著者
西島 千尋 Chihiro Nishijima
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.132, pp.1-18, 2015-09

2006年の「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(以下,風俗営業法)の改正により,ダンス営業が規制されることとなった.この規制が,日本国憲法で保障される「表現の自由」を侵すものであるとして,2012年にはLet's DANCE署名推進委員会が立ち上がった.こうした動きのもと,2014年,内閣が風俗営業法改正について閣議決定を行い,ダンス営業規制が撤廃された.ダンス営業は新設される「特定遊興飲食店営業」に分類されることになったが,同委員会は「遊興」という形で規制対象が拡大されると懸念している.こうしてある種のダンスが規制される一方で,保護されたり,経済的な援助を受けたりするダンスもある.つまり,ハイカルチャーとされるダンスと,クラブなどのダンスは,扱われ方に差異があるのである.資料を探ると,この区別は江戸時代にはすでに「舞」と「踊」の差として生じており,さらに言えば,身分制度と並行していたことがわかった.本稿で取り上げるのは加賀藩の事例である.金沢市は,能を市のシンボルとしているが,かつてはすべての身分に許されていた訳ではない.能は武家の式楽であり,意図的に特権化されていたのである.その過程において,「舞」と「踊」の区別は色濃くなっていった.この過程を整理するために,本稿では『加賀藩史料』に着目している.加賀藩は,外交や藩内政治,ひいては親族間のコミュニケーションのために能という「舞」を重んじ特権化する一方で,一揆や風紀の乱れを恐れて「踊」を全面的に禁じていた.「踊」への為政者の危惧は,現代にも通じるものがあると言える.
著者
青木 聖久
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.136, pp.75-92, 2017-09-30

本稿は,筆者の精神障害者との30 年間のかかわりや,研究の蓄積を基にした上で,働くことに関する先行研究から,精神障害者が生きづらさを持ちつつも働くことの意義について論じたものである. 精神障害者は,幻覚や妄想等の疾患,思考や対人関係の苦手等の障害,さらには,自らが持っている内なる偏見や周囲から受ける外なる偏見等の生きづらさを抱えている.とはいえ,概して精神障害者の生きづらさはわかりづらい.なぜなら,見た目と経験則によって理解しづらいからである.そこで,本稿ではこれらの生きづらさを可視化しやすいように,具体例等を挙げながら,①精神疾患,②精神障害,③内なる・外なる偏見に分けて論じた. 一方で,人は精神障害の有無に関わらず,働くことによって,物理的,あるいは,精神的に多くのものを得ることができる.本稿では,その働くということについての語源,働くことの価値,働くことにより達成可能な社会的つながりや社会的承認等について,経済学者や労働法学者等の先行研究を通して論じた.働くはwork とlabor に分けることができる.とりわけwork は,活動によって得られる作品を含め,広い意味を持つ.また,働くことの価値としては,経済的な報酬は一つの要素にすぎない.視点を広げることによって,働くことは人間形成をはじめとする多様なものが得られるのである. そして,本稿では精神障害者が生きづらさを持ちつつも,働く意義がどこにあるのかについて述べた.精神障害者は生きづらさにより,働き方に一定の工夫や配慮は求められよう.だが,働くことによって,豊かな人生につながる側面が大いに認められるのである.また,働くことを考えるにあたっては,精神障害を持っているからこそ提供しうる,他者には代えがたい事柄としての活躍の場を創出することも大切となる.加えて,社会は,ストレングス視点で捉えれば,希望と可能性に満ちている.精神障害者は,働くことを通して社会とつながり,自己有用感を得られるといえよう.
著者
小泉 純一
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.135, pp.115-126, 2017-03-31

