著者
小林 亜津子
出版者
鳥取環境大学
雑誌
特別研究員奨励費
巻号頁・発行日
2000

G.W.F.ヘーゲルの「宗教哲学」の新資料に関する図書や、その他の関連書籍等を購入し、また、ヘーゲル研究会等に出席して「宗教哲学」資料についての情報収集を行ないながら、研究を進めた結果、つぎの二点を明らかにすることができた。1.全四回の講義のうち、1821年「宗教哲学」草稿の記述には、キリスト教精神の世俗世界での実現と言う思想的モティーフガ展開され、キリスト教の歴史を世俗史のなかに移し入れるという発想が登場してくる。こうした発想は、キリスト教救済史の時間性を損なう可能性がある。なぜならキリスト教の聖なる歴史を世俗史に移し入れてしまうことによって、ヘーゲルはキリスト教固有の救済史観を骨抜きにしてしまうことになるからである。21年草稿にみられるへ一ゲルの歴史意識を検討することによって、ヘーゲルの歴史意識と現代終末論によって再興されたキリスト教救済史の時間意識とのあいだに現前している埋めがたい決裂点が浮かび上がってくる。2.ヘーゲルもルターも共に、聖餐における神との直接的で、主体的な接触を介して初めて宗教性がなりたつという核心を共有しながら、その核心の内部では、神との直接的な一体感を享受するという神秘主義そのものと、否定を媒介することで神との合一に達するという神秘主義の精神化といった、二つの対立する態度を示している。これらの研究成果のうち、1については、4月に日本哲学会の学会誌『哲学』上に論文として発表した。2については、京都哲学会の学会誌『哲学研究』に掲載された。
著者
小林 亜津子
出版者
学校法人 北里研究所 北里大学一般教育部
雑誌
北里大学一般教育紀要 (ISSN:13450166)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.27-38, 2016-03-31 (Released:2017-01-12)
参考文献数
17

本稿では、まず看護ケアにとって「家庭」がもつ固有の意味を確認したうえで、これまで家族が担ってきたプライベートなケアという役割を、看護師が家庭のなかで果たすことから生じる、訪問看護における様々な混乱について論じる。それをふまえて、こうした「混乱」を最小限にとどめ、理想的なケア実践を行うために、訪問看護師は「自律の尊重」を提唱し、患者の前では「お客(guest)に徹するべき」という規範を自らに課していることを明らかにする。さらに、この「自律の尊重」が、施設内看護の場面以上に複雑な様相を呈し、訪問看護師が患者の決定に「寄り添う」か、専門職としての権威を示すかという倫理的選択に向き合わざるを得ない場面について論じていく。そこから浮かび上がってくるのは、訪問看護とは、患者と看護師がそれぞれ「主(host)」と「客」を演じあうという独特のパワーバランスの上になりたつケア実践であり、そのことが在宅ケア特有のモラルジレンマをカモフラージュするための「戦略」となっているということである。