著者
大町 公
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.21, pp.p13-23, 1993-03

筆者が岸本英夫の名を初めて知ったのは、池辺義教著『医の哲学』においてであったが、その書名にひかれ、文庫本『死を見つめる心』を買い求め、勤め帰りの電車の中であったように記憶するが、それを読み出した時の強い衝撃は今もって忘れられない。読み始めるや戦懐が走るのを覚えた。死について書かれたもので、これほどまでに赤裸々に述べられたものを他に知らないのである。初めて〈肉声〉を、〈生の声〉を聞いた思いがした。ここにはまぎれもなく、〈わが生死観〉がある。言うなれば手造りの生死観である。観念による粉飾がなく、まこと平易な文章で書かれている。そして、そこを冷静な情熱とでも言いうるものがしっかりと流れているのである。疲れた身であったように思うが、筆者の心はまもなくその文体に没入してゆき、夏も近満員電車の中で、一人異質で、冷たく孤独な時間が体の中を流れるのを感じていた。現在は、死が徐々にタブーでなくなりつつあり、死に関する書物が次々と出版されるようになった。タイトルに「死」という文字が入っていれば本が売れるというような時代がやってきたのである。これまでの時代の雰囲気への反発という面もあろう、死についての落ち着いた関心が芽生えるまでにはなおしばらく時間がかかりそうである。それらの中ではしばしば岸本の名前が挙げられ、その著書が引用されている。『死を見つめる心』はこの種の領域ではすでに特別な位置を占めている。早くも現代の古典といった地位にあるようにすら思えるのである。たとえば最近手にした精神科医中沢正夫著『「死」の育て方』のエピローグにおいても、中村真一郎編『死を考える』の感想という形で、ややくだけた言い方ながら次のような高い評価が与えられている。「…死についての成書―それも死一般を論じたものは、読むほどにいぶかしく見える。嘘っぼくみえてきて困った。…もちろん読めば必ず八〇パーセントの安心が得られる(二〇パーセントはしらじらしいと内なる天邪鬼がベロを出す)。それはキッパリと短い文で首尾一貫しているからである。…そのうえ、偉人・天才の言葉として語られるというシカケになっている。たとえば、前出の中村真一郎編の『死を考える』をみると、プラトン、マルクス・アウレリウス、モンテーニュ、リルケ、ネルヴァル、プルースト、孔子、ラーマクリシュナ、道元・・副堂々のラインアップである。どうだ、まいったかという感じである。…病める身で迫りくる自分の死をみつめている二つの文(漱石、岸本英夫)がこの本の最後に載っていなければ、私の天邪鬼は五十パーセントを超えてしまうだろう」しかし、なにゆえ岸本の『死を見つめる心』は高く評価されなければならないのか。「病める身で迫りくる自分の死をみつめ」つつ書かれたからか。それだけの理由からなのか。その他にどのような理由が考えられるのか。もう五年も前のことになるが、初めての出会いの衝撃を想い起しながら、その考えをたどってみることにしよう。
著者
大町 公
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p1-10, 1991-03

かつて筆者は勤めから帰って、ぼんやりプロ野球の放送を聞いていた時、いまだ試合前であったろうか、元プロ野球選手であり、現解説者の坂東英二が何気なく、あるいはピッチャーとしての自らの過去を思い浮べながらであろうか、「男にとって実に辛いのは、自分の器を思い知らされる時だ。」といったようなことを言うのを聞いた。思わずドキッとし、くつろぎつつあった気持ちが一瞬にして冷えたことを覚えている。人の値打ちを批評する場合にはいとも簡単、面白おかしくやってのけるくせに、自分の本当の価値だけは人に知られたくない。いや、自分自身ではなおのこと知りたくない。人にはどうやらそんな心持ちがあるようだ。自分の器がいかなるものであるか。視点は異なるが、二十世紀スペインの哲学者ホセ・オルテガ・イ・ガセ(一八八三-一九五五)は『大衆の反逆』(一九三〇年刊)の中ですべての人間を「少数者」と「大衆」とに分類している。われわれはいずれに分類されているのか、自らを絶えず吟味しつつ、その論を辿ってみることにしよう。

1 0 0 0 IR 散りぬべき時

著者
大町 公
出版者
奈良大学総合研究所
雑誌
総合研究所所報 (ISSN:09192999)
巻号頁・発行日
no.12, pp.1-15, 2004
著者
市川 良哉 遠藤 隆 堤 博美 東山 弘子 高見 茂 大町 公 山田 隆敏 荒川 茂則 武久 文代 高橋 光雄 藤原 剛 田井 康雄 田中 良 田原 武彦
出版者
奈良大学総合研究所
雑誌
総合研究所所報 (ISSN:09192999)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.3-59, 1994-02

国民が生涯にわたって学習する機会を求めている現状にてらして、中央教育審議会は平成2年1月30日「生涯学習の基盤整備について」答申し、同年6月29日に「生涯学習の振興のための施策の推進体制等の整備に関する法律」が施行され、新しい「大学設置基準」(平成3.7.1施行)もそれを踏まえている。こうした流れの中に、高等教育機関が地域の人びとの生涯学習推進に寄与することに強い期待を寄せているところに時代の特徴を見る。翻っていえば、これは高等教育機関としての大学は地域社会へ自らをどう開放するのか、どのような貢献が可能であるのかにかかわる問題であり、大学は時代の要求にどう答えるのかを問われているのである。本研究は本学が高度先端科学技術集積都市が形成されつつある「関西学術文化研究都市(以下学研都市)圏に位置するという立地条件の下で、地域レベルでの生涯学習支援システムを構築する際に担う本学の役割と課題を、総合的に検討するための基礎データを得るために調査を多面的に実施することに目的をおいている。
著者
大町 公
出版者
実践哲学研究会
雑誌
実践哲学研究 (ISSN:02876582)
巻号頁・発行日
vol.3-4, pp.1-12, 1981
著者
大町 公
出版者
奈良大学
雑誌
奈良大学紀要 (ISSN:03892204)
巻号頁・発行日
no.34, pp.101-115, 2006-03

上田三四二は生涯に二度大病を患った。四二歳で結腸癌を患い、一度は生を諦めた。上田にとって、死は存在の消滅を意味した。「死後」は考えられなかった。どの宗教をも信じることができなかったのである。上田は幸いにも生き延びることができた。再出発に当たり、『徒然草』から「生き方の極意」を学んだ。その後、ジャンケレヴィッチ『死』に出会い、「死のむこう側の死」に関心を拡げる。また、自然の中に超自然の可能性を見ることを教えられる。上田は五十代後半、兼好を離れ、西行、良寛へと傾斜していく。二度目の大病は、六十歳での前立腺癌である。「三四二晩年」とはこれ以降を指す。その死生観は、良寛の二つの歌、「つきて見よひふみよいむなやここのとをとをと納めてまたはじまるを」と「沫雪の中にたちたる三千大千世界 またその中に沫雪ぞ降る」に見られる時間論と空間論を骨格にして作られている。