This paper will show how Mahmoud Darwish was introduced in Japan and visited Hiroshima. He was not only the greatest poet of the 20th century but also an activist to fight for the right of Palestine. We should not forget that he once visited Japan. After he was awarded the Lotus Prize for Literature in 1970 some Japanese writers such as Yoshie Hotta got interested in Middle East literature including the works by Darwish and planed to invite some writers and poets from Middle East countries to Japan to have a conference. In 1974 the conferences were held in Tokyo, Osaka and Fukuoka. The members from Middle East included Darwish, Adonis and so one. Because of a political trouble the writers from Egypt refused to attend it on the first day. But Darwish attended all the meetings and also visited the monument and the museum of Hiroshima on the way to Fukuoka. When he suffered from the air raids by Israel at Lebanon in 1982 he began to write a prose poem called Memory for Forgetfulness. He wrote about Hiroshima in it. The visit gave him the chance to connect Hiroshima and the atomic bomb to Lebanon and the air raids. His words were quoted in a local newspaper that“ The Problem of Hiroshima has been stuck in a heart of all the people on the earth. People in Hiroshima has suffered from the cruelty but we should say it is up to all human beings.” I want to say it’s not a coincidence that the poem started at August 6th which is the memorial day of Hiroshima. Just after he became a member of PLO and a speechwriter for Yasser Arafat there was no article on him in the papers in Japan until his death. We should not forget his visit to Hiroshima gave him an inspiration to his poetry.
著者
小坂 啓史
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.135, pp.41-55, 2017-03-31

本稿における研究は,実際の「ケア」の場面での相互行為によって形式化していく〈関係〉の構造を明らかにし,政策が規定する実践形式の側面との関連についても考察することを目的とした.そこで「重度身体障害者」とされる人びとの生活介護事業所における〈ケア関係〉の形成場面についてのビデオ映像を用い,相互行為分析を行った.結果,「ケア」という行為は,社会規範をもツールとして用い〈ケア関係〉を成立させることで連続性を保つ相互行為である,ということが確認できた.次に,こうした連鎖を保てなくなった場合,〈ケア関係〉を基底としつつも,一時的に他の成員カテゴリー化装置によって異なる関係性を構築し,その上で〈ケア関係〉に再度移行させ完了へと向かうという,入れ子的なかたちを含む連鎖構造が維持されることも明らかとなった.以上より,「ケア」とは〈ケア関係〉が成立することで現れ,終結に向けて連鎖していく相互行為であって,介助や介護を提供するための政策とも関連する規範も,こうした過程に用いられ巻き込まれていくことが明らかとなった.
著者
岡田 徹
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.136, pp.93-126, 2017-09-30

本稿では,「福祉と開発の人間的基礎」を,森有正というわが国では稀有の思想家,哲学者の人間思索をとおして考究した. 「福祉と開発」だけであれば,もとより森有正の出る幕はない.が,ここでは《人間的基礎》の方に力点が置かれているので,人間思索は欠かせない.ここに取りあげた森有正は,《感覚-経験-思想》という独自の思惟の道筋を辿たどって人間の生成と存在について思索と省察をかさね,多くの作品4 4を生み出した. ここでは具体的に「人間が人間になる」という,森有正の根本命題を読み解きながら「福祉と開発の人間的基礎」,わけても《人間的基礎》に当たるものが何であるかを考究した.そしてそこから引き出された知見や智慧は,こういうことであった. -すなわち,福祉も開発も元々「人間に始まり人間に終わる」,すぐれて人間的な事実であり事象である.そうである以上,「福祉と開発」を人間事象に還元し,そして人間の在り方や生き方の問題として捉え直す必要がある.それも人間一般ではなく,一人ひとりの人間(人格)の《固有-普遍》のいのち4 4 4と存在4 4を,「福祉と開発」の中に定位させることである.その上でそれを促すような「福祉と開発」を志向することである,と. 「福祉と開発の人間的基礎」の核心を衝つく,森有正の「人間が人間になる」という命題から福祉や開発が学ぶことは決して小さくはなかった.
著者
末盛 慶
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.136, pp.153-167, 2017-09-30

