- 著者
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夫馬 進
- 出版者
- 史学研究会 (京都大学文学部内)
- 雑誌
- 史林 (ISSN:03869369)
- 巻号頁・発行日
- vol.89, no.5, pp.645-677, 2006-09
これまで朝鮮通信使の研究では、これによって先進的な朝鮮の学術文化が日本に伝達されたとされてきた。しかし日本で古学が一世を風靡して以後は、この通説は成り立たない。一八世紀は両国学術関係の転換期に当たっていた。一七四八年通信使の一行は朱子学が尊ばれない日本の学術情況を知り、危機感のみを募らせたが、次の一七六四年のそれでは、徂徠学の何であるかを知ろうとして極めて積極的であった。彼らは日本で『徂徠学』を熟読し『弁道』『弁名』を手に入れただけでなく、彼の弟子たちの業績である『七経孟子考文』などを帰国直前にあっても獲得しようとした。ところが彼らが帰国後に行った徂徠学の紹介は、いずれもその核心を外したものであった。このような紹介しかできず、この時に徂徠学が朝鮮にほとんど伝わらなかったのは、当時朱子学以外を語ることが厳禁されていたなど、朝鮮の国内諸事情によるものである。