著者
三浦 直樹 原岡 一馬
出版者
久留米大学
雑誌
久留米大学心理学研究 (ISSN:13481029)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.71-80, 2002

本研究では,"社会とのつながり"の構造について因子分析を用いて探索し,"社会とのつながり"と心理的幸福感の関係について検討することを目的とした。被調査者は,391名の中学生および高校生であり,"社会とのつながり"と心理的幸福感の質問紙調査が実施された。心理的幸福感の測定尺度としては,疎外感尺度および充実感尺度を用いた。それらは,孤独感,空虚感,圧迫感,無力感,自尊感,充実感の因子から構成された。因子分析の結果,受容的つながり,道具的つながり,貢献的つながりの3因子が抽出された。相関分析と分散分析の結果,「受容的つながり」は孤独感,空虚感,圧迫感,無力感と負の関係がみられ,自尊感,充実感と正の関係がみられた。「道具的つながり」および「貢献的つながり」についても,いくつかの心理的幸福感の尺度との聞に相関がみられた。また,つながりの頻度と心理的幸福感の関係におけるつながりの重要度の効果も検討された。「受容的つながり」と空虚感,「貢献的つながり」と自尊感の関係において交互作用が見られ,重要度の効果が示唆された。これらの結果から,中学生および高校生にとって,特に「受容的つながり」を主とした"社会とのつながり"が心理的幸福感と関係していることが示された。
著者
原岡 一馬
出版者
一般社団法人 日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.4, no.3, pp.29-40,63, 1969-10-15 (Released:2013-02-19)
参考文献数
13

以上の結果を要約すれば, 〔-〕から,1知能以上の成績を上げた子も, 知能以下の成績しか上げ得なかった子も, 家庭環境を一定とすれば知能と学業成績とは相当高い相関関係を示す (7~8) し, 学業成績は知能と環境との重相関では, ほとんど完全に近い相関係数を示す (88~99)。又どちらも, 知能と環境との相関はほとんど0であった (018~039)。2知能以上の学業成績を上げた生徒は, 知能以下の成績を上げた生徒よりも, 家庭環境得点において有意に高く (田中研究所・家庭環境診断テスト使用), 中でも「子供のための施設」「文化的状態」「両親の教育的関心」が特に大きな差を表わし, 次に「家庭の一般的雰囲気」が重要だと云える。3オーバー・アチーバーのグループでの知能, 学業成績及び家庭環境の関係と, アンダー・アチーバーのグループでのそれらの関係とでは, オーバー・アチーバー内では学業成績を上げるに環境の影響が少なく, アンダー・アチーバー内での学業成績に対する環境の影響は高かった。4又各項目について, オーバー・アチーバーとアンダー・アチーバーとの有意な差を示すもの16を取り上げてみると,(1) 同胞数について, 1人子と6人以上の兄弟を持っているものは, アンダー・アチーバーの方が多かった。(2) 家を引越した数はオーバー・アチーバーの方が多かった。(3) 教科書以外の本が6冊以上ある家は, オーバー・アチーバーの方が多い。(4) 一人当りの部屋数では. 60以上がオーバー・アチーバーの方に多かった。(5) 家に字引が二種類以上あるのは, オーバー・アチーバーの方が多かった。(6) 家で決って子どものために雑誌を取ってもらったことのないのは, アンダー・アチーバーの方が多かった。(7) 新聞を取っていない家庭は, アンダー・アチーバーが多かった。(8) 両親が月に一回以上教会やお寺, お宮に参るかということについて, 「時にはすることがある」というのにオーバー・アチーバーが多く, 「お参りする」「全然しない」の両端は, アンダー・アチーパーの方が多かった。(9) 家庭のお客様の頻度では「普通」がアンダー・アチーバーに多く, 「比較的に少ない」と「比較的に多い」との両端が (8) の場合とは丁度逆にオーバー・アチーバーに多かった。(10) 家庭がいつもほがらかだと感ずるのは, オーバー・アチーバーであった。(11) お母さんの叱り方では, 「全然叱らない」のが多いのはアンダーアチーバーであった。(12) 子どもが家でじゃまもの扱いにされていると全然思わないのは, オーバー・アチーバーが多かった。(13) 両親とも働きに外に出ているのは, アンダー・アチーバーが多かった。(14) 両親が服装や言葉遣い等に全然注意しないのはアンダー・アチーバーが多かった。(15) 子どものことについて, 両親が口げんかをほとんどしないのはオーバー・アチーバーが多かった。(16) 又誕生日に何か送りものやお祝を「たいていする」めはアンダー・アチーバーに多く, 「全然しない」「時にはすることがある」にはオーバー・アチーバーが多かった。