本稿の目的は,日々の状況に対して人々はどのような対応をしているのかに関する社会学的かつ経験的研究の中で活用しやすい概念を提示することである.具体的には,生活戦略という概念を示す.この目的の準備作業として,生活戦略と関連が想定される先行概念を検討した.具体的には,①心理学における対処概念,②家族ストレス論における対処概念,③家族戦略,④ライフコース論におけるヒューマン・エージェンシーを検討した.その結果,日々の状況に対する個人の行為に焦点を定め,実証研究の中で使用できる社会学的な概念は十分にたてられていないことが示唆された. 本論文で提案する生活戦略は近年の社会学理論を理論的な基盤とする.生活戦略の特徴としては,個人がとる行為は個人の裁量を含みつつも社会構造に規定されていること,生活戦略が社会構造の再生産や変動にも寄与すること,攪乱的な行為も肯定的に評価することなどがある.生活戦略を用いた研究例もいくつか示した.
著者
長沢 孝司
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.136, pp.15-41, 2017-09-30

現代の若者は,職場の「いい人間関係」を求め,「人に役立つ仕事をしたい」と願っている.これは人間の本性に基づく正当な要求である.しかし企業の労務管理はその逆の方向に進んでおり,労働者内部の格差拡大,長時間労働,目標管理などによって,若者の思いは水面下に押し込まれて屈折している.これは結果的には日本企業にとって持続的な発展を抑止している.しかし若者労働者は,その困難の中でも自己発達の道を様々な形で模索している.若者は職場の現実を変革する努力を通じて,「いい人間関係」をつくり,「人に役立つ仕事」を目指そうとしている.こうした動きは,先進諸国に共通して現れている現象である.
著者
伊藤 文人
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.145, pp.23-50, 2022-09-30

本稿の目的は,現代歴史学から「社会福祉(なるもの)」へ接近し,社会福祉の歴史研究を刷新をしていると思われる,「福祉の複合史(the mixed economy of welfare)」研究の展開過程とその方法論的な特長を抽出することである. 「福祉の複合史」研究は,本国英国では1970年代末期から,日本では英国での成果を摂取しつつ1990年代後半から徐々に「歴史学」分野で紹介・深められ,多くの「福祉の歴史」の諸相を明らかにしてきた.その特長は,それまでの社会福祉史研究(≒社会事業史研究)が無意識的に採用してきたと思われる「歴史観 historiography」(ホウィグ主義史観とマルクス主義史観)とは異なる,多層的で射程の長いそれを見いださそうとしているところにある.本稿は,この「福祉の複合史」研究の主要な論者による問題意識と主張——特に彼らが注目する「中間団体(アソシエーション)」による福祉供給主体の史的内実:「福祉ボランタリズム」——を紹介し,その到達点へ若干のコメントを行うものである.
著者
望月 秀人
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.141, pp.77-111, 2020-09-30

本稿は一つの旗本の家の歴史を通して,日本の近世国家の在り方を考察しようとするものである.私は西洋近世の複合国家論に関心を持っているが,近年そうした観点から日本史や東洋史との比較を志向する研究動向も見られる.ただし,それぞれの分野に固有の事情も多く,比較研究の困難も露呈している.以上を踏まえ,本稿では旗本日向家に視野を限定し,その視点からまず日本と西欧の近世国家の異同を具体的に考えたい.その上で,日本の近世における複合国家的要素と領主制的要素を共に考察することで,より複合国家概念を明確にすることを試みたい.今回の(一)ではそのための予備的作業として,まず旗本日向氏の系譜を概観し,今後登場する人物,地名,史料について概観したい.
著者
西島 千尋 Chihiro Nishijima
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.131, pp.163-173, 2015-03

