著者
井上 雅雄
出版者
日本スポーツ社会学会
雑誌
スポーツ社会学研究 (ISSN:09192751)
巻号頁・発行日
vol.17, no.2, pp.33-47, 2009-09-30 (Released:2016-10-05)
参考文献数
17

1990年代以降とくに顕著となった企業スポーツの危機は、従業員の一体感や凝集性を高めるための福利厚生施策の一環として誕生したという成立の経緯そのものにあり、その後企業の広告・宣伝の役割も付加されたり、あるいはCSR(企業の社会的責任)の観点から位置づけ直されたりするようになったとはいえ、それ自体、費用対効果の点から企業業績に左右される不安定性を内包するものであった。この企業スポーツの衰退は、それを有力な人的供給源とするプロスポーツの弱体化を招き、地域社会の疲弊を加速しかねない重大な問題である。それゆえに企業スポーツを個別の経営から自立させるために、地域を主体としたクラブチームへの移行やプロリーグへの発展が追求されてきたのであり、サッカーのJリーグと野球の独立リーグの誕生はその成果であった。しかし、それらがビジネスモデルとするべき日本のプロ野球は、最近一部に変化の動きはあるものの、長期にわたって「戦力の均衡」に基づく試合のダイナミズムを創出できなかったばかりか、企業経営としての自立性の欠如や権威主義的労使関係など多くの問題をかかえたままであった。 しかもわが国にあってプロスポーツ選手の法的地位は、他の先進諸国に比べ不安定であり、それが選手たちの職業としての安定性に深い影を落としている。むろんプロ野球選手の一部に特徴的な高額な年俸は、その高い身体能力とスキルに対する報酬ではあるが、その現役期間の短さを考慮すれば彼らにあっても選手生活の後の社会生活が問題であり、当然にもセカンドキャリアが重要となる。とりわけプロスポーツ選手に固有の専門スキルは、所属球団やクラブに限定されないいわば職業特殊的なものであり、一般企業に適用可能なスキルではないゆえにその緊要性は一層高い。この意味においてJリーグが先鞭をつけた選手に対するセカンドキャリア支援の試みは、注目に値する。 その上で看過してはならないことは、瞬時の決断力や高度な集中力あるいは克己心や耐久力、旺盛な行動力など、厳しい戦いの世界で培われたスポーツ選手のいわば人間力は、第二の職業世界においても確かな優位性をもつということである。今日、プロスポーツは、市場経済システムの猛威の果てに疲弊の度が一層深まっている地域社会の、コミュニティとしての再生を担う役割を期待されている。
著者
井上 雅雄 (2005-2006) 渡辺 武達 (2004) LEE Hyangjin
出版者
立教大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2004

研究実績(1)申請者は本研究の期間中に行った約300人のアンケート調査と約80人に対するインテンシヴな面接調査を完了し、現在テキスト分析を中心とした研究報告を執筆中であり、既に4本の論文を研究成果として発表し、さらに4本を執筆中である。この執筆中のものには岩波新書が含まれる。以上の調査研究から明らかとなったことは、次の通りである。日本における韓流ブームは、中年女性たちによるある種のサイバー文化反乱と位置づけることができる。彼女たちは、家庭や職場という既存の生活枠を飛び出し、広範な社会的ネットワークを形成しつつ互に交流することで、起伏に乏しい平凡な日常を精神的・物的にも超えようとしている。この越境的文化行動は、高度大衆消費社会の重圧のもと、グローバライゼーションとローカライゼーションの同時多発的な進行とによって変化していく政治的・社会的・文化的環境条件に適応するための、自己救済的な努力といえよう。彼女たちの日常から喚起されるある種の喪失感、あるいは願望に伴う"ヒステリー"を癒す遊びとしての韓流は、自己実現・自己回復に向けた意志的な取り組みであり、アイデンティティの表現なのである。彼女たちは、「見えない市民」としてプライベートな空間に留まることを拒み、自分の存在と欲求を表出するために文化的市民権を求めていると解釈できよう。彼女たちにとって韓流文化の消費は、現実が満たせずにいる自己の欲求を充足させ、充実した生のあり方を示してくれるものである。それはまた独自の政治的インプリケーションをもつものであった。(2)学会活動としては、2005、2006年度の「アジア学」学会(於米)で、研究の中間的成果を発表するとともに、2006年の7月には「インターアジア・カルチュラル・スターディズ」学会(於東京)および立命館大学、東京大学、同志社大学で開催されたシンポジュームで各々報告した。また立教大学では「誰のための『韓流』か」と題した講演を行った。
著者
井上 雅雄
出版者
立教大学
雑誌
萌芽的研究
巻号頁・発行日
1998

主要5大都市のホワイトカラー50名(男40、女10)に対して「仕事と余暇」に関する面接聴き取り調査とアンケート調査を実施した。その結果、次の諸点が明らかとなった。1)会社での仕事の時間配分は各人の裁量によるところが多いが、あらかじめ残業を織り込んでいるため、正規の終業時間内で仕事を終えるという時間意識が弱く、時間管理に厳密性が欠けている。その最大の理由は、仕事量に比して要員が少ないもとで、常に「仕事の区切り」のほうを「時間の区切り」よりも優先しているところにある。2)残業が多かれ少なかれ恒常化しているとはいえ、退社時間については各人が自由に設定しており、職場での集団的な拘束性はほとんどみられない。これは、かつてのごとく残業時間の長さが人事考課の対象となることがなくなり、専ら仕事の成果に移ってきたこととあいまって、職場での各人の時間管理の自立性をあらわしている。3)平日勤務の帰宅後は、男性の場合、家族との団欒やTV鑑賞など休養が圧倒的で、家事への参加度はきわめて低い。この傾向は年齢が高くなるほど顕著である。女性の場合は、そのほとんどの時間が家事に費やされ、若干の例外を除けば、その夫の家事の分担もまたきわめて少ない。他方、男性のうちごくわずかではあるが、週に1-2回演奏会に向けて楽器演奏の練習に参加するなど、自分の固有な時間をもっている場合がある。4)土、日の休日は、ショッピング、スポーツ、ドライヴ、散歩など家族で過ごす時間が多く、読書やゴルフなどの私的時間を確保している度合いも高くなる。5)多くの場合、仕事は単なる生活の資を稼ぐための手段というよりも、生きがいの核をなし、多かれ少なかれ自我の拠り所としての性格をもっている。これに対し余暇は、心身を癒し、仕事への活力の源泉という域をでず、余暇活動にアイデンティファイする事例は例外的であり、生活文化の限界が看取される。