5以上のことから考えられることは, 知能以上の学業成績を上げるには文化社会的家庭環境の影響が大であることが多くの研究結果と同様に示された。6次に推論出来ることは全体としてオーバー・アチーバーがアンダー・アチーバーより家庭環箋はよいが, 成就指数が高くなるに従って学業成績に及ぼす環境の影響度は少なくなって行くと云うことであり, 連続的に見れば成就指数と環境との関係グラフは成就指数を横軸に, 環境を縦軸に取れば, 指数曲線状を描きその変化率が次第に減少すると仮定することが出来よう。7ここではオーバー・アチーバーとアンダー・アチーバーの両端を取つて調べたため, その連続的傾向を見ることが出来なかったので, 次に全体調査を行って上の推論を検証することとした。次に〔二〕から1努力係数 (FQ) と家庭環境得点とは正の相関 (γFQ. En=. 302) を有すること,(但しこの場合, その関係グラフは指数曲線状であり, 相関係数は直線を仮定する故低い値となったであろう)。これに比して, 学業成績はFQと高い相関 (γFQA=. 71) を有し, 知能はそれとほとんど無関係である。(γFQI=. 111)2オーバー・アチーバーがアンダー・アチーバーより一般に高い環境得点を有しているが, その関係の程度は努力係数が高くなればなる程低くなる。即ち努力係数と環境との関係は指数曲線状を描く。3努力係数の変動の大部分は学業成績・環境・及び学業成績と知能との交互作用にあり, 知能にはほとんどないのである。しかしながら, 環境が努力係数の変動の中で無視されないほどの変動を有し, 又努力係数と 302の相関を有するということから, 努力係数を構成するには, FQやAQのように知能と学業成績だけから作成されたインデックスだけでは不充分ではなかろうか。そこには当然環境という要素をその重要度に応じて入れることが必要であり, 知能, 環境以外の要素も学業成績に及ぼすものとして学業成績を予測し, 努力を評定した方が合理的の様である。4又これらの結果を更に検証するものとして広範囲の被験者に適用してその普遍性を見出し, 更に学年を広げて, 小学校及び高等学校迄も適用出来るかどうかを試みたいし, 又中学校においては臨床的な事例と対比さしてその問題点を見出し, 環境の変化に基く変化を実験的に考察してみたい。
著者
原岡 一馬
出版者
日本教育心理学会
雑誌
教育心理学研究 (ISSN:00215015)
巻号頁・発行日
vol.4, no.3, pp.29-40, 1957-02-25
被引用文献数
2

以上の結果を要約すれば,〔一〕から,1知能以上の成績を上げた子も,無能以下の成績1しか上げ得なかった子も,家庭環境を一定とすれば知能と学業成績とは相当高い相関関係を示す(.7〜.8)し,学業成績は知能と環境との重相関では,ほとんど完全に近い相関係数を示す(.88〜.99)。又どちらも,知能と環境との相関はほとんどOであった(.018〜.039)。2知能以上の学業成績を上げた生徒は,知能以下の成績を上げた生徒よりも,家庭環境得点において有意に高く(田中研究所・家庭環境診断テスト使用),中でも「子供のための施設」「文化的状態」「両親の教育的関心」が特に大きな差を表わし,次に「家庭の一般的雰囲気」が重要だと云える。3オーバー・アチーバーのグループでの知能,学業成績及び家庭環境の関係と,アンダー・アチーバーのグループでのそれらの関係とでは,オーバー・アチーバー内では学業成績を上げるに環境の影響が少なく,アンダー・アチーバー内での学業成績に対する環境の影響は高かった。4叉各項目について,オーバー・アチーバーとアンダー・アチーバーとの有意な差を示すもの16を取り上げてみると,(1)同胞数について,1人子と6人以上の兄弟を持っているものは,アンダー・アチーバーの方が多かった。(2)家を引越した数はオーバー・アチーバーの方が多かった。(3)教科書以外の本が6冊以上ある家は,オーバー・アチーバーの方が多い。(4)一人当りの部屋数では.60以上がオーバー・アチーバーの方に多かった。(5)家に字引が二種類以上あるのは,オーバー・アチーバーの方が多かった。(6)家で決って子どものために雑誌を取ってもらったことのないのは,アンダー・アチーバーの方が多かった。(7)新聞を取っていない家庭は,アンダー・アチーバーが多かった。(8)両親が月に一回以上教会やお寺,お宮に参るかということについて,「時にはすることがある」というのにオーバー・アチーバーが多く,「お参りする」「全然しない」の両端は,アンダー・アチーバーの方が多かった。(9)家庭のお客様の頻度では「普通」がアンダー・アチーバーに多く,「比較的に少ない」と「比較的に、多い」との両端が(8)の場合とは丁度逆にオーバー・アチーパーに多かった。