富山県は獅子舞が盛んな地域と言われており,現在でも約1,200団体が継承しているとされる.それらは主に,「氷見型」「五箇山型」「砺波型」「加賀型」「射水型」「二頭型金蔵獅子」「一頭型金蔵獅子」「下新川型」「越後型」「行道型」に分類されるが,本エッセイは「氷見型」の獅子舞を受け継ぐ高岡市C村の調査にもとづくものである.現代日本では祭礼の担い手不足が頻繁に取り沙汰され,その理由として少子化および高齢化,過疎化があげられることが多い.だが,C村の事例に着目すると,原因は必ずしもそれだけではないことが明らかになった.かつては獅子舞を含む村の行事へのコミットが自明視されていたが現代はそうではなくなった,つまり村の行事よりも個人の事情を優先させるという選択肢が生じていることにある.本エッセイでは,そうした事柄をC村で使用されている「天狗をつくる」という表現から考察する.獅子舞,コミュニティ,芸能,伝統
著者
西島 千尋
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.139, pp.21-36, 2019-03-31

本エッセイは,「天狗がつくられる村:富山県高岡市C 村の獅子舞調査」(『現代と文化』第131 号,2015 年),「女がみた男の世界:富山県高岡市C 村の獅子舞調査2」(『現代と文化』第133 号,2016 年),「天狗のきもち,獅子のきもち:富山県高岡市C 村の獅子舞調査3」(『現代と文化』第135 号,2017 年),「祭りのおわり:富山県高岡市C 村の獅子舞調査4」(『現代と文化』第137 号,2018 年)の続編である.2015 年のエッセイでは「天狗をつくる」というC 村の表現を手がかりに獅子舞を含む村の行事へのコミットが自明視されていたことに,2016 年のエッセイでは青年団という組織の限界に,2017 年のエッセイでは獅子舞の学習過程におけるあいまいさに,2018 年のエッセイでは人手不足により休止を迎えたC 村の獅子舞をテーマとした. 本エッセイでは,全国一と言われる富山県の獅子舞状況の変化を把握し,C 村の獅子舞休止の相対的な位置づけを試みる.
著者
藤井 博之
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.143, pp.1-27, 2021-09-30

私は臨床医として診療と教育・研究の二足のわらじを履き,地域医療,農村と都市はどう連帯するかを考えてきた.新型コロナ禍の中で「命か経済か」のどちらを優先するかという議論がある.これは社会福祉と保健・医療が地続きの分野であることに関わる問いを改めて突き付けている. いくつかの教育実践を取り上げて振り返ることで,この問いについて考えたい.①社会福祉学部や経済学部で「医学概論」を担当してきたが,この科目で医学について何を学ぶよう学生に求めるかを問い直す必要がある.②コロナ禍の下で 2020 年度は編成を変更し,ふくしの論理に医療の論理をつなぎ病気の社会的側面について考えるなどの試みを行う機会になった.③医師である教員として学生が医療の現場を訪ねる機会を作ることも,大事な役目である.在任中は,専門演習 5 クラス,地域研究プロジェクト 3 クラスを担当し,9 回の合宿と 14 回のフィールドワークで,フィールド 24 箇所を訪ねた.④卒業論文では 6 年間に 5 つの専門演習クラスを担当し,52 人全員が論文を提出して卒業した.インタビュー調査 25,事例検討 11,量的調査 6,統計研究 6,参与観察 2,インタビュー調査と事例検討の混合研究 2,テーマは多彩で,保健・医療や病いは 10 数本に過ぎなかった.卒業後社会人 2 年目に自ら生命を絶った者があった.大学教員は学生が就職・進学しただけで役割を果たしたとは言えず,生きぬく力を伝える責任がある.⑤講義科目リハビリテーション医学(2015 ~ 2020 年)では,リハビリテーションという言葉を本来の意味で使うべきだと伝えてきた. 保健医療と社会福祉を含む多職種連携について,本学では教育と研究,地域での実践の機会を豊富に与えられた.在任中に私としては 2 つ目の博士論文(社会福祉学)を提出し,数冊の書籍を出版できた.研究成果には,多職種連携の基盤となる 4 つの共通理解,多職種連携に影響する要因,職場の連携状況評価尺度の開発,response shift の指摘などがある.IPE の学習過程での専門分野間の対立,多職種連携の暗黒面を上手に乗り越えることは教員の援助のポイントである.日本の現状では,医療系と社会福祉学部が参加する IPE は限られている一方で,各職種の国家試験で多職種連携に関する出題が増加しつつあり,中でも社会福祉士では 33.3%(2020 年)と高比率である.日本福祉大学の IPE では,幅広い学部構成という強みを活かすために,教員が履修学生の中で起こる学びや葛藤を学部を超えて共有し,教員同士の多職種連携の経験知を高めるなどの課題に取り組むよう期待する.
著者
赤石 憲昭
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.142, pp.31-62, 2021-03-31

