著者
阿部 生雄
巻号頁・発行日
2001 (Released:2013-12-18)

筑波大学博士 (教育学) 学位論文・平成13年6月30日授与 (乙第1748号) 折り込み図2枚あり 付: Thomas Hughes年譜 付: 参考文献
著者
佐伯 聰夫 阿部 生雄 菊 幸一 仲澤 眞 矢島 ますみ 生沼 芳弘 上杉 正幸 米谷 正造
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2003 (Released:2003-04-01)

平成15年度研究において、我々はEU化の変動の中で先進的な企業経営を行っているドイツ及びフランスのゲルマン系トップ企業を訪問し、経営とスポーツ支援に関わる責任者を中心としたインタビュー調査を実施した。同様に、平成16年度には、イタリアとスペインのラテン系トップ企業を、17年度には、米国と英国のアングルサクソン系企業を対象としたインタビュー調査を実施した。また、これに対応して、支援を受けるスポーツクラブやNOC等のスポーツ団体の調査も実施した。この間、平行して、日本において伝統的にスポーツ支援に積極的に取り組み、また、企業スポーツを展開している新日鐵等の素材企業、トヨタや日産等の自動車産業、NECや松下等の家電企業、サントリーやキリン等の飲食産業、東電や東京ガス等のエネルギー産業等の一流企業を対象とした企業経営とスポーツ支援についてのインタビュー調査を実施した。関連資料の収集・分析とこうしたインタビュー調査の結果から、以下のような結論を得た。欧米の企業は、経済環境のグローバル化と企業の社会的責任論の進展の中におけるメディアとしてのスポーツの価値を認識し、企業と市民社会とのコミュニケーションメディアとしてスポーツを活用するために、スポーツ支援を経営戦略の一環として展開している。一方、日本の企業の場合は、長期経済不況から脱したものの、なお、積極的経営に留保しており、スポーツ支援、特に企業巣スポーツについては、企業忠誠心や労働モラールの高揚のために、またスポーツスポンサードについては、マーケティングの一環として展開している状況が見られた。しかし、環境と共生という21世紀世界課題に対応する形で、企業の社会的責任がグローバルスタンダードとなる現代、日本企業にも社会的責任論に立つ企業経営が求められている。従って我が国では、企業が、市民社会とのコミュニケーションメディアとして最強であるスポーツを、経営資源として戦略的に活用することが求められている。こうした視点から、日本企業の固有資源としての企業スポーツを、1.スポーツ文化の発展を担うプロスポーツ化2.地域社会貢献を担う地域クラブ化3.職域・職場の人間化を担う福祉化の3つを、日本企業が所有するスポーツ資源を、成熟型企業経営における経営戦略的活用のモデルとして開発し、提案する。
著者
寳學 淳郎 清原 泰治 阿部 生雄
出版者
高知学園短期大学
雑誌
高知学園短期大学紀要 (ISSN:03894088)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.9-22, 1998-03-31

This study investigated the emergent process of the extra-curricular sport activities before the organization of the Koyu-kai(Students' body), and the activities of Undo-bu(sport club) that belonged to the Koyu-kai of the Tokyo Higher Normal School(THNS). This study investigated mainly Meiji Era. In THNS after the organization of Yoriai-kai (1880) and the Undo-kai (a meet for athletic sports, that was established in 1886), the Koyu-kai governing extra-curricular activities was set up in October 1901. The earliest extra-curricular sport activities in THNS were only tennis and rowing. The Undo-kai organizad had seven Undo-bu(sport club) - judo, kendo, kyudo, apparatus gymnastics and sumo, tennis, association football, and baseball. As the oraganization of Koyu-kai the Undo-bu increased in number. There were ten clubs - judo, kendo, kyudo, apparatus gymnasitics, tennis, association football, baseball, rowing, bicycle, and sumo. In 1902,two clubs (swimming and track-and-field) were established in the Koyu-kai and next year three clubs (sumo, bicycle, apparatus gymnastics) were excluded from the Koyu-kai. The feature of the Undo-bu of the Koyu-kai in THNS in the Meiji Era were as follows. 1)There were two types : one was "compulsory" Iike swimming, and the other was "free will" . 2)Foreign sports like tennis were introduced at the very early stage in Japan. 3)The Undo-bu of the Koyu-kai contributed to the introduction and popularization of sports by publishing the books (association football) and sponsoring the meeting(tennis, track-and-field, swimming etc.). 4)The performance were at high level and Shizo Kanaguri (track-and-field) took part in the 5th Olympic Games(1912).
著者
阿部 生雄
出版者
筑波大学出版会
巻号頁・発行日
pp.1-336, 2009-01
著者
寳學 淳郎 清原 泰治 阿部 生雄
出版者
高知学園短期大学
雑誌
高知学園短期大学紀要 (ISSN:03894088)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.23-32, 1998-03-31

