著者
大熊 廣明
出版者
筑波大学体育科学系
雑誌
体育科学系紀要 (ISSN:03867129)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.57-70, 2001-03

わが国においては長い間,初等学校においてはもちろん,中等学校以上の教育機関においても体育が必修であった。しかしながら周知のように,大学における体育はすでに必修科目ではなくなっている。また今後,高等学校の ...
著者
阿部 生雄 大熊 廣明 真田 久
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003

本研究は、バレーボール、水泳、テニスなどの近代スポーツの日本的受容について明らかにすることを目的としたものである。本年度は特に、games(遊戯)、スポーツマンシップ、テニス、バレーボールの日本的受容について研究した。その結果、それぞれ次のことが明らかになった。西洋の遊戯(game)の日本的受容は,必ずしも受動的なものではなかった。数多くの西洋の遊戯(game)を積極的に導入し、子供の自然性と快活さを擁護し、児童のレクリエーション習慣(遊戯世界)の形成、遊戯の持つ健康上の効用と道徳的効用という教育的認識を早く摂取した。しかしそれは日本の「国民教育」の形成期におけるナショナリズム、日本の児童、学校教育の実態から西洋的遊戯を膾炙し、「加工」して受容しようとする姿勢の上になされたのであった。テニスは、まず学校の中に取り入れられるが、外国のスポーツをそのまま吸収するのではなく、ゴム製の庭球ボールを開発するとともに、ダブルスを基本とする和式テニス(いわゆる軟式庭球)を普及させた。これは用具の経済的な効率を考えつつ、授業として展開できるように考案されたものであり、教育現場に適した日本的なスポーツの受容といえる。同様にバレーボールも、9人制が推進されたが、これも効率化と、身長や技術的な能力の差異を集団でカバーするという観点からも推進されており、やはり教育的な観点での日本的な受容と言える。以上の事から、日本における近代スポーツの受容については教育的な面、健康増進の面、さらには教育活動としての経済的効率の面から積極的に解釈され、それらの効果を高めるために、近代スポーツを受容、加工していったことが明らかになった。