本稿では,真下信一の「ヒューマニズム」の哲学のアクチュアリティを示すため,現代ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルの議論との比較検討を行った.真下とガブリエルの哲学の内容には極めて多くの一致点が見られる.このことは,両者がともに,人間の普遍的価値を信じ,その本質である自由や,それを実現する社会の仕組みである民主主義の実現を目指すとともに,それを妨げようとするもの(ファシズム,自然主義,デジタル全体主義)に対して徹底的に闘った/闘っている哲学者であるということに由来する.それは,日本とドイツという,先の大戦で多くの被害を被っただけではなく,多くの被害をもたらしたことへの深い反省に基づくものでもあった.ドイツと違い,「人間の概念」の明確な規定が欠如している日本において,「人間とは何か」を正面から論じ続けたヒューマニズムの哲学者真下信一の哲学は今なお学び続ける必要がある.
著者
山上 俊彦
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.135, pp.1-21, 2017-03-31

北海道庁が2015 年に公表した「科学的手法に基づくヒグマ生息数」はヒグマ生息数が爆発的に増加しているという結果となっている.この計算機実験に基づく推定結果について検討を加えたところ,断片的情報を基にしたシミュレーションであり,生息数の水準の根拠が希薄であること,生息数が安定する環境収容力が考慮されていないといった問題点があること,推定値の幅が広く信頼性の低い推定値であるということが判明した.ここで公表された生息数を基にヒグマの保護管理政策を推進した場合,北海道のヒグマは絶滅への道を辿ることが予想される.北海道のヒグマ保護管理計画は目標と手段の関係が調和していない政策であり,総捕獲数管理は個体数管理と本質的に変わらない補殺一方の政策である.北海道は政策の基本思想を根本から改める必要性がある.
著者
吉田 文久
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.135, pp.23-40, 2017-03-31

本研究は,イングランドに残存する民俗フットボールの特徴,さらにそれらの変容について明らかにすることを目的とする. 筆者はこれまで,現地での調査をもとに,英国スコットランドに残存する民俗フットボールの特徴をその多様性と類似性の視点から整理し,公表してきた.そして,イングランドに残存する10 箇所のゲームを調査し終えたことから,本研究では,スコットランドのゲームの整理と同様の視点,手続きを用いて,イングランドに残存するゲームの多様性・類似性,そして,それらの変容について考察した. その結果,①イングランドに残存する民俗フットボールには,いくつかのゲーム間に類似部分はあるものの,スコットランドのような共通性は乏しく,その町や村に独自の形で存続している②メディアにも取り上げられ,プレイヤーも数百人に及ぶゲームがある一方で,セレモニーだけを残すという形骸化したゲーム,そして消滅の可能性を予期させるゲームがあり,存続のために担い手の確保が課題となり,そのための策に苦慮している ③スコットランド同様に,イングランドに残存するゲームは,過去のゲーム様式を存続させることに固執することなく,近代化に順応しながらゲームを変容させることで,生き残りを図っている ④ただし,ゲームは変容しながらも,従来の伝統的な様式を守り続けるゲームから近代的要素を多く取り入れたゲームまで存在することから,イングランドに残存する民俗フットボールは現在多様な姿で存続しているということが明らかになった.
著者
柿沼 肇
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.138, pp.67-97, 2018-09-30

