植民地出身作家の交流の場としての『文芸首都』―読者会の記録と書簡を中心に―」。【第5回】2018年3月24日(土)13:00~17:00。椋棒哲也氏(立教大学兼任講師)「『文芸首都』における和田伝/和田伝における『文芸首都』―同誌掲載の創作を読み解く―」、作家・勝目梓氏公開インタビュー「勝目梓先生に『文芸首都』時代を伺う」。司会:井原あや氏(大妻女子大学非常勤講師)。
著者
島村 輝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.52, no.4, pp.30-39, 2003

筆者は二〇〇二年秋、三ヶ月間、中国・広州の大学に出講した。中国人の「日本文学」研究者は、専門外であっても、日本との歴史・経済・政治など全般的な関係についての認識を要求されることになる。この点で、日本国内にいて「日本文学」を見、考える場合とは大きな違いがある。現在中国では新たな研究方法が模索されているが、従来の閉ざされた「日本学」研究の枠を越えるためには、日本の研究者の側にも、「日本文学」の自明性を疑う姿勢が必要である。
著者
島村 輝
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.68-71, 1990-01-10
著者
滿田 郁夫 竹内 栄美子 大塚 博 丸山 珪一 林 淑美 木村 幸雄 杉野 要吉 古江 研也 島村 輝
出版者
明治学院大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
1997

中野重治は、その文学的出発にあたって「微小なるものへの関心」ということを言った文学者である。と同時に、石川啄木について論じて国家権力に敵対することを己に課した詩人である。以来、自分固有の世界、固有の視点を保ちながら、同時に「大きな物語」への鋭い関心を持ち続けた作家である。その人がその晩年に「戦後転換期」に際会して、世の変動に己の感性を全開して書き切ったのが長篇『甲乙丙丁』であるが、そこに至るまでに何を見、その心に何が生じ、同時代の政治・思想・文学とどう斬り結んだか、それを、残された日記・書簡などによって知ろうとした。平成九、十年度で日記の第一次読み合せと、粗ら打ち込みは終了し、十一年度は第二次読み合せと註付けに入った、しかし平成十二年度にはそれを一旦中断して、一九六三年日記と六四年日記との精密な読みと註付けの作業に入った、研究年度が終った平成十三年度にもその作業は続き、しかもなお、我々がここに提出するのは未完成の「テスト版」に過ぎない。一九六三、四年と言えば東京オリムピックを目掛けて、日本の社会が音を立てて変わって行った年々である。世界的には中ソ論争が起き、部分核停条約の評価を回って国内でも議論が始まり、新日本文学会第十一回大会は大いに揺れた。原水禁世界大会も分裂した。そうした事態に、全力を挙げて非妥協的に戦いつづけた中野重治は、自らが中央委員であった日本共産党を除名される。そしてその年末から『甲乙丙丁』が書き始められる。そうした重要な時期を扱って、我々の研究がどれだけ核心に迫りえたか。忸怩たるものがある。これは我々の到達点ではなく、出発点である、そんな風に思っている。