(10)家庭がいつもほがらかだと感ずるのは,アンダー・アチーバーであった。(11)お母さんの叱り方では,「全然叱らない」のが多いのはアンダー・アチーバーであった。(12)子どもが家でじゃまもの扱いにされていると全然思わないのは,オーバー・アチーバーが多かった。(13)両親とも働きに外に出ているのは,アンダー。一アチーバーが多かった。(14)両親が服装や言葉遣い等に全然注意しないのはアンダー・アチーバーが多かった。(15)子どものことについて,両親が口げんかをほとんどしないのはオーバー・アチーバーが多かった。(16)叉誕生日に何か送りものやお祝を「たいていする」のはアンダー・アチーバーに多く,「全然しない」「時にはすることがある」にはオーバー・アチーパが多かった。5以上のことから考えられることは,知能以上の学業成績を上げるには文化社会的家庭環境の影響が大であることが多くの研究結果と同様に示された。6次に推論出来ることは全体としてオーバー・アチーバーがアンダー・アチーパーより家庭環境はよいが,成就指数が高くなるに従って学業成績に及ぼす環境の影響度は少なくたって行くと云うことであり,連続的に見れば成就指数と環境との関係グラフは成就指数を横軸に,環境を縦軸に取れば,指数曲線状を描きその変化率が次第に減少すると仮定することが出来よう。7ここではオーバー・アチーパーとアンダー・アチーバーの両端を取って調べたため,その連続的傾向を見ることが出来なかったので,次に全体調査を行って上の推論を検証することとした。次に〔二〕から1 努力係数(FQ)と家庭環境得点とは正の相関(γ_<FQ・En>=302)を有すること,、(但しこの場合,その関係グラフは指数曲線状であり,相関係数は直線を仮定する故低い値となったであろう)。これに比して,学業成績はFQと高い相関(γ<FQA>=.71)を有し,知能はそれとほとんど無関係である。(γ_<FQ1>=111)2 オーバー・アチーパーがアンダー・アチーパーより一般に高い環境得点を有しているが,その関係の程度は努力係数が高くなればなる程低くなる。即ち努力係数と環境との関係は指数曲線状を描く。3 努力係数の変動の大部分は学業成績・環境・及び学業成績と知能との交互作用にあり,知能にはほとんどないのである。しかしながら,環境か努力係数の変動の中で無視されないほどの変動を有し,叉努力係数と.302の相関を有するということから,努力係数を構成するには,FQやAQのように知能と学業成績だけから作成されたイソデックスだけでは不充分ではなかろうか。そこには当然環境という要素をその重要度に応じて入れることが必要でh</abst>
著者
竹ノ山 圭二郎 原岡 一馬
出版者
久留米大学大学院心理学研究科
雑誌
久留米大学心理学研究 (ISSN:13481029)
巻号頁・発行日
no.2, pp.49-61, 2003

本研究の目的は,いじめ状況における被害者と周囲の者とのいじめ判断がどのように違うのかを明らかにすることであった。実験1では,被験者は被害者または傍観者条件にランダムに割りふられた。そして,いじめについての判断の違いが検討された。その結果,被害者よりも傍観者条件の被験者の方が,よりその状況はいじめであると判断する傾向があった。実験2では,被害者-傍観者という観点によるいじめ判断の差違に加えて,初めのいじめ判断が後の判断に影響するかどうかが検討された。シナリオは,いじめ場面(エピソード1)と,他の人達からの援助的介入を被害者が拒絶するという場面(エピソード2)を含んでいた。被験者の半数はエピソード1-エピソード2の順に回答し,他の被験者は逆の順序で回答した。その結果,被害者より傍観者は,よりいじめと判断していた。そして,エピソード1における判断は,エピソード2における判断に影響していた。実験3では,集団の数人の成員から被害者が無視されるとき,被害者が仲間はずれにされているという被験者の判断の程度が検討された。実験の要因は,被害者一加害者の立場,被害者への原因帰属,および加害者数に関する判断基準であった。予備調査の結果,3種類の判断基準がみいだされた。それは,(1)数人,(2)半分,および(3)ほとんどの仲間から無視されたときに,被害者が仲間はずれにされたと判断するという基準である。その結果,加害者の方が被害者よりも仲間はずれと判断し,また1番目の基準(数人の加害者)を持つ被験者の方が,より被害者は仲間はずれにされていると判断していた。しかし,どの条件でも,疎外の原因が被害者にあると,その被害者が仲間はずれにされているという判断は低下した。一連の実験を通じて,被害者に対するいじめに関する判断の程度において,被害者条件の方が他の条件よりも低かった。これらの結果は,いじめを否定する被害者の傾向を反映するものと解釈された。なぜなら,いじめの被害者であると認識することが自尊心への脅威となるからである。