- 著者
-
安彦 一恵
- 出版者
- 日本哲学会
- 雑誌
- 哲学 (ISSN:03873358)
- 巻号頁・発行日
- vol.1999, no.50, pp.61-73, 1999-05-01 (Released:2010-05-07)
或る〈状況〉にあるとき人は何をなすべきか。この問いに答えて行為するのが「道徳」であるとして、それは、その〈状況〉の《価値》的様相に応じて行為するという現象であるとも、あるいは、その〈状況〉に関する《規範》に従って行為するという現象であるとも敷衍できる。しかし、そこでさらに、「道徳」の現象に反省的に、そうした行為はそのまま妥当なものかと問うなら、一つの方向として、そこに《合理性》があるなら妥当であると次には言うことができる。「道徳哲学」-ないしは「倫理学」-とは、一つの、しかし最も基本的なかたちとして、「道徳」の合理性を問うものであるとも言える。そこには、「道徳」の正当化として、自ら合理性の証示を行なうものに加えて、そうした合理性の証示は不可能だと論証するものも含まれる。こうした作業は、それとして重要だと考えるが、しかしながら我々はここでは、言われるところの「合理性」が果たして一義的な概念であるのかとの疑問のもとで、基本的に異なる二つの「合理性」観念が「道徳哲学」において支配しているということを、その背景をなすものから明らかにしたい。そしてそれは、実はこの〈合理性〉観念の相違こそが、相互対立を含んで様々な「道徳哲学」を展開させているのだと我々はみているからである。