The present paper aims at investigating the extra-curricular sports activities in Tokyo Higher Normal School(THNS) from Taisho Era to the end of World War II . The followings results were obtained. 1)In this period, the Undo-bu(sports club) in the THNS increased in number. Behind this phenomenon, there exsisted the rapid popularization of sports in Japan and the increase of the students of THNS. 2)There were many good players in track-and-field, swimming, association foot-ball, rowing, handball in the THNS who represented Japan in the Olympic Games and/or Far Eastern Championship Games. It means that the extra-curricular sport activities in THNS contributed a lot to the improvement on the level of Japanese sports. 3)The Undo-bu of judo, kendo and association football sponsored the National Middle Schools Championships and contributed to the development of local sports. 4)THNS graduates played an important part in the popularization and the development of the local sports.
著者
阿部 生雄 大熊 廣明 真田 久
出版者
筑波大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2003 (Released:2003-04-01)

本研究は、バレーボール、水泳、テニスなどの近代スポーツの日本的受容について明らかにすることを目的としたものである。本年度は特に、games(遊戯)、スポーツマンシップ、テニス、バレーボールの日本的受容について研究した。その結果、それぞれ次のことが明らかになった。西洋の遊戯(game)の日本的受容は,必ずしも受動的なものではなかった。数多くの西洋の遊戯(game)を積極的に導入し、子供の自然性と快活さを擁護し、児童のレクリエーション習慣(遊戯世界)の形成、遊戯の持つ健康上の効用と道徳的効用という教育的認識を早く摂取した。しかしそれは日本の「国民教育」の形成期におけるナショナリズム、日本の児童、学校教育の実態から西洋的遊戯を膾炙し、「加工」して受容しようとする姿勢の上になされたのであった。テニスは、まず学校の中に取り入れられるが、外国のスポーツをそのまま吸収するのではなく、ゴム製の庭球ボールを開発するとともに、ダブルスを基本とする和式テニス(いわゆる軟式庭球)を普及させた。これは用具の経済的な効率を考えつつ、授業として展開できるように考案されたものであり、教育現場に適した日本的なスポーツの受容といえる。同様にバレーボールも、9人制が推進されたが、これも効率化と、身長や技術的な能力の差異を集団でカバーするという観点からも推進されており、やはり教育的な観点での日本的な受容と言える。以上の事から、日本における近代スポーツの受容については教育的な面、健康増進の面、さらには教育活動としての経済的効率の面から積極的に解釈され、それらの効果を高めるために、近代スポーツを受容、加工していったことが明らかになった。
著者
阿部 生雄
出版者
筑波大学体育科学系
雑誌
体育科学系紀要 (ISSN:03867129)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.21-42, 2004-03

19世紀前葉にイギリスのパブリックスクールで萌芽したゲーム活動がアスレティシズム(athleticism:競技礼賛)へと成長し始めたのは、McIntoshによれば、1950年頃からのことであり、その頂点は19世紀から20世紀への ...