著者
吉野 政治 YOSHINO Masaharu
出版者
京田辺
雑誌
同志社女子大學學術研究年報 = Doshisha Women's College of Liberal Arts annual reports of studies (ISSN:04180038)
巻号頁・発行日
vol.61, pp.170(11)-160(21), 2010-12-25

西洋では太陽中心説あるいはコペルニクス説と呼ばれるものを東洋では地動説と呼ぶ。この名には、語の創始者である蘭学者志筑忠雄の、陽である天は動き、陰である地は不動であるとする陰陽論の考え方を完全には克服できなかった個人的思想が反映されている。彼は動不動の相対論を展開しつつ、宗学の特徴である二つの主張西洋の新説は早く東洋でも説かれていたこと、また東洋哲学は西洋科学より優れていることを繰り返している。既に宗学を克服した我々が地動説という語を使用しているのは、一度定着した言葉は容易に変えることはできないという言葉の保守性によるのである。
著者
吉野 政治 YOSHINO Masaharu
出版者
京都
雑誌
総合文化研究所紀要 = Bulletin of Institute for Interdisciplinary Studies of Culture Doshisha Women’s College of Liberal Arts (ISSN:09100105)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.152(1)-138(15), 2011-03-31

Every culture systematizes natural phenomena in its own way. Consider the number of colors of rainbow. Before the early Edo period, Japanese belived the rainbow had either 3 or 5 colors, depending on wether the Chinese theory of "Inyo-Gogyo-Setsu" or the old European astronony was applted. Following Newton's theory on the 7 color rays of sun, though, the Japanese bigan to see 7 color bands in the rainbow.
著者
吉野 政治 YOSHINO Masaharu
出版者
京田辺市
雑誌
同志社女子大學學術研究年報 (ISSN:04180038)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.130 (53)-118 (65), 2013-12-26

論文 (Article)
著者
吉野 政治 YOSHINO Masaharu
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-12, 2012-03

睡蓮は花の開閉が定時に行われる「日花」(ゾンネブルーム〔蘭語〕)と呼ばれるもののひとつであり、ひつじの刻(午後一時から三時)に花を閉じる。別名「ひつじ草」はそこからきたものであるが、この花について書かれた文献が初めて現れる江戸時代において、その時間を開花時間とするものがあり、今日もそのように説明する植物図鑑もある。これは漢籍の文章の誤読と和語「つぼむ」の語義の誤解によるもののようである。
著者
吉野 政治 YOSHINO Masaharu
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学大学院文学研究科紀要 = Papers in Language, Literature, and Culture of the Graduate School of Doshisha Women's College of Liberal Arts (ISSN:18849296)
巻号頁・発行日
no.17, pp.1-17, 2017-03

仏典では死の状態を「木石のごとし」と言い、漢籍では「人、木石にあらず」と言う。仏典や漢籍では木石は非情のものの譬喩である。しかし、古来日本では木も石も人間と同じく情を持つ存在であるとする考え方がある。したがって、我が国に取り入れられた「木石、心を持たず」「人、木石にあらず」という句は、仏典や漢籍において持つ生そのものを否定したり、非情のものとして拒絶したりするような深刻さを持たず、修辞として利用される傾向にある。
著者
吉野 政治
出版者
京都
雑誌
同志社女子大学日本語日本文学 (ISSN:09155058)
巻号頁・発行日
no.22, pp.1-13, 2010-06

「朝顔」は奈良時代には特定の花の名ではなかった。現在の牽牛花を「朝顔」と呼ぶようになったのは平安時代からのことだとされるが、同じ頃に同じく蔓性草本で夕方に漏斗状の花を開くものが「夕顔」と呼ばれるようになるのは、「朝-夕」という語の対応が前提となっている。江戸時代には「昼顔」という名が現れるのも「朝-昼-夕」という語の体系がその前提としてあり、明治時代に新渡来種に「夜顔」の名が付けられたのも「昼-夜」という対語が基になっているのである。本稿はこれまで植物学的な類似によって注目されてきたこれらの名前を語の体系という観点から捉えてみたものである。それによって、夕顔と夜顔との混同の理由が理解されることになる。