著者
佐藤 芳彦
出版者
岩手大学
雑誌
Artes liberales (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
vol.80, pp.1-19, 2007-06

I はじめにII 近代イギリス予算制度の成立:会計年度と議会の財政統制「循環」の成立 [A] 予算制度の完成形態(III)からみて成立過程(II-[B])での必要な諸要件 [I] 予算審議面で完成形態に必要な諸要件 [II] 国庫制度面で完成形態に必要な諸要件(以上,本号) [B] 近代イギリス予算制度の成立過程(以下,次号) [序] 技術的事項 [I] 「名誉革命」前後期: 1640年代から1714年アン女王の死まで [II] 重商主義期: 1714年ハノーヴァ朝成立から1815年ナポレオン戦争終結まで [III] 古典的自由主義期: ナポレオン戦争終結から1873年「大不況」開始までIII 1871-72年度予算の審議過程: 議会の財政統制の「循環」過程 [A] 予算の審議対象と編成 [B] 1871-72年度予算の審議過程IV おわりに
著者
佐藤 芳彦 SATO Yoshihiko
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化・文学の諸相
巻号頁・発行日
pp.145-183, 2008-03-21

近代イギリス予算制度成立史研究の一環として,名誉革命(前後)期(1640年代から1714年アン女王の死まで)を考察対象として扱った拙稿1)においては,当該期における財政面での「立憲体制」の成立過程を総括的に論じることを意図したので,わが国において研究史が殆ど欠落している当該期における具体的な予算の審議過程2)については,冊子体での史料的制約もあり,殆ど全く言及しえなかった。本稿では,(その後に知った)Web上で利用しうる史料3)を利用して,近代イギリス予算制度の完成期(1860年代末)における予算の審議過程に至る歴史的・段階的な位置如何という観点から,「王政復古」Restoration期,とりわけ,その中でも「第二次オランダ戦争」Second Dutch War期(1665年~1667年)に限定して,(1)イングランド議会における予算の審議過程,及び(2)そのような審議過程を経て制定されたいわゆる「援助金及び議定費」法 Act of 'aids and supplies' において初めて導入されてくる4) 「借入及び割当条項」の内容を具体的に明らかにすることにしたい。
著者
佐藤 芳彦 SATO Yoshihiko
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.83, pp.29-53, 2008-12

1 問題の所在2 仮議会[第1会期](1689年2月18日〜8月20日):1689年度予算審議3 仮議会第2会期(1689年10月19日〜1690年1月27日)及び第2議会第1会期(1690年3月21日〜5月23日):1690年度予算審議(以上,82号)4 第2議会第2会期(1690年10月2日〜1691年1月5日):1691年度予算審議(以下,本号)5 第2議会第3会期(1691年10月22日〜1692年2月24日):1692年度予算審議6 第2議会第4会期(1692年11月4日〜1693年3月14日):1693年度予算審議7 総活:名誉革命後における予算審議の歴史的位置
著者
佐藤 芳彦 SATO Yoshihiko
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
アルテスリベラレス (ISSN:03854183)
巻号頁・発行日
no.82, pp.43-67, 2008-06

1 問題の所在2 仮議会[第1会期](1689年2月18日〜8月20日):1689年度予算審議3 仮議会第2会期(1689年10月19日〜1690年1月27日)及び第2議会第1会期(1690年3月21日〜5月23日):1690年度予算審議(以上,本号)4 第2議会第2会期(1690年10月2日〜1691年1月5日):1691年度予算審議(以下,次号)5 第2議会第3会期(1691年10月22日〜1692年2月24日):1692年度予算審議6 第2議会第4会期(1692年11月4日〜1693年3月14日):1693年度予算審議7 総活:名誉革命後における予算審議の歴史的位置
著者
佐藤 芳彦 SATO Yoshihiko
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化の諸相
巻号頁・発行日
pp.367-380, 1999-03-10

イギリスによるアイルランド統治史研究の一環として,本稿においては,いわゆる「アイルランド統治問題」の一応の解決策であると想定しうる1914年「アイルランド統治法」を取り上げ,従来の研究においては殆ど欠落していたところの,グレートブリテンとアイルランド間での財政関係史の観点から,同法成立のもつ歴史的意味を検討していきたい。予め,同法成立の直接的背景についていえば,1905年末に成立し,1906年総選挙で圧勝した自由党政権の下で,1907年恐慌を転換点として,1908年老齢年金導入等により社会政策費が増加し,同時に対独建艦競争により海軍費が増加し,そのために提案されたいわゆる「人民予算」(People's Budget)をめぐる1910年の総選挙で,アイルランド自治を要求する「アイルランド国民党」(Irish Nadonalists)が, (1885年, 1892年総選挙後に続いて)いわばキャステインヴォートを握ったので,新たな(第3次)アイルランド統治法案の作成が必要になり,また1911年「国会法」(Parliament Act)によって,その法案の成立が不可避である状況が出現したのである1)。
著者
佐藤 芳彦 SATO Yoshihiko
出版者
岩手大学人文社会科学部
雑誌
言語と文化・文学の諸相
巻号頁・発行日
pp.145-183, 2008-03-21

近代イギリス予算制度成立史研究の一環として,名誉革命(前後)期(1640年代から1714年アン女王の死まで)を考察対象として扱った拙稿1)においては,当該期における財政面での「立憲体制」の成立過程を総括的に論じることを意図したので,わが国において研究史が殆ど欠落している当該期における具体的な予算の審議過程2)については,冊子体での史料的制約もあり,殆ど全く言及しえなかった。本稿では,(その後に知った)Web上で利用しうる史料3)を利用して,近代イギリス予算制度の完成期(1860年代末)における予算の審議過程に至る歴史的・段階的な位置如何という観点から,「王政復古」Restoration期,とりわけ,その中でも「第二次オランダ戦争」Second Dutch War期(1665年~1667年)に限定して,(1)イングランド議会における予算の審議過程,及び(2)そのような審議過程を経て制定されたいわゆる「援助金及び議定費」法 Act of 'aids and supplies' において初めて導入されてくる4) 「借入及び割当条項」の内容を具体的に明らかにすることにしたい。