著者
塩野 幸一 伊藤 学而 犬塚 勝昭 埴原 和郎
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.90, no.3, pp.259-268, 1982-07-15 (Released:2008-02-26)
参考文献数
9
被引用文献数
5 3

多くの歯科疾患に共通する病因として,歯と顎骨の大きさの不調和(discrepancy)の問題があることが INOUE(1980)によって指摘されている。この discrepancy の頻度は,HANIHARAetal.(1980)によれば,後期縄文時代人では8.9%こ過ぎなかったが,中世時代人で32.0%と増加し,現代人にいたっては63.1%の高率を示すという。ITO(1980)は日本人古人骨を対象として個体における discrepancy の大きさを計測し,その平均値が後期縄文時代人では+7.7mm であったものが,現代人においては-2.6mm となっていることを示し,また(+)側から(-)側へうつった時期は鎌倉時代以前であるとしている。Discrepancy はヒトの咬合の小進化の表現と考えられ,具体的には顎骨の退化が歯のそれよりも先行することによると考えられている。そのため顎顔面形態の変化の経過を明らかにすることが,discrepancy の成立と増大の過程を知るためには特に重要である。このような観点から KAMEGAI(1980)は,中世時代人の顎顔面形態の計測を行い,この時代の上下顎骨が現代人におけるよりも大きかったことを報告している。本研究は,discrepancy の増大してきた過程を知るために,顎顔面の時代的な推移を調査したものの一部であって,とくに後期縄文時代に関するものである。資料は,東京大学総合研究資料館所蔵の後期縄文時代人頭骨327体のうち,比較的保存状態がよく,生前の咬合状態の再現が可能な16体を使用した。これを歯科矯正学領域で用いられている側貌頭部X線規格写真計測法により分析し,KAMEGAI etal.(1980)による鎌倉および室町時代人と,SEINo et al.(1980)による現代人についての結果と比較した。顔面頭蓋の大きさ,上顎骨の前後径,上下顎骨の前後的位置には後期縄文時代人と現代人との間にほとんど差がなかった。しかし,顎骨骨体部の変化が著しくないにもかかわらず,現代人においては歯槽基底部の長径の短縮が認められた。後期縄文時代人の下顎骨は現代人に比較すると非常によく発達していて,とくに下顎枝,下顎体は現代人より大きく,また顎角も現代人より小さかった。このことは,後期縄文時代では咀嚼筋の機能が大であったことを示唆するものと考えられ,逆に,現代人における下顎骨の縮小は,食生態の変化に伴う咀嚼機能の低下によるものと思われる。上下顎前歯については後期縄文時代人では鎌倉時代人や現代人と比べて著しく直立しており,一方,現代人では著明な唇側傾斜が認められた。このことは上下顎歯槽基底部の前後的な縮小と関連するものと思われる。結論的には後期縄文時代の,まだあまり退化の進んでいない顎顔面形態は,頻度8.9%,平均値+7.7mm という discrepancy の小さかったことを表す値とよく一致するものと思われる。
著者
井上 直彦 高橋 美彦 坂下 玲子 呉 明里 野崎 中成 陳 李文 亀谷 哲也 塩野 幸一
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.100, no.1, pp.1-29, 1992 (Released:2008-02-26)
参考文献数
24
被引用文献数
2 3

中華民国(台湾)中央研究院において,中国河南省安陽県殷墟の犠牲坑から出土した398体の頭骨標本の調査を行う機会を得た.侯家荘西北高における,1928年から1937年まで通算15回の発掘による標本の数は,1,000体におよぶものであったというが,当時の中央研究院が戦乱を避けて移動する間に,現在の数にまで減少したという.甲骨文字の解読による史実と,同時に出土した遺物との対照によれば,1,400~1,100BC頃,すなわち殷商時代の後半と推定されている.この標本群は,歴史的な裏付けのある資料としては恐らく最古のものであり,しかも,標本数も大きい点で,古い時代の形質と文化との関わりを知るための資料としてきわめて貴重なものと考えられる.この資料についての過去の研究の中でとくに関心がもたれた重要な課題は,殷商王朝の創建者はどのような人種であったのかという点であるという(楊,1985b).すなわち,本来の中国人というべきものがすでに存在していたのか,東夷あるいは西戎であったのか,また,単一民族であったのか,あるいは楊が指摘したように数種の異民族を包括して統治していたものかなどである(Fig.1~Fig.3).もし,複数民族の存在が事実であるならば,それは,同一の時間,同一の空間に異民族が共存していたという比較的まれな例であるということができる.本研究は,長年にわたる人種論争にあえて参加する立場はとらず,各群が,群として認められるに足りる形態学的な根拠をもっかどうかを検討し,さらに文化の影響としての歯科疾患が,同じ生活圏に存在したと考えられる異なる民族群においてどのように分布するかを知り,著者らがすでに指摘した形質と文化との独立性をさらに確かめることを目的とした.