「戦後」開始されるようになった教育運動史の本格的・組織的研究を担ったのは新教懇話会(1958 年1 月正式発足)とその発展として改組された教育運動史研究会(1968 年8 月発足)である.この両組織の活動によって,運動史研究は大きな前進を遂げたが,90 年代に入ってしばらくする頃から低調になり始め,中頃には会自体が「開店休業」状態に陥ってしまった. その研究会がやり残した課題はいくつかあるが,その一つが『「教労」・「新教」教育運動史事典』の編纂事業である(註・「教労」とは日本教育労働者組合,「新教」は新興教育研究会のこと,ともに前史および後継の運動を含む).そしてその『事典』の執筆項目の一つに「新教・教労の運動と弾圧機構」というのがあり,柿沼が執筆者ということになっていた.今回この小論を本誌に執筆しようと思いたった動機の一つはその時の「宿題」をいくらかでも果たさなければという思いがあったからである この小論では全体を大きく二つに括り,Ⅰを「戦前」日本の教育史,Ⅱを「戦前」社会運動,教育運動に対する「取締り・弾圧」機構,とした. Ⅰでは,『戦前』日本の社会と教育についてその内容を概略したあと「『戦前』日本教育の帰結とその教訓 教育(教師)の戦争協力と戦争責任」と題して以下の事柄を論じた. (1)日本教育の天皇制軍国主義的体質 (2)教育における「戦争責任」の払拭 -「空振り」と「免罪」 (3)「戦後」社会の中で -二度のチャンスを生かせず Ⅱでは (1)代表的な「取締り・弾圧」法令(33 項目と関連法令22 項目を列挙,一部に短いコメントを付す) (2)「取締り・弾圧」機構(情報収集,思想統制,世論形成等を含む.24 項目.各項にやや長めの解説を付す) なお,Ⅱでは時間をかけて膨大な資料・参考文献を収集したが,まだまだ目を通すことの出来ないままのものがかなり残されている.またこれまでの作業で新たな課題や問題意識も生まれてきている.そこで今回は,この「表題」での本格的な論文執筆のための「第一次作業」と位置づけて,題名のアタマに「研究ノート」と付すことにした.
著者
岡田 徹
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 = Journal of Culture in our Time (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
vol.138, pp.1-39, 2018-09-30

本稿の課題は,森有正というわが国では稀有の思想家,哲学者から筆者が聴きとった《内なる響き》 森有正のレゾナンス を手がかりに,「福祉と開発の人間的基礎」を考究することにある. ここ【後篇】では「人間が人間になる」という根本命題を,森有正自身が呈示する次の5 つの事象ないし事態をとおして読み解き,われわれ自身の生きる問題として考えた.すなわち,1 つは「《人間》の誕生は終っていない」,2 つは「ギリシャの美 感覚の純粋性」,3 つは「自分を超えている運命にたどり着く」,4 つは「自己が自己に還る一つの姿」,5 つは「人間が内面的に到り着く普遍」がこれである. そしてそこから引き出された知見や智慧の精華は,一言でいえば,こうである. 私たち人間は,一人ひとり自分で「人間が人間になる」,すなわち《固有-普遍》のいのちの存在にならなければならない,と. このことを,本稿の主題である「福祉と開発の人間的基礎」に関説すれば,こうなる. 私たち人間は,一人ひとり「《固有-普遍》のいのちの存在になる」こと,そしてそれを促すような「福祉と開発」を志向することが求められている,と. 「福祉と開発の人間的基礎」の核心を衝く,森有正の「人間が人間になる」という根本命題から,福祉と開発が学ぶことは,決して小さくはなかった.
著者
福田 静夫 Shizuo Fukuta
出版者
日本福祉大学福祉社会開発研究所
雑誌
現代と文化 : 日本福祉大学研究紀要 (ISSN:13451758)
巻号頁・発行日
no.131, pp.45-161, 2015-03

新カント派哲学,「世界文化」事件,「真理」,「治安維持法」,「弁証法」と「全体性の方法」,「教育勅語」,「種の弁証法」,ファシズムの論理,あるべかりし「戦後」,「戦争責任」と哲学