著者
続 有恒 荻野 惺 冨安 芳和 秦 安雄 梶田 正巳 永田 忠夫
出版者
名古屋大学
雑誌
名古屋大學教育學部紀要. 教育心理学科 (ISSN:03874796)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.43-57, 1968-03-25
被引用文献数
1

国立情報学研究所で電子化したコンテンツを使用している。
著者
続 有恒 冨安 芳和 織田 揮準 荻野 惺
出版者
名古屋大学
雑誌
名古屋大學教育學部紀要. 教育心理学科 (ISSN:03874796)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.71-85, 1968-03-25

国立情報学研究所で電子化したコンテンツを使用している。
著者
冨安 芳和 小塩 允護 小宮 三彌
出版者
日本特殊教育学会
雑誌
特殊教育学研究 (ISSN:03873374)
巻号頁・発行日
vol.10, no.3, pp.60-69, 1973-03-01

本研究は、食事中にさまざまな不適切な行動を示す重度精神薄弱児にオペラント技法を適用し、そうした不適切な行動を修正し、適切な食事行動を形成するために試みられた。訓練に際しては、不適切な行動に対して負の強化を、適切な行動に正の強化を与えるという手続をとった。修正すべき不適切な行動としてまずとりあげられたのは、a)食器をひっくりかえす、b)スプーンを使わずに食べる行動であり、27セッションからは、これらに、c)食器をたたきつける行動が、80セッションからは、d)食べ物をこぼす行動が追加された。食事中にこのような不適切な行動が起こるたびに、言語的叱責と同時にお盆をとりあげ15秒間の食事からのタイムアウトを行なう。また、スプーンを口まで2回連続して運ぶごとに、言語的容認と同時に身体的接触を与えるというものである。施設での観察、訓練前の観察(第1基底水準期)、訓練(第1、第2訓練期)、訓練の効果をみるための観察(第2基底水準期)、訓練(第3〜6訓練期)というスケジュールをたて、その間の食事行動をVTRによって記録した。全体で99セッションであったが、訓練のためには84セッションを当て、残りの15セッションは訓練なしの観察に当てられた。こうした記録の分析の結果、およそ次のようなことがらが明らかになった。(1)ここでとりあげられた4つの不適切な行動は、強化手続が与えられると、まず急激に減少し、その後着実な減少をつづけ、ほとんど消失する。(2)第2基底水準期では、各々の不適切な行動は、前後の訓練期間にくらべ、有意な増加を示している。(3)訓練期間中に食器をスプーンで小きざみにたたくという行動が一時的に高まったが、適切な食事行動が増大するにつれ消失している。(4)食事行動のみではなく、その他の社会的行動においても望ましい傾向が増大し、この訓練がパーソナリティの安定化にも作用したと思われる。
著者
村上 英治 荻野 惺 冨安 芳和 久留 一郎 秦 安雄 江見 佳俊 岩井 文子
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.15, no.2, pp.75-84, 124-125, 1967-06-30

(1) われわれは,われわれ自身の眼をとおして,名古屋市内の公立中学校に設置されている10の特殊学級の授業場面における精神薄弱児教育のあり方をつぶさに観察し,具体的に展開されているその教育状況のなかでの教師-生徒関係を中核としながら,その教育の直接のにない手である教師の指導のあり方の類型化をすすめようと試み,2つの類型を抽出することができた。それらは次のようにまとめることができる。 指導類型1:教師は生徒に対し強い愛情をもち,生徒に関心をもたせせるように,生徒の自発性をひきだすような配慮をし,生徒の気持と生徒の反応を的確につかんだうえで,生徒に理解されることばで働きかけ,理解がじゅうぶんでない生徒には,たとえ指導計画からはなれても,集中的に指導し,徹底的に理解させようとする教師の構えが強く,生徒も,教師を強く信頼し,教師の言動ひとつひとつを受けとめるのはもちろん,自発的に発言することも多く,わるくいえばさわがしいともいえるがあかるい,やらかい,開放的な雰囲気のなかで楽しそうに授業をうけている。 指導類型2:教師は生徒を拒否するでもなく,また,生徒に対して愛情をもっていないというわけでもないが,かといって身体的接触が多いというわけでもなく,ことさら生徒の自発性をひきだす努力をするでもなく,教師自身の言動に対する生徒の反応にあまり左右されずに,計画どおりの授業をすすめており,一方生徒も,教師の言動ひとつひとつを受けとめているという感じが薄く,教師の指示に対して積極的に反応しないばかりか,自発的に発言することも少なく,しずかで,よくいえば規則正しいけれども,わるくいえばかたい,強制の色の濃い指導的雰囲気のなかで,あまり楽しそうなようすもなく,どちらかといえば普通学級にも似た授業をうけている。 観察評定のために用いられた項目も若干異なるし,評定者そのものもちがうので,直接比較するのは許されないが,今回,われわれが10学級を対象にして抽出することのできた指導類型1は,村上ほか(1995)の研究で取り扱ったS学級のあり方ときわめて類似しているように思われる。指導類型2は,学級のふんい気など,Y学級のあり方に一見類似しているかにみられないでもないが,教師が生徒に否定的に働きかけてはいないという点において,Y学級と異った類型とみるのが妥当であろう。 われわれは今回この2つの指導類型を見出したからといって,精神薄弱児を教育する指導者の指導の型の類型として存在するのがこの2つの型のみであるというように主張するつもりはない。われわれが今回とりあつかったこれら10学級から,たまたまこの2つの指導類型が,われわれのとった手続きによって抽出されたと考えているのである。これらの2つの類型の抽出には,対象学級の選択も大きな条件となっていたことももちろんのことであるし,また,評定に用いられた項目の選択も大きな役割をはたしていただろうと考えられる。さきにもふれたように,今回もちいた評定項目のなかには,いくつか新しくつけ加えられたものもないわけではないが,その基底となったのは,主に前回,Y・S両学級の分析のために用いられたものであるからである。したがって,今後さらに多くの,これら10学級以外の諸学級を,具体的な教育状況のなかで観察していくことによって,評定項目そのものをも,より多くの学級指導のあり方の類型化により適切なものならしめるための検討が,残された課題となる。 (2) ところでまた,われわれの研究の手つづきをとおして,教師-生徒関係を中核とする具体的授業事態に関して見出された2つの指導類型は,こうした授業の直接の指導者である教師の人がらとは,かならずしも一義的に関係しないことがいちおう明らかになった。このことは,ある意味では,より望ましい指導類型へと教師を訓練することの可能性を,われわれに示唆しているものとみることもできるかもしれない。これも,精神薄弱児教育における指導者の養成の問題と関連し,今後のいっそうの検討を待つ残された問題のひとつであろう。 (3) さらにまた,第3には,研究の手続きとしてこうした観察評定法をとるかぎり,観察評定者間の評定の一致度,いわば信頼性の水準の高さがなによりの眼目となる。この点に関しては,本研究のなかでまだ問題となるところは多々残されている。 以上の反省にたって,今後,研究方法それ自体の再吟味を重ねつつ,現実に存在する多くの精神薄弱児学級の教師の具体的な教育状況における指導の型の類型化をすすめていきたいと考えている。そうした教師の指導の型のいかんが,本質的に精神薄弱児そのものの社会的適応のあり方につらなるものであるという観点が,われわれの研究の中核となっているからである。