著者
名嘉山 リサ
出版者
沖縄工業高等専門学校
雑誌
独立行政法人国立高等専門学校機構沖縄工業高等専門学校紀要 (ISSN:1881722X)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.85-99, 2009-03

1970年代にハリウッドで作られたブラックスプロイテーション映画には女性蔑視を助長するような作品が少なくないが、『コフィ』(1973年)や『クレオパトラ・ジョーンズ』(1973年)などの女性主人公は、それまでとは違った、美しくて強いという新しい女性像を打ち出している。その特徴はヘアスタイルや衣装で際立っているが、それらは単に映画のために作られたものではなく、当時のファッションを反映するもので、黒人社会におけるブラックパワー運動、フェミニズムの台頭、美に対する意識変革などと密接に関わっている。つまり、ブラックスプロイテーション映画における強い女性像は当時の社会的および文化的背景を反映し、またそれらに影響を及ぼした。映画のストーリーだけでなく俳優のヘアスタイル、衣装、メイクなどが黒人女性表象の歴史を辿るうえで重要な映画的表現法の一つとなっており、一見すると現実離れしているような内容の映画も歴史を映す貴重な資料となり得る。
著者
名嘉山 リサ なかやま りさ Nakayama Risa 沖縄工業高等専門学校 総合科学科
出版者
沖縄工業高等専門学校
雑誌
沖縄工業高等専門学校紀要 = Bulletin of National Institute of Technology, Okinawa College (ISSN:1881722X)
巻号頁・発行日
vol.12, pp.11-19, 2018-03

1960年に公開されたハリウッド映画『戦場よ永遠に』(アライド・アーチスト、フィル・カールソン監督)は、その大部分が沖縄で撮影された。「サイパンの笛吹き男」と呼ばれ、サイパン戦で1,000人もの日本兵・民間人を無血で投降させたガイ・ガバルドンの半生を映画化した作品だが、ガバルドンが海兵隊入隊後、サイパン戦で活躍するまでの場面が、当時米国の占領下にあった沖縄をサイパンやハワイなどに見たてて撮影された。沖縄ではじめて「日米合作」のハリウッド映画のロケが行われたということで話題になり、在沖海兵隊が製作に全面協力したほか、日本の映画会社(歌舞伎座プロ)、地元の建設会社(國場組)、沖縄住民が多数エキストラやスタッフとして撮影に協力した。その中の一人が、監督の付き人として撮影に参加した比嘉松盛氏である。本インタビューでは、比嘉氏がカールソン監督の付き人になったいきさつや、撮影現場でのエピソードや印象などを語っていただき、一般的な資料からは知ることのできない情報を得ることを目的とした。インタビューは2015年7月23日に沖縄県浦添市で行われた。Hell to Eternity(1960)is based on the real story of Guy Gabaldon,the Pied Piper of Saipan, who made about 1,000 Japanese soldiers and civilians surrender during the Battle of Saipan. The majority of the film―the scenes where Gabaldon decides to enlist in the Marines, goes to Hawaii for vacation, fights the Japanese Army, saves Japanese people in Saipan,etc.―were filmed in Okinawa which was under U.S. rule. It was the first Japan-U.S coproduction Hollywood movie to be filmed there, and the U.S.Marine Corps as well as a number of Okinawan people cooperated in the filming as extras and staff members. Mr. Matsumori Higa, who was the assistant to Director Phil Kerlson,is one of the local people who participated in the filming of Hell to Eternity.This interview, conducted on July 23, 2015, reveals what it was like to work as an assistant to Director Kerlson and Mr. Higa's impression on the staff,the actors, etc. in relation to his memories of childhood and war.
著者
名嘉山 リサ Nakayama Risa 総合科学科 Department of Integrated Arts and Sciences
出版者
沖縄工業高等専門学校
雑誌
独立行政法人国立高等専門学校機構沖縄工業高等専門学校紀要 (ISSN:1881722X)
巻号頁・発行日
no.10, pp.41-53, 2016-03

戦後27年に及んだ「アメリカ世(ユー)」と呼ばれるアメリカによる沖縄統治時代に行われた広報活動のなかに、映像メディアを使うという方法があった。それによって統治政策を沖縄住民に広く知らしめ、理解を求め、統治を円滑に行うことを目指した。統治前半の1940年代から1950年代はニュース映画やドキュメンタリー映画などを入手・制作し、映画館や文化会館等での上映、あるいは巡回上映を行ったが、1960年前後にテレビ放送が始まるとテレビ番組も制作するようになった。琉球列島米国民政府(USCAR)はテレビの影響力に期待し、電波を通して米民政府の政策や実績をお茶の間に届けることに投資したわけだが、1960年代後半に沖縄返還が決まったのちも、次の目標を見据えその活動が止む事は無かった。本稿では1960年代後半以降のUSCARのテレビ番組制作に焦点を当て、広報局視聴覚課の任務やUSCARの広報戦略などを整理し、当時地元の民放二局で放映された番組の中から3本をモデルケースとして分析することで、その時期のUSCAR制作テレビ番組の実態を探る。During the 27 year U.S. rule of Okinawa from 1945 to 1972, the U.S. military government used audiovisual media as part of its educational and public relations activities. The United States' aim was to govern Okinawa smoothly by garnering the local residents' understanding for their occupation policies through these activities. During the first half of the occupation, the military government obtained and produced newsreels and documentary films, andscreened them in movie theaters, public halls, and outdoor areas. When TV broadcasting began around 1960, they shifted to produce TV programs. The United States Civil Administration of the Ryukyu Islands (USCAR),established in 1950, which succeeded the United States Military Government, had high expectations in regards to the influence of TV media, and therefore invested in disseminating its policies and achievements via air waves.USCAR continued to produce TV programs after the reversion of Okinawa was agreed to by the U.S. and Japan,for it had as an objective to psychologically prepare Okinawans for the reversion through TV programming. This paper focuses on the TV programs produced by USCAR during the last phase of its rule and examines the missions of the audio-visual division of the Public Affairs Department of USCAR and the conditions behind theirTV productions. The paper specifically focuses on three TV programs that were recently restored for a screening held in Okinawa in 2015—TV Weekly: A New Handicraft Shop, TV Weekly: A Year End Charity Campaign by the Americans, and Man, Time, and Place: American Children Learning Japanese Culture, and aims to elucidate the actualities of these programs made circa 1970.
著者
名嘉山 リサ 与那覇 晶子 渡久山 幸功
出版者
沖縄工業高等専門学校
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

The Teahouse of the August Moon(『八.月十五夜の茶屋』)の原作小説、戯曲、映画を相対的に研究、比較検証することで、アメリカ側がどのように戦後沖縄を描き、また各作品がアメリカ、日本、沖縄等でどのように受容されたかを探ることを目指した。各研究分担者がポストコロニアル論、ジェンダー論などを中心に複数の論文を執筆し、沖縄、日本、アメリカで研究発表を行った。また当時の演劇の音声や二次資料などを収集し、作品の受容についても光をあてることができた。