- 著者
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佐藤 芳彦
SATO Yoshihiko
- 出版者
- 岩手大学人文社会科学部
- 雑誌
- 言語と文化の諸相
- 巻号頁・発行日
- pp.367-380, 1999-03-10
イギリスによるアイルランド統治史研究の一環として,本稿においては,いわゆる「アイルランド統治問題」の一応の解決策であると想定しうる1914年「アイルランド統治法」を取り上げ,従来の研究においては殆ど欠落していたところの,グレートブリテンとアイルランド間での財政関係史の観点から,同法成立のもつ歴史的意味を検討していきたい。予め,同法成立の直接的背景についていえば,1905年末に成立し,1906年総選挙で圧勝した自由党政権の下で,1907年恐慌を転換点として,1908年老齢年金導入等により社会政策費が増加し,同時に対独建艦競争により海軍費が増加し,そのために提案されたいわゆる「人民予算」(People's Budget)をめぐる1910年の総選挙で,アイルランド自治を要求する「アイルランド国民党」(Irish Nadonalists)が, (1885年, 1892年総選挙後に続いて)いわばキャステインヴォートを握ったので,新たな(第3次)アイルランド統治法案の作成が必要になり,また1911年「国会法」(Parliament Act)によって,その法案の成立が不可避である状況が出現したのである1)。