- 著者
-
宮川 博義
青西 亨
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.71, no.6, pp.352-361, 2016-06-05 (Released:2016-08-10)
- 参考文献数
- 23
脳機能を探る目的で神経組織から磁気共鳴機能画像法(fMRI: functional magnetic resonance imaging),陽電子放射断層撮影(PET: positron emission tomography),脳波(EEG: electro-encephalogram),脳磁図(MEG: magneto-encephalogram)など様々な巨視的信号が記録されている.これらを用いた脳科学の研究成果が日常的にメディアに登場し,一見脳機能の理解が進んでいるようであるが,現実には脳科学はまだまだ未熟な段階にある.窮屈になってきた社会状況のためか,精神疾患の患者が増えているが,疾患の原因の解明あるいは治療法の開発に脳科学はまだしっかりとした貢献ができていない.問題の一端は,細胞・分子レベルの微視的な知見と,脳・個体レベルの巨視的な知見との乖離にあるように思われる.知覚・認知・意図・意識等の高次脳機能を支えているのは,脳を構成するニューロンのミリ秒レベルの速い電気的活動であろう.ところがf MRI,PET等はニューロンの速い活動を捕らえているわけではなく,脳活動にともなうエネルギー代謝に関わる信号を検出しているに過ぎず,充分な時間的精度を持たない.それに対し,EEGおよびMEGはニューロンの速い電気的活動に由来する信号を検出・記録することができる.しかし,得られる信号はやはり巨視的であり,微視的なニューロン活動との関係は不明である.例えば総合失調症の原因解明や診断のために,発症にともなう脳波の異常を見つけようとする試みがなされていて,P300やミスマッチ陰性電位(mismatch negativity)といった脳電位が検討されている.残念ながらこれらの電位が,脳のどの部位の活動に起因するものであるかは明瞭でなく,ニューロンレベルのどのような異常と関連しているかもはっきりしない.脳波あるいは細胞外電位から電流源を求め,その部位のニューロン活動との関係が明確になれば研究が大きく進むのだが,それができないでいる現状にある.通常,神経組織の電流と電位との関係にはオームの法則が成り立ち,誘電率を考慮する必要はないと仮定して脳波の逆問題を解いている.ところが,生体組織が数Hz程度の低周波領域において極めて大きな誘電率(比誘電率106以上)を示すことが古くから知られている.巨視的な脳波信号と微視的なニューロン活動との関係が不明確なのは脳組織の誘電率を考慮していないことに一因があるのかもしれない.我々は,ある程度の長さの突起を持った細胞が生体組織中に存在すると,細胞膜の特性とケーブル特性により低周波において大きな誘電率を示しうることを理論的研究により見出した.さらに,その研究過程において,電気的な意味での「細胞外スペース」の描像を明確にし,脳波の解析の際に誘電率をあらわに考慮して細胞外電位と電流源との関係を示す一般的記述を得た.