著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校文藝部
雑誌
志貴野
巻号頁・発行日
vol.13, pp.93-99, 1934-01-30
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校文藝部
雑誌
志貴野
巻号頁・発行日
vol.13, pp.93-99, 1934-01-30
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.1-15, 1942-05-30

本稿は『國家總力戦理論の基礎』と題する長篇(國防經濟學大系第一巻収載)の一節をなすものであるが、一應切りはなしても意味をもつと考へ、編輯者の勸めにしたがつて、誌上に發表する。今日、世界史の問題を、經濟的觀點からのみ解明できると信じてゐるやうな者は少いけれども、しかし一部の經濟學者は、依然として世界過程の經濟的分析から、なんらかの歸結を求めようとする習性を、脱却してゐない。しかるに大東亜共榮圏の理念は、そのやうな過程分析からは決して生れては来ず、敢てこの理念を結びつけようとすれば、その論策は『作文』のごときものと化するのである。わたくしは新らしい勉強の手はじめとして、同時代の他の精神諸科學の領域に働く人々に着目しなければならなくなつてゐる。
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.13, no.2-3, pp.105-122, 1940-09-30
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.12, no.4, pp.617-665, 1940-02-25

日本の經濟學の情況にたいする、遠慮のない、きはめて適切な、時宜をえた―つの批評があらはれ、われわれに反省をうながしてゐる。それは東京帝國大學助教授安井琢磨氏によつて、學術論文としてではなく、むしろ随想として近ごろ書かれたものであるが、そのなかには日本における洋書の飜譯の氾濫とその吸収力の間題が一つの疑問として述べられてゐる。『飜譯書が思想的移植の出發點である代りに却て終末點となってゐるやうな不幸な實例』の多いことが歎かれてゐるのである。『―つの名譯書にもられた思想が長い間かかつて十分吟味され、咀嚼され、さうして養分として取入れられるなどといふことは減多にない』といひ、そしてつゞけて安井教授は諧謔をもつて語つてゐる。-『多くは嗅ぎ廻り、誉め廻し、食ひ散らして、いつの間にか忘れられてしまふ貪婪な舌の前にはシュムペーターも、ゴットルもリストもそれぞれ同じ膳の一皿である。しかしシュムペーターの一片とゴットルの一片とリストの一片とはどうしてもうまく胃の中で調和しない。食手は腹痛を覺えて下痢をする。さうしてみんなはき出してしまふ』と。本論文はそのやうな情況のもとで、むしろ―つの邦譯書を研究の主題とするのみではない。ゴットルも、シュムペーターも、いはゆる『同じ膳の一皿』として、すべての外来物を敢て同時に咀囁すべきものとして、とりあげようとする一聯の努力の―つに属するものといふことができる。西洋學説の攝取に關する一般的態度の問題は、すでに『西洋經濟學における綜合』と題する一論で述べた。
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.267-300, 1939-09-30

ラスキンにしたがへば、價値、富、價格などといふ經濟學上の基礎概念とともに、重要なものは生産物の概念である。しかるにこれらはいづれも一般人が理解できるやうには述べられてをらぬ。-生産物とは何であるか、ジョン・スチュアート・ミルはこの根本問題に答へんとして、矛盾に陥つてゐる。ミルは言明して經濟學は哲學的または道徳的考察と關係がないといふ,しかるにかれの推理の中にに暗黙のうちにさういふものが導入されてゐるといふのが、ラスキンの所見である。果してラスキンの所見は正當であらうか?ラスキンのミル批判は四論文『債値に従ひて』Ad Valorcmの冒頭からはじまるものであるが、われわれはまづラスキンの批評の對象となったミルの學説について、ラスキンを離れて直接に考察する必要を感ずる。問題は四段にわかれる。第一、ミルは一體何を述べてゐるか?第二、ラスキンはそれをどう理解したか?第三、ラスキンのミル批判は正當であるか?第四、ラスキン自身の思想は何であるか?
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.85-98, 1939-06-20

すでにわれわれは第一論および第二論において、『正義』の問題がラスキンの所説の根幹であることを承知した。たとへば雇主と勞働者の利害對立の問題に關して、かれの説くところはすでに正義の間題であった。あらゆる人間の行動の規準は窮極において利害得失の計量にあるのではなくて、『正義の計量』にあるといふのがかれの主張だった。貧富關係の成立に關する根本間題も「抽象的正義』の問題に歸し、商取引の方法に關する問題もおなじく正義の問題に歸するといふことは、これもまた一應われわれの見たところであった。しかるに第三論『地の審判者よ』にいたつては、前二論において顱頂をあらはしてゐた正義の問題が全面的に取扱はれた觀がある。しかも冒頭に引きだされたものは舊約の箴言すたはちソロモンの言葉であり、そしてソロモンの富に關する格言の解釋が第三論の出發點をなしてゐるといふにいたつては、多少なりとも理論的な分析の態度を延長してこれを追究しようといふ希望も放棄せざるをえない。われわれぱしばらくラスキンの正義について説くところをその言葉のまゝ讀まなければならぬ。
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.1, pp.231-282, 1929-03-05
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校研究會
雑誌
研究論集
巻号頁・発行日
vol.1, pp.199-229, 1929-03-05
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校學友會
雑誌
學友會誌
巻号頁・発行日
no.9, pp.53-54, 1932-02-15
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校學友會
雑誌
學友會誌
巻号頁・発行日
no.7, pp.1-4, 1931-02-28
著者
大熊 信行
出版者
高岡高等商業學校文藝部
雑誌
志貴野
巻号頁・発行日
no.22, pp.58-61, 1939-02-09