著者
小坂 啓史
出版者
愛知学泉大学
雑誌
愛知学泉大学コミュニティ政策学部紀要 (ISSN:13447939)
巻号頁・発行日
no.8, pp.93-112, 2005-12

本稿では,社会政策やその研究領域の概念・課題としての「社会的排除」に関し,初めに相互行為としての排除の関係,次にそれが社会的排除として構造化されることについて述べた。またその対応としての「社会的包摂」の政策については,対象者への選別過程により,排除の状況が現出することにふれた。以上の考察をふまえ筆者が行った調査の結果をみると,排除の対象としては公的な空間での「精神病にかかっている人」「知的能力に障害がある人」,私的な空間での「同性愛・両性愛の人」,公共的な空間での「ホームレス」の存在に対しての意識が高かった。社会政策基盤としての社会的排除・包摂の社会意識的基準については,(1)労働意欲についての主体的姿勢とやむを得ず働けない状況に基準がおかれていること,また(2)年齢の高低や素行の良し悪しについても重視されていた。(1)は積極的福祉の存立基盤となるが,そこからの排除への対策として他の連帯方法の模索が必要であり,(2)は社会的排除場面において若者へのエイジズムという要素がはたらいている可能性が指摘できた。
著者
小坂 啓史
出版者
日本福祉大学
雑誌
日本福祉大学子ども発達学論集 (ISSN:18840140)
巻号頁・発行日
no.6, pp.21-29, 2014-01-31

本稿は, 福祉社会学でのケアをめぐる研究において, ケアの場に対する相互行為分析の応用可能性, 有効性について検証することを目的とした方法論的考察であり, とくにエスノメソドロジーに焦点をあててその確認を行った. まず, ケアを 「ケア」 として成立せしめている状況は, その場における人びとの相互行為によってつくられることを確認した上で, 社会福祉の近接領域での比較的数少ない先行研究のうち, 2 つを検討した. その結果まず第 1 には, 科学的理論化の態度が他者理解の本質とはなりえず, それが根ざす他者と共にある社会的場面での実践においてケア (療育) が問われるべきで, そのための経験的研究が促されることについて確認しえた. また第 2 に, エスノメソドロジーの観点に基づくビデオエスノグラフィーを用いた研究について検討し, この方法がケアの場のように言葉を介さないような空間においても分析が有効であること, さらに社会福祉領域でのケアに関しても応用可能であるとみなされ, ケアという相互行為の社会学的解明にとって有効であることが確認できた.
著者
小坂 啓史
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.135, pp.41-55, 2017-03-31

本稿における研究は,実際の「ケア」の場面での相互行為によって形式化していく〈関係〉の構造を明らかにし,政策が規定する実践形式の側面との関連についても考察することを目的とした.そこで「重度身体障害者」とされる人びとの生活介護事業所における〈ケア関係〉の形成場面についてのビデオ映像を用い,相互行為分析を行った.結果,「ケア」という行為は,社会規範をもツールとして用い〈ケア関係〉を成立させることで連続性を保つ相互行為である,ということが確認できた.次に,こうした連鎖を保てなくなった場合,〈ケア関係〉を基底としつつも,一時的に他の成員カテゴリー化装置によって異なる関係性を構築し,その上で〈ケア関係〉に再度移行させ完了へと向かうという,入れ子的なかたちを含む連鎖構造が維持されることも明らかとなった.以上より,「ケア」とは〈ケア関係〉が成立することで現れ,終結に向けて連鎖していく相互行為であって,介助や介護を提供するための政策とも関連する規範も,こうした過程に用いられ巻き込まれていくことが明らかとなった.
著者
小坂 啓史
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.144, pp.63-73, 2022-03-31

本稿ではケアが行われている状況について,当事者たち(ケアの「受け手」と「担い手」)の経験として記述することをめざした.まず「動機の語彙論」を参照,ケアの動機はその根拠としてだけでなく,規範という側面をもつことも確認した.そうした当人の外部にある規範の存在から,環境の側からもケアがもたらされることが示唆された.そこで,環境がもたらす意味・価値であるアフォーダンスの視点により,ケアの場面にアフォードされる知覚的経験からもその状況が描きうることを確認,改めて「受け手」「担い手」それぞれからみた状況について述べた.「受け手」は,生命維持とそれを知覚する身体と,環境との関係で行為し知覚する身体それぞれの側面にわけてとらえられ,苦しみにより前者が後者を圧倒し自己の存在不安に陥る.「担い手」は「受け手」にアフォードされて探索的接触を行うが,その場面で応答=責任関係による倫理性がうまれ,「受け手」にとって「担い手」の実在を実感し,自身のそれをも取りもどすことになりうることを述べた.